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『僕の東京百景 - 南青山の下り階段』

 約2年半程、僕の勤務地は南青山の住宅地の中にあった。
 南青山はとても勾配の多い場所だ。大通りの方はそうでもないのだけれど、脇道の方へ一本入った途端に坂道や地下へ伸びる階段がたくさん現れる。土地代が高いせいかもしれない。住居から飲食店から美容院まで、地下に潜った場所で営まれている風景をよく見る。

 僕はそんなところへお金も払わず立ち入っては、階段をちょっとだけ降りて地下には何があるのかを確かめる遊びをよくしていた。
 あの店はこの階段の先にあるんじゃあ無かったんでしたっけね。という土地勘の無さを装おり、すぐに踵を返しては横目でさりげなく地下の様子を確認し、秘密基地のように構えられたガラス張りのオフィスがあることを発見してはニヤリとしていた。

 一風変わった構造が昼休憩の間にする散歩が楽しい街でもあったのだけれど、勾配の多さはネックになる部分もある。
 それは会社へと向かう通勤路の最中、急勾配の階段が岩壁のように立ちはだかるのだ。会社は階段を登ったすぐ先にあって、最後の試練と言わんばかりに聳え立つ。僕は勝手に「出社破りの階段」と名付けて呼んでいた。

 その壁のような階段が唯一の順路というわけではなく、幾つか別の往路があったのだが、僕は階段以外の道を使うことを頑なに避けていた。

 いつだったか階段を登りきった先に通勤中の上司が居て、目が合った拍子に「○○くん若いねえ」と褒められたことがあった。僕は咄嗟に「運動ついでに使うようにしているんです」と半ば反射で答える。その咄嗟の言葉は、僕にとって外すことのできない呪いの装備となった。
 言った次の日から他の道を使いだしたら、「もう運動やめたのかな」と思われるかもしれない。入社したての事もあって、継続力の無いヤツだと印象づけてしまったら何か支障をきたすに違いない。良からぬ妄想が膨らんだ僕は、それから出社破りの階段と長い付き合いを始めることとなった。

 夏の暑い日も、冬の寒い日も僕は階段を登り出社する。
 仕事でミスを犯した次の日の階段は精神的にもキツかったし、朝まで飲み明かした忘年会後の階段はもっとキツかった。
 逆に仕事や職場での人間関係が順調だったときは、階段の数が今日は少ないなと思えるほど軽やかに駆け上がれる日もある。コンディションによって姿を変えるその階段は、まるで生き物のごとく僕が出社する様子を毎朝寝そべりながら見守っているようでもあった。

 ある夏の日、残業に追われ、真夜中に会社を出た。
 いつもの習慣で階段を降りる。その日は澄んだ夜気が体の火照りを取り去ってくれるような気持ちの良い夜で、階段の頂上から夏の夜空が見えた。
 東京にあって、そこから見える景色は高層ビルなどの遮るものがあまり無い。仕事で疲れ果てた心を開放してくれるような、印象的な景色だった。

 それから、緊急事態宣言が発令され、会社でもテレワーク導入の流れが進み、僕が次に出社破りの階段を訪れたのは”退職”の日のことだった。

 職場での日々に思いを馳せながら、すこしだけ感傷的な気分のまま階段を登る。相変わらず勾配がキツく、段数も多くて途中で帰りたくなる。
 結局出社を破られることは無かった。この近辺に立ち寄る予定も当分無いので、しばしのお別れだと実感する。
 僕にとっての呪いの装備は外れ、東京での思い出の土地になったのだ。

 会社での諸々の挨拶を終え、僕の目の前に再び階段が現れた。
 下り階段の先には何があるのだろう。一抹の不安と期待が胸を撫でる。
 頂上から見える景色はよく晴れ渡っていて、そこから見える空の下にはきっと、これから出会う東京百景が待っている。

 僕は階段を降りる。

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