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苦しい関係は手放していい

どうにも苦しい気持ちが抜けないので、ここで消化することをどうかお許しください。

先日とある友人に久しぶりに会ったのですが、やはり会うべきではなかったと確信したのです。その友人とは中学生からの関係で、当時から一緒にいるだけで疲れてしまい、気を遣って接してしまうような、そんな相手でした。会っている間は大丈夫でも、別れた後に心にモヤモヤ残ってしまう。次の日に熱を出してしまうこともある。優しい面もある反面、気が強くて、自分の思い通りにしたい面があり、私はそのエネルギーの強さにいつもやられてしまっていた。だから、卒業後はなるべく距離を取るようにしていました。それでも、私の出身校はなぜだか大人になっても関係を続けている人が多く、SNSでも繋がっていたりして、なんだかんだ関係が完全に途切れることはありませんでした。出身校同士で会えば、いつも他の友人の噂話が始まる。あの人は今こんな仕事をしていて、あの人は結婚して子供ができて、とか、それぞれが持っている共通の友人らの近況を話のネタとして提供し合うのです。私は人の噂話がそもそも好きではないし、なにが面白いのかよく分からない。その話、その子に許可取って話している?と聞いていてこちらが不安になるような、個人的な話も話題に上がって、むしろ不快な気持ちになる。私が以前に、ある友人1人だけに個人的に話した、とてもセンシティブな話も、なぜだか他の友人がすでに知っていた。あ、話したんだ、と冷たい感情が流れた。あの時、あんなに親身になって話を聞いてくれていたのに、他の友人に会った際に、まるでとっておきのネタのように面白おかしく話してしまうんだ、と知ってからは、自分の心に壁を作った。これ以上はこの人に話すまい、信頼できないからと。それでも、聞かれたら答えてしまうこともあって(私が会社を退職したとか、体調が優れないとか)、それもペラペラと共有されてしまって、またもや苦い気持ちになる。当時から嫌だった、そんな会話内容も、もういい年だし、みんな大人になったし、きっと大丈夫だろうと、少しばかり期待していた私がばかだった。何も、なにも変わっていなかった。他人の噂話で盛り上がり、それに少し見下した意見をして、ケラケラと笑う。褒めているようでも、上から目線で評価する。その友人がとても仲の良い別の友人の悩みをペラペラと話す。もしその友人のことが心から大切なら、私だったら第三者に勝手に話すことなど考えられない。理解し難かった。自分で受け止める器がなくて、耐えられないから話してしまうのだろうか。それは本当に大切な友人と言えるのだろうか。こちらの心の柔らかいところを見せれば、すかさず棘が刺さってくるだろうから、私は心に鎧を着せて、決して柔らかいところを見せまいとがんばった。がんばらないと、やっていられなかった。そしてそれはとても疲れることだった。冷ややかな目線も、つっけんどんな物言いも、心に刺さってしまうと痛いと知っているから、なんとか跳ね除けようとがんばった。痛みに気づかないように、心に蓋をした。でも、棘は沢山刺さってしまっていた。現に、私はその痛み、その毒によって今も苦しくて、この文章を書いているのだから。なんで会ってしまったんだろうと悔やんでももう遅いから、もう会うまい、自分を守るために、もう会うまい、と思って書いている。友人関係は難しいし、人と縁を切ることはエネルギーのいることだ。たとえばSNSもLINEもブロックしてしまえば、連絡手段がなくなるから簡単に思えるけれど、新たな確執がうまれてしまうことになる。それ自体をまた話のネタにされることも不本意だ。私の正直な気持ちを伝えて理解してもらうことも、もはや期待してもいない。そもそも関係を続けたいと思っていないのだから、伝える意味がない。だから、特にこちらからはアクションを起こさずに、するりと消えていきたい。私がこんなに苦しんでいることなど想像もしていないだろうし、知らなくてもいいから、解放されたい。お互いにとって心地よい関係を築ける相手とだけ、自分の大切な時間を使って、心から繋がっていたい。年齢を重ねて、もう不必要に苦しむ人間関係はいらないと実感する。思えばその友人と会う約束をしていた日の朝、私はたぶん寝違えによってこれまでにないくらいに背中が痛んだ。首を動かすのも痛いほどに。そして翌日は理由もなく左手が痛んだ。身体は全部知っていたのだ。サインを出してくれていた。自分にとって良くないことだと、伝えてくれていた。これからはもう、そうした自分の直感を第一に信じて生きていこう。先日オーディブルで聴いた、吉本ばななさんの『幸せへのセンサー』にもあったように、身体のセンサーに従って、自分の快適な状態を知って、無理してがんばってしまう状況からは身を引いて生きていこう。

長々と書いてしまって申し訳ないし、私にとってこれは解毒作業の一つでもあるけれど、もし今友人関係や人間関係で悩んでいる人がいたら、自分の幸せのために、苦しくなってしまう人からは逃げてもいいのだと伝えたい。簡単なことではないから、時間はかかってしまうと思うし(現に私は中学時代から悩んでいる)、それは仕方がない。人は人に期待してしまうし、少し間が空けば、その人との楽しかった思い出や、良い面に目がいくものだから。それに、私が弱かっただけなのかもしれない、と自分に原因があるように考えてしまうこともある。それでも、人は変わらないのだということを私は今回勉強したし、人との相性もまた、それぞれなのだ(その友人といい関係を築いている友人もいる)。私には合わない、なぜなら私がその人といると緊張してしまうし、怖いし、疲れるから。それだけで、その関係をやめる理由になる。なにも悪いことではないし、自然なことだ。まずは自分が幸せな状態でいること、それが一番大切なのだと、強く思う。これは私の人生で、私を幸せにできるのは、私だけだから。

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