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死刑制度って……

2022年7月26日、秋葉原無差別殺傷事件の加藤智大死刑囚に死刑が執行されました。

私は、死刑を実施すべきではないと考えます。
 そもそも死刑制度とは、二人以上の人を殺害した場合であり、犯罪の性質や動機、社会的影響といった、様々なことが基準となって死刑判断がなされるものです。
 確かに死刑制度があれば、人を殺してしまったら自分は死刑になるかもしれないという恐怖心から、犯罪を犯すのをやめる人がいるとするならば、死刑制度は犯罪の抑止力になると言えるかもしれません。しかしそれは、人を殺すという行為そのものが決して許されることではないという理由から殺意を抑えるのではなく、自分が死刑になることを恐れているだけになってしまいます。逆に、死刑は安全で確実に死ぬことができるという考えのもと、自分が死刑になるために関係ない人を犠牲にして起こった事件もありました。そういった死刑は犯罪者とはいえ、人の命を奪う刑罰であるので、特に慎重に見極めなければならない事件になります。
 実際に、1948年に熊本県で起こった一家強盗殺傷事件として免田事件があります。この四大死刑冤罪事件の一つである免田事件をはじめとする数々の事件が、死刑判決が言い渡されたあとに冤罪だったと判明することがありました。また、死刑執行後、最近になってから冤罪だったかもしれないとささやかれている事件もあります。このような、間違った判断や、かもしれないという不確実な状況で死刑を行うのは、私たち国民にとっては次の死刑の対象は自分かもしれないという恐怖でしかありません。これは、基本的人権に反する刑罰だと言えます。
 基本的人権には、どんな人であっても生まれながらにして生きる権利が与えられています。その価値を等しく尊重するためにも死刑制度は行わないべきです。犯罪者となってしまった人の多くは、家庭や経済、教育などの様々な場面で劣悪な環境におかれていたことが一因となり、犯罪に発展していることがあります。そういった人を基本的人権に則って一人の人間として尊重し、人間性の回復と社会復帰の手助けをすることが求められます。
 また、世論からも死刑制度廃止を訴える声が多く上がっているのも事実です。最近で言えば、ついこの間死刑執行された秋葉原通り魔事件で、再び国民の視線は死刑制度に向けられました。秋葉原通り魔事件とは、赤信号で交差点に突入し、通行人をはねたりナイフで刺すなどして7人が死亡した2008年に起こった凶悪事件です。そして、世界的に見ても死刑を実施する国は少なくなってきました。日本の他に死刑制度の文化が未だに残っている国は、アメリカや中国といった世界を代表する国がある一方、制度上死刑を無くした国と制度は残っているものの長年執行していない事実上廃止の国を合わせると、世界にある193カ国、約7割の国々にのぼると言われています。
 死刑を執行したからと言って被害者遺族の悲しみが払拭されるわけではありません。このように、基本的人権で保障されている人が生まれながらに持つ生きる権利や世界を含めた世論の声に耳を傾けてみると、死刑制度を廃止すべきだという思想が広まってきていると考えられます。

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