人を好きになるって…

〔人を好きな状態〕って説明が難しい。

それって、どんな種類の好き?

相手のために死ねる程とかで言うと、どの程度好き?

人として好き、と異性として好きは、完全に分けられるものなの?

などなど、誰にもすっとは答えられない事だと思う。答えられても、「これぞ正解!」という自信はないのではないだろうか。

そんな中、昨日は『浮気や不倫を許さない』という問題について、少しふと考えた。

私は、一般的な独身女性よりも、それについてはかなり寛容だと思う。でも、ただ何となく寛容なのではない。

私だって悲しい。元来、とても嫉妬深い女である。本当は、誰とも目線を交わして欲しくはないし、「この話題は他の女の人としてもいいけど、この話題は関係性が深く感じられるから駄目」ということも、流石に相手には伝えないまでも、自分の中で明確に持っているような女である。

そんな私が何故寛容なのか…あまり誇れた内容ではない事から言うと、

「そんなに激しく、人を好きになることがなくなった」

「自分がそちら側だったからこそ、男がそういう相手の女をどう思い、どう扱うかを知っているから」

というリアルで恥ずかしいこともある。

でも勿論それだけでもなくて。

私は自分一人の力では、誰か一人を幸せにし続けることはできないと思っている。それはたぶんこの世界の誰も。自分自身が不幸で余裕がなくなれば、簡単に相手を幸せにするどころではなくなるし、人間には飽きるという厄介な特性がある。相手だって、嫌いではないまでも、私に飽きる時が来る。そうなれば、最早、私に、相手を幸せにしてあげることは難しいのである。逆もまた然りだが。

相手のことを本当に思うなら、相手が今幸せに感じるであろうことを最優先すべきであると思う。

それが20代なら、質は問わず(笑)とにかく複数の女性と過ごすことだろうし、

50歳目前、女性と遊べるチャンスも減ってくるであろう端境期なのなら、他の女性と思いっきり遊ぶことであうし、

その時期時期を支えてあげたい。幸せでいてほしい。だって、夫婦になったり、恋人になるって、それでなくても相手のために制限が加えられてしまうことだと思うもの。それでも、そうすると決めてくれた人には、それでも少しでも、自由に幸せであって欲しいじゃない?

配偶者だって、勿論恋人だって、自分の人生道と、寄り添いはしても、重なるような事は一生ないのだから。

それにそのくらいの方が自分の人生や幸せについてだって、そう思えて、自由でより楽しいはず♪♪♡

「自分の幸せを考えすぎる求めすぎると幸せではなくなる。他人の幸せを考えて生きた方が人生楽」というの真理だと思う。

人は何事でも、近くで長時間見過ぎると、悪い部分ばかり目に付くものである。これは個人の努力でも難しい境地であり、ヒトの特性上仕方ない。

不倫や浮気で騒ぎ過ぎてしまう人には、これが少し足りていないのではないだろうかと感じるのである。

何だか、綺麗事嫌いな私らしくない内容になってしまいました・・・

でも、たまにはこんな事も言います(笑)

#好き #夫婦 #恋人 #つながり #綺麗事 #自由 #浮気 #不倫

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