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耳になじむ声、耳になじまぬ声

声は、その人の能力であり人格である(・・では?)

「声」といえば、俳優(特に声優)の大事な魅力の1つであるだけでなく、アナウンサーのように人に何かを伝える仕事をする人たちにとっても適性を強く求められ個体差の明らかな属性であり、一種の能力かもしれません。

そういう彼らだけでなく、一般の人々の声にも、男女年齢問わず、心地よくて思わず耳を傾けたくなる「耳馴染の良い声」があることは実感できます。ということは、その逆に、どこか耳障りに感じて「聞きたくない声」もあるということになります。

声の音質がどこか壊れた機械音のように不愉快であったり嘘っぽい感じがしたり、日頃からよく怒鳴り上げる性向の人の声は聞きたくないなど、心理的にマイナス要因のある「耳に馴染まない声」というのもあると思います。そういう声の持ち主には、その人物の人格や人柄までも悪くとらえてしまいがちなので、声をただの「音声」と侮っていたらいけないと思います。

電話帳を読んでも聞き惚れる声

確か、映画評論家の故淀川長治さんだったと思うのですが、戦後フランスの名優ジェラ-ル・フィリップは、たとえ電話帳を読んでも聴衆をうっとりとさせる、と言われていたように記憶しています。映画俳優としても活躍した彼は、「モンパルナスの灯」・「肉体の悪魔」など映画史に残る名作にも主演していますが、NHKテレビのフランス語講座で、彼の舞台姿のドキュメントをわずか数十秒だけ目にしたことがあり、その「噂」は本当だと実感させられるくらい魅入ってしまいました。

これと似た話をもうひとつ:

向田邦子のTVドラマ「隣りの女」(1981年制作)

主婦役の桃井かおりが、アパートの隣室の女・浅丘ルリ子と部屋を訪ねて来た男・根津甚八との会話を壁越しに盗み聞きするシーンがあります。二人は愛し合いながら、女が男に上野から順々に駅名を聞きます、
「上野、尾久、赤羽、浦和、大宮、・・・鴻巣・・熊谷・・・・」
男は低い声で、一つ一つの駅名をまるで詩をよむように言い続け、それを聴きながら桃井かおりは抑えがたく悶えるような感情の波に襲われます。


意味以前の響きとしての「声」

外国語の場合は意味がわからないので音の響きとしてまず聞いてしまいます。たとえば、フランス語の響きは格別で音楽的な流麗さを感じます。あるいは韓国ドラマでは、どこか芝居がかった日本語吹き替えよりも、原語を聞いたほうがはるかに趣きが増して素敵な響きに聞こえます。

母国語である日本語だと意味も同時にわかることになりますが、同じ台詞でも違う俳優が読めばまた違って聞こえますので、やはり、意味以前の問題として、それぞれの俳優が独自に有している「声」は相手にどう聞こえているかについて重要な働きをしているはずです。

外国映画は、声優の「声技」

現在、「声優」といえば、主にアニメ作品での吹き替えが中心話題になっているようですが、戦後からずっと、私がまだ少年期であった1960年代から80年代までは、テレビで放映される外国映画や海外ドラマは「吹き替え」が当たり前でした。
特に人気スターの場合は吹き替え担当の声優が決まっており、どんな駄作でも担当声優の「声技」の魅力ゆえに何とか最後まで見ることができました。
たとえば、アラン・ドロン=野沢那智、クリント・イーストウッド=山田康雄、ジョン・ウェイン=小林昭二でしょう。
変わったところでは、「アパートの鍵貸します」などの映画でジャック・レモンの吹き替えをしていた芸能人の愛川欽也さんもピッタリの「声技」でした。

愛川欽也とジャック・レモン

お気に入りの声優お二人

さて、そんな多くの声優さんたちの中でも、私が特に気に入っていたのは、一人目、アメリカ製ドラマ「コンバット」の主演ヴィック・モローを吹き替えた田中信夫氏です。

ヴィック・モローと田中信夫

二人目は、ハリウッドスターのバート・ランカスターや「宇宙大作戦」のMr.スポックを吹き替えていた久松保夫氏(1982年死去)です。この久松氏の声は、スケールの大きい人物像をよく演じていたランカスターの風貌や立ち居振る舞いにピッタリでした。久松氏の生前のインタビュー記事によれば、ランカスターがニセ牧師を演じた「エルマー・ガントリー」に関し、久松氏自身も大学は神学部だったので、特に思い入れの強い映画であったこと、スターの声質はあごの形で決まるからあごの形の似た声優が本人に近い声になる、など貴重な発言をなさっています。

