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兎のウにも怯ず 【小話・2178字】


 久しぶりにデートにこぎつけた男とレストランでの食事を楽しんでいたN子は、この男がはなった前置きのないある言葉をきっかけにして、落ち着きを失った。
「ウサギって、かわいいですよね」
「え? ええ。そうですね。かわいいですね」
 ウサギ。
「今度、ペットショップへ見に行きませんか。僕、飼ってみたいと思っているんですよ、ウサギ」
「ああ、そうなんですね。ペットショップ、ぜひご一緒したいわ」
「あっ、本当ですか。よかった。いやあ、それはうれしいなあ。じゃあ今度、ペットショップへ行きましょう」
「ええ」
—―(N子、心の声)え? ウサギ? なんでなんで? ウサギ? 急に来た。急に来ましたよ。ウサギの意味するところはなに? ウサギ、ウサギ、ウサギ……。ウサギって言ってもいっぱいいるわね。ウサギと言えば、因幡の白兎のことかしら。それとも、『不思議の国のアリス』の白ウサギかしら。まさか、あのウサギ……。取りあえず、まずはここから絞り込んでみますか。
「S雄さんは、白いウサギさんがお好みなんですか」
「え? 白いウサギですか。白もかわいいですね」
「そうですか」
―― 白も、ということは、白いウサギに限定するわけではないのね。じゃあ、あれではないのね。なんのウサギ? あ、かちかち山のウサギか。
「タヌキさんを成敗したあのウサギさんですね?」
「いや、そういうわけではないですよ」
―― 違う、と。なるほど。じゃあ、ウサギとカメのウサギ?
「本当は速いのに、亀さんに負けちゃうウサギさんかしら?」
「ああ、亀もかわいいですよね。でも、僕はウサギを飼いたいなあ」
―― ウサギとカメも関係なさそうね。あ、ピーターラビット? 三菱UFJ信託銀行?
「私ったら、あのウサギさんのことを忘れていたわ。青いチョッキを着た、いたずら好きのウサギさんですよね?」
「青いチョッキ? いや、僕はウサギに洋服は着せないかなあ」
―― ピーターラビットではない。そうなのね。だったら、なんのウサギなの。あっ、月のウサギを忘れていたわ。そうだわ。これだわ。
「お月さまでお餅をついているウサギさんを忘れていたわ。あのウサギさんですね?」
「ああ、月のですね。別にそういうわけでもないですよ」
―― あっ!
「月見じゃなくて、雪見のほう?」
「だいふくではないです」
―― なるほど。ふむ。そういえば、車があったわ。スズキのあれかしら。
「かわいい車ですよね、ラパン」
「いや、僕はヤリスのほうが気になります」
―― そっちかー。じゃあ、なんのウサギなの。ウサギ、ウサギ、ウサギ……。あっ、ジャビット君!
「あのオレンジ色のウサギさんですね!」
「いや、僕は中日ファンです」
―― そこは、コアラ。ウサギ、ウサギ、ウサギ……。いた! ローソンとか、フジパンとか、ミサワホームとか、いろいろコラボってるミッフィー!
「あ、お口がバッテンのウサギさんが好きなのかしら。かわいいですよね」
「ミッフィーではないですよ」
―― なっ、分かった。エスエス製薬からの、
「ハイチオールC!」
「違います」
―― だー、はー、また違ったー。ウサギ、ウサギ、どのウサギ……。まさか、バ、バニーガール?!
「網、タイ、ツ?」
「はい?」
―― 愚問だわ。肯定するわけがないわ。ウサギ、ウサギ、ウサギ……。ネタが切れた。ああ、ウナギが食べたくなってきた。いやいや、違う違う。ウサギよ、ウサギ。ウサギって言ったら……。


「N子さん。僕がウサギが好きだというのがそんなに不思議ですか」
 S雄に言われて、N子はハッとした。
「いいえ。そういうことではないんですよ。ただ私は……」
「N子さん、僕の言っているウサギは、純粋にウサギですよ」
「私は別に……」
「ここは僕が払います。今日は楽しかったです。またこちらから連絡しますね」
 S雄は席を立ち、N子を置いて先に帰っていった。


◇◇◇


 S雄は店を出て、まっすぐ家に帰った。
「今回も無駄足だったなー。ウサギっていうキーワードから、あのウサギが出てくる女はいないか。いきなり白いウサギって言ったからちょっと期待したんだけどなー」
 S雄はパソコンに向かい、オンラインカジノのページを開いた。
「俺の大好きなホワイトなラビット君」
 S雄はただぼんやりと、回転する数字と湧き出るコインを眺めている。S雄にしてみれば、女とデザートを食べた後のまどろっこしい交渉に気力も体力も消耗させられるぐらいなら、この白いウサギと夢を見ているほうが幸せなのだ。


◇◇◇


 S雄が去った後、N子は一人で二人分のデザートをしっかり平らげて、レストランを後にした。
「今回も無駄足だったなー。急にウサギの話をしだすから、あのウサギかと思ってちょっと期待したんだけどなー」
 N子は缶ビールを片手にパソコンを開く。
「私の大好きなホワイトなラビットさま」
 N子はただぼんやりと、回転する数字と湧き出るコインを眺めている。N子にしてみれば、今いちばん素敵な夢を見せてくれるのは、この白いウサギだ。


 明日は十月一日(旧暦八月十五日)、中秋の名月。恣意的なアルゴリズムに支えられた数字に夢を託した彼らが、月を愛でることなどあるのだろうか。



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(あとがき:この小話は、「マイナちゃん」という名前のウサギさんにインスピレーションを得て作りました。5000円分だかのマイナポイント、申請されましたか? 私はまだです。肝心のマイナンバーカードをまだ受け取っていないのです。)


月よりだんご ♪

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