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離婚は最善の策なのか、揺れ動く

本来、離婚とは結婚した「夫」と「妻」の問題である。

しかし、子供を持つとそう単純なものではない。
「夫」と「妻」の関係は破綻しかけていて、もうお互いがこのパートナーとはやっていけないと思っていたとしても、すでに「父親」と「母親」になっている場合は、子供の存在が重くのしかかる。

子供がいない場合はまだ離婚が現実的なものかもしれないと思ったりもする。しかし、すでに子供がいる場合はそうはいかないものだ。

夫(父親)にとっても、妻(母親)にとっても、子供とはかけがえのない存在であることは共通している。親として、子供の幸せを願い、子供の将来を考えるものだし、そうしなければならないはずだ。両者にとって、離婚によりパートナーと関係を終わりにすることはメリットだけではない。子供への影響を第一に考えなくてはならない。

しかし、子供の幸せこそが最優先ではあったとしても、それで自分の幸せはどうなってもいいかというと、悲しいことにそこまで人間は強くはない。現在の離婚原因で男女ともに最多である「性格の不一致」である場合、どちらか一方に決定的な「悪」があるわけではないのだ。客観的に見ればどちらかにより大きな問題があったとしても、お互いに言い分がある。そのような場合、父親だって一人の人間であり、自分に決定的な過失がない以上、子供を実質的に失うことは耐え難い。

ほとんどの父親にとって、離婚とは子供との関係が希薄になってしまうことを意味している。もちろん、定期的な面会などはあるかもしれないが、現実的にはそれで十分ということはなく、子供とは離れ、実質的な距離だけではなく、心の繋がりも遠くなっていく。これは父親にとっては耐え難い苦痛である。

どうせなら、「子供が幸せならそれでいい」と割り切りたい。自分がいなくても子供が100%幸せに成長して将来を暮らしていくということが確約されているのであれば、逆にまだ救いになるだろう。しかし、両親が離婚し父親がいないということが子供にとって少なからず精神的な負担や不安定さを生じさせてしまう可能性は完全には否定できない。そう考えると、子供の幸せと自分の幸せ、どちらにとっても離婚は本当に最後の手段ということになり、躊躇せざるを得ない。

そこまで考えた時、今すぐ離婚するという決断には簡単には踏み切れない。
これはその時々で感情が揺れ動く。妻とのやり取りで、そこまでわかっていてももう離婚だという気持ちになる時もあれば、少し落ち着いて冷静になってもう一度なんとか夫婦の関係を修復する努力をしようという気持ちになる時もある。

離婚すること、それ以前に離婚を考えること自体が本当にストレスである。
離婚は結婚よりも何倍も大変というのはまさにその通りであった。まさか自分がこんなことになるなんて結婚時には思っていなかったであろう。まだ結論は出ない。その時々で思考は変わってしまう。ある時はなんとか修復する方法はないのか、あるときはいかに用意周到に離婚の計画を練るか。

これを書きながらも気持ちは揺れているのが現実だ。それだけ子供の存在が大きすぎる。子供を愛しているのは夫も妻も共通だ。これだけは唯一変わりなく、普遍的な事実なのだと思う。

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