久松保夫とバート・ランカスター
ランカスターはこの作品でアカデミー主演男優賞を獲得


日本の俳優たちの「声」

1970年代 ~ 1990年代までの例として、もう亡くなった女優・大原麗子さんの有名だったCM「少し愛して 永く愛して」は、彼女の声の特徴を最大限に生かした演出であったと思います。また、ナレーションでも活躍していた男優・石坂浩二さんの「声」もおそらく多くの人々の耳に良く響く馴染み易さがあったと思います。

大原麗子

個人的な好みで言うと、俳優の故渡瀬恒彦氏の声も私にはどこか耳にスッと馴染んで入り込んでくる響きのよさを感じていました。中年以降はテレビの「十津川警部シリーズ」で長くご活躍でした。彼の数多い主演映画の中では、ワイルドかつ人間味あふれる役どころを演じた「影の軍団 服部半蔵」が特に気に入っています。

皇帝のいない八月

その他、好きになる俳優たち:

私が男性であるからでしょうか、女優の「声」といっても、実は、その声そのものに魅かれる女優というのはきわめて少なく、古くは原節子岸田今日子、最近なら常盤貴子松雪泰子ぐらいを無理して思い起こすぐらいです。その理由はおそらく、女性の魅力というものをその顔や表情、衣装も含めた全体の佇まいで捉えるからであり、声は決定打ではないからだと思います。

一方、男優ならば、その魅力を外見で判断することはまずなく、表情や全体の醸し出す雰囲気も大事ですが、やはり役柄と演じる声が決定的な役割を担っています。たとえば、国村準平泉成などまさに「声」の魅力だと思います。

音楽配信の始まる2000年代以降になると、さまざまなメディアで大量の「声」が流れ始めたので、この「声」が素敵だ、と特定化することが難しくなりました。
最近では、100分de名著「中原中也詩集」で朗読担当の俳優でありダンサーの森山未來さんの「声」にもどこか耳を傾けたくなる響きがあったと思います。

人の話す言葉を音声として聴いているだけではない

俳優たちの「声」から離れて、批評家とか研究者とかの肩書きでテレビに登場する方たちの中で印象に残っている方の一人に、批評家の若松英輔さんがいます。
2016年の100分de名著「石牟礼道子 苦海浄土」で初めて知り、その後、「神谷美恵子 生きがいについて」にも出演されていました。この方は俳優ではないので、ただ座ったまま解説をなされるだけなのですが、ゆっくりと丁寧に、言葉を慎重に選ぶように話されるところが、この方の語りの特徴のように聞こえます。言い換えると、語るべき内容に対して最大限の誠意と思いを込めて語っている、・・という風に私には聞こえてしまう、ということです。

コメンテーター、MC、語り手、プレゼンテーター・・いろいろと「話す人」たちが世の中にはたくさんおられます。私たちはその相手の話す意味内容を
理解するために耳を傾けているのは当然ですが、話す相手の音声だけを聴覚的に聴いてるだけでもないのではと私には思えます。
たとえば、岡本太郎寺山修司瀬戸内寂聴などの生前の「話し声」を聴いていると、内容理解だけで終わらず、その声質や話し方の癖などから、その人そのものを感じ取って共感共鳴していた面もあったのではと思うのです。

最後に

私たち人間は、相手の話す言葉をただ音声として聴き取り理解しているだけではなく、その「声」を通じて、その人の人間的資質や性格、情念や信念、知性までも感じ取ろうとしてるいるのではないか、と思うのです。

もっといえば、その「声」も含めた、その人の表情、姿勢、呼吸などすべてを感じ取ることを通して、その人の話す内容の理解や共感にとどまらず、その人そのもの=存在の本質までも掴み取ろうとしているように思うのです。

そして、そういう「声」と出会った時こそ、私たちが最も心を動かされている時なのではないかと思うのです。
この経験は、おそらく、ネット画面越しでのズーム会議などでは完ぺきには体感できないことではないでしょうか。