歪んだ青春を送ったわたしへ
「歪んだ青春を送った人に読んでほしいんだ」。そうおすすめされ、貸してもらった漫画『ぼくは麻理のなか(押見修造著)』。彼はなぜわたしが歪んだ青春を送ってきたことを知っているんだ……と訝りつつ、ちょっとエッチな感じの表紙をめくった。
美少女高校生・麻理と大学生ニート・小森が「入れ替わってる?!」的な話かと思いきや、そうではない。なんらかを引き金に小森の人格が麻理の体内に入り込むが、小森は小森で肉体も人格も存在し続けている。では、麻理の人格は何処へ? というお話。つまり、魂の数でいえば麻理は0人、小森は2人いることになるのだ。そして、麻理の“中の人”が変わってしまったことに唯一気づいたクラスメイト・依と小森(麻理)で、本物の麻理を取り戻すため、残された痕跡を探っていく。
ひとりの人間を客観的に見つめ、ゼロの状態から周囲との関係性を構築することで、人が如何に多くのものを背負っているかがわかる。小森が麻理として学校生活や家族との暮らしを送る様は実に生々しく、読み進めるごとに胸がぎゅうと締め付けられてしまう。
まず外に出れば通行人にエロい目で制服姿を見られ、狭い教室では見た目やキャラの華やかさが基準のカーストが露骨に繰り広げられる。上位女子グループ内でも上っ面だけで馴れ合い、時にはしょうもない男を巡ってさらに狭い人間関係が崩壊していく……。女子として学生時代を送ってきた人は、ポジションがどこであろうが、この小さな痛みの積み重ねにきっと心当たりがあるはずだ。
家族というコミュニティも、付かず離れずの微妙な距離感を保っていた。見栄ばかりの母、仕事ばかりの父、そんな両親の危うい関係性に気づいているのか気づいていないのか、あっけらかんとした弟。容姿端麗で明るく真面目な性格の麻理は、常にクラスの中心人物だ。きっと家庭でも家族仲を取り持つムードメーカーだったに違いない。そんな彼女の部屋は、一見“普通の”女子高生らしいものに囲まれている。ぬいぐるみやプリクラ帳に、化粧品、立ち鏡。しかし、そんな彼女からは想像もつかないような秘密が、部屋のなかに隠されているのだ。
麻理はほんの一例にすぎない。女だって男だって、高校生だって大人だって、容姿がよいとされる人もそうでない人も、いろんなものを抱えているのだ。人は見かけでも、一面でも判断してはならない。というかまずもって人を判断するだなんて発想自体がおこがましい。人は四次元的に変化する生き物だし、そもそもその人自身が自分という人間を理解していないことがほとんどではないか。
さて、「歪んだ青春」を送ってきたわたしに一番響いたのは、小森が麻理になった原因の真髄だ。結論からいうと(ネタバレをすると)、小森が麻理になったのではなく、麻理が小森になってしまっていた。もっといえば、幼少期の麻理(ふみこ)が麻理をつくりだし、麻理が小森をつくりだしていたのだ。麻理は周囲からの期待に応え、必死で“麻理らしく”いようと努めてきたが、果たしてそれは“自分”といえるのだろうか……? がんじがらめになった麻理は、自身とはまるで正反対に生きる小森に憧れを抱くようになり、自らの内に小森を生成してしまった、というのがことの顛末。読み終えたとき、即座に「麻理はわたしだ」と思った。しかしよくよく考えると(未読の人はさらに混乱するだろうが)、「わたしは麻理だった」の方が正しいかもしれない。
わたしも、“りっか”という人間を意識的につくり上げてきた自覚がある。麻理はきっと、いわゆる「なにを取っても完璧な美少女」を目指すことを強いられてきたが、わたしの場合は少し違う。わたしが創造したのは、コミュニティに合わせた“りっか”だ。まとめ役がすでにいるならば、その人を困らせないようなフォロワーに、逆にリーダーが不在ならリーダーに名乗りでる。要するに都合のいい人材だ。己をその場その場で“りっか”たらしめてきたのは、「誰からも嫌われたくない」という強い恐怖心。この点は麻理と同じかもしれないが、結局そんなことは不可能なのである。こんな単純明快な自然の摂理に気づくのに、わたしは麻理の倍近くの時間をかけてしまった。
相手によって“中の人”を入れ替えてきたわたしは、空っぽだった。空っぽの自分を自認し、空っぽを“ほんとうの自分”で埋めたいと思えるようになったとき、自我が目覚めた。自我とはつまり、決して他者に左右されない、自身の欲求に従うことである。ずっと“りっか”もどきを演じてきたわたしには、容易なことではない。「〇〇がしたい」「△△はしたくない」「■■は好き」「××は嫌い」という小さな小さな心の声に耳を傾ける訓練を続け、最近やっと自分を取り戻した。今のわたしは、「嫌われてもいいから、自分を貫きたい」と思える。もう、小森麻理には戻らない。
けれど、これまでの「歪んだ」過去が無駄だったとは思っていない。後悔もしていない。これまでつくり上げたたくさんの“りっか”たちが、今のわたしを構築してくれている。麻理を取り戻した麻理も、ふみこや小森が今後の人生の支えになるはずだ。理性でコントロールできない、自然と生まれた「歪み」こそ、その人だけの「強み」なのかもしれない。
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