見出し画像

【短編小説】赤信号が君の顔を照らして

1

 今日も通学路の途中にある横断歩道で、オレはたくさんの人とすれ違う。
 その中にはこれから学校に向かう友達もいて、オレは『おはよう』と声をかけるのだけれど、毎回いつもシカトされる。目さえ合うこともない。別にハブられているとかじゃない。

 だってオレは死んでいるのだから、気づかなくって当然なのだ。

 幽霊なんて信じてなかった。自分が幽霊になるまでは。

 オレは二ヶ月前、学校に行く途中にこの横断歩道で車にはねられて、死んだ。
 気がついたら、足をおかしな方向にねじ曲げて頭から血をドクドク垂れ流している自分の姿を見下ろしていた。最初はめちゃくちゃパニクった。だって、声をかけても誰も気づかないし、触れようとしても通り抜けてしまうんだから。でも救急車がやってきて、オレの体を担架に乗せて走り去っていくのを見たとき、ようやくオレは悟った。自分は幽霊になったんだって。それも地縛霊というやつなのか、なぜかこの横断歩道からオレは出られなかった。なにか見えない“ガラス板”のようなものにオレは閉じ込められていて、このたった数メートルの横断歩道からオレは指一本外に出すことができなかった。泣くことも、眠ることもできず、オレはひとりぼっちのままで横断歩道に佇み続けた。

 ここはオレが通っている中学校の通学路だからクラスメイトたちもたくさん通る。そしてオレの友達も。オレが死んだ当初はこの横断歩道を渡るのを避けていた友達も、今ではフツーにここを渡っている。楽しそうに、笑いながら。はじめはそんな風にして自分の死がみんなの中で薄れていくのはショックだったけれど、今は別になんとも思わない。というか当たり前のことだ。いつまでも死んだ人間のことを引きずって生きてなんかいられない。オレたちは中学二年生で、テストやら、部活やら、人間関係やら、恋愛やら、将来やら、小学校のときとは比べものにならないほど考えなきゃいけないことがたくさんあった。そんな目まぐるしい日々の中で、横断歩道を避けて通ったり、毎回手を合わせたりなんかしていられない。一日中横断歩道にいるとよくわかる、みんな忙しいのだ。オレだけが、退屈を持て余していた。

 マンガの中に出てくる幽霊は、空を飛べたり、人前に姿を現して驚かせたり、超能力めいたものを使ったりして、結構自由で楽しそうだったけれども、実際なってみるとこれほど面白くないものはなかった。ただ、横断歩道を行ったり来たりするだけだ。
 初めは地面に寝っ転がってみたり、行き交う車の数を数えてみたり、大型トラックが自分の体をすり抜けていく感覚を楽しんだりして時間を潰していたけれど、すぐに飽きてしまった。どうせ死ぬならコンビニかCDショップがよかった。コンビニなら立ち読みしている客の後ろから雑誌を覗き見できるし、CDショップなら店内でかかっている音楽を聴くこともできたのに。

 今の唯一の楽しみといえば、人も車も姿を消す真夜中に、横断歩道の端っこにしゃがみこんで、星を見ることだけだった。生きているころは夜空なんかいちいち見上げたりしなかった。夜空は毎晩その姿を変えるということや、星はすべてチカチカ点滅しながら輝いているということをオレは死んでから知った。間近に見える星々も、実際は何光年も離れているといつか授業で聞いたことがある。星は、たったひとりでさみしくないのだろうか。星は、たったひとりで退屈しないのだろうか。そんなことを考えながら、オレは毎晩、夜を明かしていた。そうして白んでいく空を眺めながらいつも思った。オレはいつまでこの横断歩道に留まっていればいいのだろうか。

 早くこの世界から消えてなくなりたい。

 それだけがたったひとつのオレの願いだった。

 よく晴れた日曜の午後三時だった。何年何月何日の何曜日の何時何分だろうがオレにはもはや関係ないのだけれど、オレは歩きスマホをしている人の画面を覗き込んだり、腕時計を眺めたりして日時を把握するようにしていた。別に意味のない、ちょっとした暇つぶしだ。オレはいつものように横断歩道の真ん中に突っ立ってボーッと信号を見つめていた。赤信号が青に変わると、歩道に溜まっていた人々が一斉に溢れるように歩き出す。休日だからいつもより人は多い。行き交う人々はさまざまだ。ゲラゲラ笑いながらハンズフリー通話している人や、首で小さくリズムを取りながらヘッドホンで音楽を聴いている人、何やら思いつめた顔でまっすぐ歩く人、キャリーケースを引きずる外国人観光客……何一つとして同じものはない、でも何もかも変わらないいつもの休日の景色。オレはあと何回、この景色を眺めるのだろうと思いながらボンヤリしていると、後ろから声が飛んできた。

「ソガくん?」

 オレはびっくりして振り返った。まさか、オレの名前を呼ぶやつがいるワケがない。同姓の誰かを呼んだのか、もしくは単に聞き間違いだろう。そう思いながらもオレは振り返らずにはいられなかった。
 そこに立っていたのは、小学校の頃のクラスメイトのニシダだった。髪が長くなり、背もだいぶ伸びていたけれど、間違いなかった。ニシダはオレの顔を見てそのぎょろりとした目を丸くしていたが、オレもあっけに取られていた。

「に、ニシダだよな?」
「うん」
「え、あ、に、ニシダ、オレのこと見えてんの?」
「わたし、その、見える人、だから」
「そ、そうなんだ。知らなかった」
「ソガくん……死んじゃったんだね」
「ああ、二ヶ月前にここで事故ったんだよ。そ、それよりさ、そういうチカラあるんだったらさ、なんとか、オレのこと、ジョーブツさせてくれよ。オレ、この横断歩道から出ることもできないんだよ」
「えっと……」ニシダは唇を噛んでうつむいた。「……そういうことは、できないんだ。ただ、  “見える”っていうだけだから」
「もう疲れたんだよ! 頼むよ、なんか方法知らないか!?」
 オレは勢いのあまりニシダの両肩に手をやろうとしたけれど、その手はニシダには触れることなく、ただ空を切るだけだった。ニシダは一瞬ちょっとびっくりしたようだったけれど、寂しそうな目でオレを見ると、ふるふる首を振った。
「……ごめんね」
「なぁ、頼れんのお前しかいないんだよ! この二ヶ月でオレに気づいたのはお前だけだ! もう一人でいんの、イヤなんだよ!」
 そのとき、クラクションの音がけたたましく鳴り響いた。見ると、大型トラックに乗ったヒゲ面のドライバーが訝しげな顔でこちらを見つめていた。信号はもうとっくに赤に変わっていた。ニシダはぺこりとドライバーに頭を下げると、小さな声でオレに言った。
「じゃ……またね」
 そしてニシダは小走りで横断歩道の向こう側へと走っていった。
「またね、って……お、おいっ!!!」
オレは慌てて後を追いかけた。けれど、ニシダに追いつくことはなく、オレは“ガラス板”にぶつかった。小さくなっていくニシダの後ろ姿にオレは大声で叫んだ。
「ニシダ! 待ってくれ!! 行くな!!!」
 けれど、ニシダが振り向くことはついになかった。オレはまたひとりになった。


ここから先は

8,213字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?