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肩を骨折、人口関節をはめ込む手術がやばかった
私の母は、背が低い。
もともと、142cmで足のサイズは、22.5cm。
顔立ちは美人ではないが、可愛らしさが売りだった。
その母も80歳近くなると、だんだん腰が曲がってきて、見た目は、120cmくらいに縮まってしまった。小学校1年生くらいだ。
気丈で頑張り屋の母は、市内のマンションで一人暮らしをしていたが、2020年の夏、寝苦しい夜にトイレに起きた。
枕元に置いてあった水差しとコップを、一旦キッチンに持って行こうと立ち上がった時、バランスを崩してしまい、転倒した。
すぐに手に持った物を手放せば、こんなに大ごとにはならなかったかもしれないが、母は「こぼしてはならぬ!」と思い、手に持ったまま肩から落ちてしまった。
あまりの痛みに、これはただ事ではないと思い、私や妹、孫たちに電話をかけるが、真夜中だったので、誰も出てはくれなかった。
仕方ないので、自分で救急車を呼んで病院に運ばれた。
その時の様子は以下のページに書いてある。
市内の古い病院に搬送され、しばらく入院をすることになった。
当時、母は80歳と高齢だったので、手術もできず、治療の方法がない。ただひたすら安静にと言われ、しばらく入院した。
2ヶ月くらい経った頃、あまりにも痛みがひどいので、セカンドオピニオンを受けた。
幸い、名古屋の大きな病院で、人口肩関節を入れてもらう手術ができることになり転院した。
手術の日、私は、一日仕事を休み、朝から病院へ行った。
昼前に看護師さんが迎えにきた。
「お母さん、いってらっしゃい」
というと、母は、ニヤリと右手をふって運ばれていった。
その後は病室でひたすら母の無事を祈りながら過ごした。
終了予定時刻まで、6時間くらいあったので、地下にあるローソンのカツサンドを買い出しに行って、アイスカフェラテと一緒に食べた。
ローソンのカツサンドって、なんであんなに美味しいのだろう?その病院の先生方もよく買われているようで、店頭には大量に並んでいた。
少し昼寝をした後、当時、マイブームだったズンバ動画を見ながらエクササイズをして時間を過ごした。
コンパクトな個室を用意されたので、気兼ねなく過ごすことができたのは幸いだった。
病室は15階で、窓からは名古屋市の南側が眼下に広がっていた。
夕焼けがとても綺麗で、うっとり見惚れていると、予定の6時が過ぎた。
しかし、それから待てど暮らせど、母は手術室から帰ってこない。
嫌な予感がよぎる。
高齢なので、麻酔に耐えかねて命に関わる重大なことが起こっているのではないか?
否!もしそうだとしたら、すでに主治医が血相を変えて知らせに来るはずだ。
ただ、手術が長引いているだけなのか?それにしても長くないか?
夕食を食べに行っている間に何かあっては困ると、空腹を我慢し、とにかく母の帰りを待った。
そして、21時を回った頃、汗だくの先生が、部屋に入ってきた。
先生は、見た感じ40代前半くらいで優しい顔だち。中肉中背で、いつもニコニコされているのだが、今日ばかりはグッタリとした表情だった。
「遅くなりましたが、無事に手術は終わりました。もう少しして麻酔が覚めたのを確認してから、病室に連れてきます」
「あ、はい。わかりました。あの、先生、汗が。大変な手術だったんですね」
「はい。お母様、骨がかなり弱っていて、ボロボロに崩れてしまったので、急遽、セメントのようなもので補強していたので時間がかかりました」
「え?ボロボロに崩れた?そ、そうだったんですか。大変お世話になりありがとうございました」
ええええ???
セメント?
セメントで骨を作ったの?
凄すぎる。なんというレベルの高い技術、器用なんだなぁ。
外科の手術って小さな工事現場のような感じらしい。
9時間近くもドリルやカナヅチでガリガリとやっていたのかと思うと気が遠くなる。
それからしばらくすると、母が戻ってきた。
「お母さん、お疲れ様。もう、夜になったんだよ。手術はうまくいったって」
言葉をかけるも、あまり反応せずだったが、私はひとまず安心した。
その日は、病院に任せて私は家に戻った。
翌日から毎日、母の顔を見に病院へ通った。母の痛みは激減し、快適な入院生活を3週間ほどで終えて、リハビリ専門病院へ移った。
❤︎LOVE&MIND&SOUL&MUSIC♬
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