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都市観察シリーズ①祈りの場所

写真整理の時に必ず目に止めてしまうような写真たちがたくさんあるので、ぜひこちらに都市観察シリーズとしてまとめていこうという趣向である。

解体工事の現場を見るのが好きだ。
何気なく通り過ぎていた建物に突然足場やシートがかかり、解体工事が始まると、毎日同じ道を通って観察してしまう。するとそれまで持っていたその建物のイメージは表面の皮一枚にすぎなかったのだと理解する瞬間がある。


それは自分にとってなんの関係ないのだから当然の事だ。

と言ってしまえばその通りなのだが、そもそもその建物にどんなイメージも持っていなくて、それはただ自分の生活環の中で背景であり、モブであり、2次元的な景色としてあったものが、解体が始まった途端に生々しくて肉体的なレイヤーが加わるということに毎度驚いてしまう。
さらにあまりにもあっさりと、思ったよりも小さな更地となり、また新たな風景として更新されていくことに少し戦慄する。

トップの写真は仕事場の近くにあった一軒の住宅の解体現場である。

何年もひと気がなく、雑草も生い茂っていたので空家だろうと思わずとも思っていた矢先、突然どやどやと人が入り家財道具やゴミなどをトラックに積み込み始めた。あっという間に足場が建ちシートで覆われ解体が始まった。

少々雑な業者だったとみえて解体もある程度進むと、毎日なんの囲いもせずに帰って行くので、日毎露わになる生活の断面に私はイヤらしくもまた感動していた。

解体も最終段階に入り、残すところ1階の西側と南側の壁のみとなったのに、なぜか3、4日工事が止まっていた。

原因はもちろん知る由もないが、そこには仏壇が露わになっている。まさかこの段階で性根を抜いていないなんていうことはないと思うが、何日もそれは天地に晒されていた。

解体を通して何年も空家になっていたと思われる私にとってのモブ住宅(築40年くらいか)は、確かに生活があって、誰かを育て、誰かが死に、誰かに祈っていたことを私に知らしめた。

そしてその建物の一番奥にあるもっともナイーブな場所である祈りの場が露わになってこちらを見ている。

多少バチ当たりかと慄いたものの、このありえない状況をどうしても撮りたくなった。そして持っていたスマホで撮影した翌日、工事は始まりこの建物は跡形もなくなった。



これも日本人の古代から続く建築感というのだろうか、スクラップアンドビルドになんの躊躇いもないことは都市機能を充実させるのにうってつけではあるのだが、その代わりどこもかしこも記憶喪失に悩まされている。
都市のイメージとして解体の時に現れるレイヤーは本当に微々たるもので、ほとんど誰の記憶にも残らない。
見ず知らずの人の人生を支えた建物はたった2週間で消え、アスファルトの駐車場になった。
近所の人たちもすでにその景色をなんとも思っていないだろう。私もなんとも思っていないことに、少しだけ悲しくなった。





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