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お菊とあやめ 【小話・2650字】

 番町の青山主膳の家の台所、下女のお菊が花見の酒宴に使った皿を片付けている。色白のお菊の繊手は、日々の水仕事のせいで赤く色付いたままだ。お菊は若くて美しい。主人の青山は、この若くて美しい女を憂さ晴らしのためにしばしば折檻した。お菊はこの主人に脅えながら、朝は人々が起き出す前から、夜は人々が寝静まった後まで、口答え一つせずに働いている。

 某町の青川の家の台所、娘のあやめが朝食に使った皿を片付けている。あやめはゴム手袋をはめて、ぬるめに設定した水で皿を洗っている。

 お菊が片付けているのは、主人が大事にしている南京古渡の皿だ。その皿は全部で十枚ある。お菊はその皿を洗った後、一枚一枚、丁寧に布巾で拭いてから桐の箱にしまっている。

 あやめが片付けているのは、あやめが大事にしているヤマザキ春のパン祭りの皿だ。2018年のスクエアタイプのものは、食パンがちょうど収まるサイズであやめのお気に入りだ。

 お菊が南京古渡の皿を桐の箱にしまっていると、一匹の猫が台所に入ってきた。猫は残り物の焼き魚を狙っていた。たとえ残り物だとしても、猫に魚を獲られたと分かれば、お菊はまた叱られてしまう。お菊は猫を追いのけようとした。

 あやめが皿を洗っていると、ポケットの中からスマホが鳴った。パン祭りの点数効率を考えていたあやめは、不意を突かれて思わずびくりと身を縮めた。

 お菊が猫を追いのけようとしたそのとき、そのはずみで、お菊は手にしていた皿を落としてしまった。

 スマホの着信にびくりとしたあやめは、洗っていた白いお皿をシンクの中に落としてしまった。洗剤の泡があやめの顔に飛んだ。

 お菊は顔色を真っ青にして、震え始めた。皿が一枚、割れてしまったのだ。そこへ、青山主膳の妻がやって来た。

 あやめは顔に飛んだ泡を洋服の袖でぬぐった。ゴム手袋を外して、ポケットからスマホを取り出した。

「お菊さん、何か粗相をしたの?」
 青山主膳の妻に聞かれたお菊は、うつむいて震えていた。妻はお菊の足元に割れて散らばっている皿を見つけた。

 着信は知らない番号からだった。あやめが電話に出ると、聞き覚えのない男の声がした。
「もしもし」

 青山主膳の妻は、お菊の髪の毛をつかんで罵った。
「この大胆者! よくも殿様御秘蔵のお皿を割ってくれたな! 言え! なぜ割った! なぜお皿を割ったんだ!」

 電話越しの男は、あやめとは違う名字であやめを呼んだ。

 青山主膳の妻が金切り声をあげながらお菊をぶっているところに、青山主膳がやって来た。
「どうした」

 あやめが電話越しの男に「番号、かけ間違えてますよ」と言うと、男は驚いた様子で謝罪し、電話を切った。

 青山主膳は、割れた皿に気付いた。「こ、これは!」

 あやめはシンクに落とした皿を拾い上げた。
「うん。割れてない」
 あやめは白いお皿を再び洗い始めた。

「このふとどき者めが! 斬ってやる! 外へ連れ出せ!」
 青山主膳は怒声をあげて、刀に手をかけた。

 あやめは皿を洗い終え、お茶を飲みながらスマホをいじり始めた。
「やっぱりダブルソフト、特売で108円のときの2.5点が最強だな。それか、ロイヤルブレットの特売106円で2点ね」

 青山守善がお菊に斬りかからんとしたそのとき、奉公人の一人が来客を告げた。青山主膳の妻は、客人に血の穢れを見せることになるのはいけないと思った。妻は主膳にそれを進言し、刀を収めさせた。

 あやめは、冷蔵庫の扉に磁石で貼ってある、ヤマザキ春のパン祭りのピンク色のシールが幾つか貼られている紙を眺めた。
「シールを集められるのは4月30日までか。景品引換期間は5月16日までね」

「この女をどこかへ押し込めておけ!」
 青山主膳はそう言うと、お菊を手加減せずに突き飛ばした。地面に叩きつけられたお菊は、その痛みでうずくまった。奉公人の一人がお菊を抱き上げ、台所の隅にある物置へ運んだ。

 あやめは真剣な顔つきで、依然としてピンク色のシールの連なりを眺めている。
「ナイススティックが1点、まるごとバナナは1.5点ときて、コッペパン(つぶあん&マ-ガリン)は0.5点なんだよなぁ。まるごとバナナって、安いときは108円だものね。悩ましい」

 物置へ押し込められたお菊を、朋輩の下女たちは青山主膳に見つからないように介抱した。ところが、お菊は水も食事も取ろうとはしなかった。

 数日後、あやめは喜々として出掛ける準備をし、すっかりピンク色のシールで埋まった紙を大事そうにバッグに入れた。
「さて、お皿を受け取りに行きましょうかね」

 数日後、お菊は物置からいなくなっていた。青山主膳はひどく怒って、職場の部下の与力同心まで集めてお菊を探させた。そのうちの一人が、家の裏の古井戸の傍からお菊の履いていた草履を見つけて持ってきた。青山主膳は、お菊が自ら死んだとほくそ笑んだ。そして、公儀への届出には、お菊は病死したと記した。

 デイリーヤマザキに着いたあやめはレジに直行し、店員さんに例の紙を渡した。
「お皿をお願いします」
「はい」
 店員さんは、「1、2、3・・・」と点数を数え始めた。あやめはレジ横に並べられた和菓子を眺めながら、それを待った。

 お菊がいなくなってから時を経ずして、お菊の草履が落ちていた古井戸の辺りから、夜になると女の声がするという噂が立った。その声は、「一枚、二枚、三枚・・・」と何かを数えているという。

 店員さんはシールの点数を数え終えると、再びはじめから点数を数え始めた。「1、2、3・・・」、あやめも一緒に点数を心の中で数えた。数は進み、「25、26、27・・・」まで来たところで店員さんはあやめのほうを見た。
「1点、足りないですね。今年は28点なんですよ」

 古井戸から聞こえてくる声は「四枚、五枚、六枚、七枚、八枚、九枚・・・」までいくと泣き始め、「一枚、足りない・・・」と続いた。青山主膳の家の者たちは、それは死んだお菊が割ってしまった南京古渡の皿を数えているのだと誰もが思った。

 あやめは店員さんから返された紙を受け取り、店を出た。あやめは点数をもう一度最初から数え直した。「25点、26点、27点・・・」までいくと声はか細くなり、「1点、足りない・・・」と続いた。今日は5月6日。シールを獲得できる期間は、4月30日で終わっている。何事もなかったかのように振る舞えないほどの落胆がそこにあった。ピンク色に染まった紙を持ったまま、顎を突き出し呆然と立ち尽くすあやめを見た者は、点数が足りなかったのだなと誰もが思った。


「一枚・・・
  「1点・・・
     足りない・・・」
       足りない・・・」


 参考文献
田中貢太郎「皿屋敷」、『怪奇・伝奇時代小説選集13 四谷怪談 他8編』、志村有弘編、春陽文庫、春陽堂書店、2000年10月20日第1刷発行。(青空文庫、入力:Hiroshi_O、校正:門田裕志、2003年7月24日作成。https://www.aozora.gr.jp/cards/000154/files/4484_11820.html)。
 一部、底本をそのまま引用しています。

パン祭り2021

お皿、いただきました ♪


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