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卵をつくる村 【奇怪小話・1076字】

 村がある。その村がどこにあるかは分からない。閉ざされた山林の向こう、その村はある。山あいからは海が望める。人けのない静かな場所だ。
 この村では、卵がつくられているという。
 この村には、女しかいない。

 牧歌的な景色の山村に、卵をつくることに特化した科学技術、そして、スマートという言葉を冠するインフラシステムが実装されている。それゆえ、この村の女たちは、何不自由なく暮らしている。欲しいものは、何でも手に入れることができる。働きたければ働く場所が与えられ、働かなくても生活に困ることはない。食べたいものを食べ、飲みたいものを飲み、寝たいときに寝て、遊びたいときに遊ぶ、そんな自由気ままな日々を送っている。女たちはすこぶる健康的だ。ストレスのないことがストレスだとでも言いそうなほど、暮らしぶりは豊かだ。

 この村には、男は一人もいない。いや、オス個体は一つも存在しない。女に飼われている犬や猫などの動物も全てメスである。ヒトだろうと、動物だろうと、オスがこの村に立ち入ることは許されない。それには重大な理由がある。
 この村の女たちは、胚性幹細胞(ES細胞、human embryonic stem cells)作製に必要な卵子を供するために、ここに集められた。オスの匂いは女たちのホルモンバランスに影響を及ぼし、子宮の過活動を惹起する恐れがある。そのため、オスがこの村に立ち入ることは禁忌とされている。

 女たちの身体は、バイタル、排泄の回数・時間、睡眠時間、食事内容、精神状態、運動量、オーガズムの有無、巨細となく全て完全に管理されている。そして、月に一度、彼女たちは採卵される。その卵子はES細胞の原料となり、また、一部は受精後にこの村の女の子宮に戻される。メスのみ計画的に出産されている。


「これは、私たち選ばれた女にしかできない仕事だ。世界中に私たちの卵を待っている人たちがいる」


 ES細胞は当初、治療目的に採取された卵子のうち、余剰分として廃棄されたもので作製されていた。しかし、ES細胞はiPS細胞の最大のネックとされるリスクを超えられるものとして、研究者たちを魅了した。おのずと卵子は足りなくなった。そして、目的を達するための手段が有する悪は、正義と呼ばれるようになった。


 さて、排卵能は有限である。この村での役割を失った女はどうなるのか。



 山あいから見える海は、この村から歩いて数時間で到着する。
 よく晴れた深夜の海、月明かりが地平線へ向かって一筋の道をつくる。彼女たちはさいご、地平線の先を目指して、この道を歩いてゆく。彼女たちは既に、そうするようにしつけられている。




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