したくても「できないマスク」

 私は東京都内で、日本画と水墨画の教室を開いている。
2014年の開業当初から、外国人と日本人の両方に教えてきた。コロナ騒動直前までの2020年2月まで、たくさんの外国人観光客に日本の伝統絵画を教えて来て、ざっと400人くらいを受け持った。その外国人達が、昨年の10月以降、徐々に戻ってきた。久しぶりの体験教室に、私も相手も期待が高まった。こうした受講者たちは、インターネットを通して申し込み、やって来る。

 ニコニコと笑いながら、玄関先で陽気に挨拶してくれる。それだけでも、大変に気持ちがいいし、うれしく感じるものだ。こちらも、どうやってこの爽やかな気分を伝えようか。と、熱が入ってしまう。何といっても、2020年の時と違うのは、こちらも相手も、マスク姿だという事だ。これは初対面ではとても大きな違いを生む。室内に入って、手を洗ってくれと言うと、協力的でさっと洗ってくれる。

 私は、マスクを外して欲しくないと思っているのだが、コロナ影響下で、外国人に対しての気遣いって何だろう?と思っていた。双方の気持ちを探りたくて、着席して少し話をしてから、
「日本はどうですか?まだ日本はマスクを着けていますが、大変でしょう?」
と、聞いている。2022年の10月以降、10人超に出会った。私の方では、日本のマスク文化を知っているのに、この観光客はどうして日本を訪れるのだろうという疑問もあるのだが。

すると、10人いたとしたら、100%全員が同じ答えを返してきている。
「いえ、いいんですよ。マスクで。マスクするのが、当然なんですよ、本来ならね。」ただ一人の例外もなく、まず、こう答えてくるのだ。これには、私も驚いてしまう。
 私は室内では外さないで欲しいので、本気でマスクに対して苦労がないのか聞きたいと思って、もう少しだけ掘り下げて質問をする。
「そうですか!よかった!日本に来て、またマスクをするのがさぞ苦痛だろうと思ってたのに。」
どうしてマスクを良いと思っているのか、という理由をなんとなく尋ねているのだ。もし、マスクを外してもいいかと言われたら、それは断るだろうし、マスクなしの休憩タイムが欲しいと言われたら、屋外につれだすだろう。

 なぜ、マスクが良いと思っているのかの理由はまちまちだが、多くの外国人観光客は、日本のマスク文化を「他者への思いやり」と捉えていた。
 私が、「自分がマスクをしない事で、誰かに感染させるかもしれません。その誰かが帰宅して、高齢者に感染させることもあり得るわけです。そうなった時に、非常に申し訳ないと思うでしょう。ですから、大体の日本人はマスクを外さないのですが。」
と言えば、話の途中から、もうそれそれ。と言わんばかりのジェスチャーをしてみせる。


 「それそれ、それですよ。日本人には、そういった思いやりがある。他者のために、自分は苦労してでもマスクを着けよう、という親切心が。私の国では、もうそれが出来ない!」
「私の国では、みな全員が、自分のことしか考えられないでいる。自分がその時、楽であれば他人などどうでもいいと思っているのです。そして、当の本人も、感染するのです。しかし、実際にもうそれしか出来ない。」
観光客は、アメリカ、ヨーロッパが殆どで、なかにシンガポールが一人いただけだ。しかし、この全員が、自分たちの国には自己中心的な考えの人間だらけで、マスク文化が自然消滅した、と嘆きながら言っているのだ。

 他にも、こんな事を言われた。
「私が今回、旅行先に日本を選んだのは、他でもないマスク文化の国だからです。私も自宅ではマスクをしています。その方が、より安全だと思えるからです。外では、マスクが出来ません。日本に来れば、みながマスクをして暮らしています。だから、安全のためにも日本に滞在するのがよいと考えていました。10月の国境openを待ちに待っていたんですよ。」

 マスクで不便さはないのか?と聞くと、たった一人だけが、
「路上で人とすれ違う時は、恐怖を感じますね。それ以外は、別に何とも。」と答えた。
 日本ではなかなか感じにくい怖さだ。私が呑気すぎるのかもしれないが、私は路上でマスク姿の男性とすれ違っても、逃げよう、と思ったことはない。
 教室にやってくる受講生が、玄関先でとても陽気に振舞うのも、こうした配慮があるからなのだが。

日本では、報道などでは日本人はいつまでマスクを着けているのかと、外国人から嗤われている、などと報道されているが、実際には違うようだ。日本人の思いやり文化、他者を優先して忍耐強く暮らせるつつましさ、といった美徳の方が、よりクローズアップされていると感じた。

 また、海外ではなぜ、マスク文化が根付かないのか?まず、息苦しいせいだと言われるが、それはひょっとしたら報道によるのかもしれない。少なくとも、すべての理由ではない。なぜなら、私が出会った外国人受講生たちは、「マスクしていて、平気です!大丈夫です!」と自分から率先して、自分はマスクを外さないとアピールしていた。マスクができる人たちだけが日本に来ているのかもしれないが。

 息苦しさよりもむしろ、生活上の安全面の方が勝るのかもしれない。感染してしまうよりも、犯罪に巻き込まれないように生活する方が、優先度が高いという考え方もあるのだろう。
 本来ならマスクをしていたいが、人々がマスクをしていない中では、マスクはできないものなのだ。自分は感染がこわくても、マスクをつけられず、冷や冷やしながら公共の場に赴かないといけない。例えば身近に高齢者がいたとしても、自分一人だけではマスクはできない。もし、そんな中でマスクをすれば、何らかの犯罪を犯そうとしているように見えて警戒されてしまう。却って身の危険が生じるだろう。もしくは、相当の感染病を患っている様に人の目には映るだろう。こうして、なし崩し的にマスク文化は根付かなかったのだ。誰もがその必要性を理解しながら。

皆さんはどう思うだろう?




 







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