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連続パンク小説『ババアイズノットデッド』 第七話





この世の全てのおばあちゃんと全てのおばあちゃん子に、そして最愛の祖母・笑子に心からの心を込めて本作を捧げる。
 




第七話 踊る理由

 それからというもの、ヒナタは閉じこもりがちになった。外出もほとんどせず、一日中部屋にこもっていた。最近は家族全員で食事をとることも増えていたが、このところは呼びかけてみても『いらない』と突っぱねるばかりで、顔さえろくに見せなくなっていた。バンド活動にも消極的だった。ウメがスタジオ練習にさそっても『頭痛いからムリ』とか『のどの調子が悪い』とかいって断るばかりで、とにかくまるでつれないのであった。自室で歌をうたったりギターを弾いたりすることさえもなくなったようで、ウメは突然の孫の不調ぶりをおおいに訝しみ、そして心配していた。気がつけば“孫と私”のファースト・ギグからもう二週間が過ぎていた。

 そんなある日の午後である。ウメが近所の公園でオーリーの練習に明け暮れていたのち帰宅すると、二階のヒナタの部屋のまえに心配顔のビワコが立っていた。

「ねえヒナタ、お母さんシュークリーム買ってきたの」

 ビワコは精一杯明るい声をとりつくろっているようだったが、扉の向こうから返事はなかった。

「最近ね、トゥイッターでバズってすんごく並ぶお店なんだけど、けさ運よく二個買えたのよオ」
 
 やはり返事はない。それでもビワコはくじけず声を張り上げた。

「いま、お父さんとお義母さんもいないしー、ふたりで内緒で食べちゃわないかな、って思って」
「……いらない」

 ようやく扉の向こうからきこえてきたのは、力ない拒絶だった。ビワコは一瞬ためらうように目を伏せたが、わざとらしい、甘えた声で続けた。

「そんなこと言わないで〜。見たら絶対食べたくなるからっ、ほんとに、すっごく美味しそうなのよ。ね、食べましょうよ。お母さん二個も食べたら太っちゃう……」
「いらないって言ってんじゃん! お父さんでもおばあちゃんでも勝手に分ければいいでしょ! とにかくっ、アタシはっ、いらないからっ!」

 とげのある声が廊下に響きわたった。ビワコは扉に手を置いて何かをいおうとしたが、やがてあきらめたように首を振ると溜息をつき、踵を返した——そして、棒立ちになっているウメにようやく気づいた。ふたりは顔を見合わせると、たがいに黙ったまま、神妙な面持ちでうなずいた。



 ふたりはリビングのテーブルで向かい合い、シュークリームを頬張っていた。ウメは一口食べるたびに法悦の表情を浮かべ、噛みしめるように漏らしていた。

「……ああ。うめえ。うっめえ。クリームが……口の中で……トロけて……」

 対するビワコはどこか浮かない顔でモソモソ咀嚼していたが、やがて意を決したかのように大口を開けて一気に飲み込むと、おずおずとした顔で切り出した。

「……ング。あの、お義母さん」
「なんだべ?」
「……これを、観ました」

 そうしてビワコはポケットからスマホを取り出すと操作し、ある動画をウメに見せた。それは、先日の“孫と私”のファースト・ギグの映像だった。観客の誰かがスマートホンで撮影したと思しきその映像は、ウメが演説をして一気に演奏になだれ込むその一部始終がうつっていた。ウメは大げさにのけぞりながら両手を上げて驚いた。

「あややっ」
「先週、YouTubeに上がってました。ネットではものすごい話題になってて、再生回数がもう60万回を突破してます」

 ウメはいかにもバツ悪そうにうつむいた。ウメ的にはバンドのことは完全に隠しおおせているとばかり思っていたからである。ビワコは肩をすくめてスマホをテーブルの上に置くと、静かな声でつづけた。

「……あの子と、ヒナタとバンドをやってるってことは、知ってました」
「へ」
「ライヴのまえに、あの子から聞いたんです。でも、お義母さんは話してくれなかったですね」
「……すまなんだ。決して隠してたワケじゃないんだけども……」
「いや、どう見ても完全に隠してたでしょう。わざわざワタシたちが寝たあとに二人で家を抜け出したりしてたじゃない」
「……それは……そのう……」
「……でも、お義母さんが話してくれなかったのも当然なんです。ワタシが、そういう空気をつくってたんです。今まで、本当に、ごめんなさい」

 そしてビワコは下唇をきゅっと噛むと、深々と頭を下げた。唐突な謝罪にウメはただただ目を丸くするばかりだった。ビワコは目を伏せたまま、声をふるわせていった。

「あなたは……気づかせてくれた。大事なことを、思い出させてくれた。あの日のドロップキックは本当に痛かった。すごく痛かった」
「ああ、すまなんだ。あれは本当に反省しとる」
「いいんです。ああやって蹴っ飛ばされなかったら、ワタシはきっと、取り返しのつかないことになってた。本当に大切なものを失ってた。あなたのおかげで……私は変われた」
「……ん。お世辞でもそう言ってくれっと、救われるなァ」
「ワタシだけじゃない。ヒナタを変えたのもお義母さんです。あの子を、また……明るい場所に、連れていってくれた」
「そんな、大袈裟だべしゃ」
「いいえ。この動画を観て、思ったんです……もうずっと、あの子の笑顔を見てなかったなって……あの子がこんなふうに笑うってことを、ワタシはずっと忘れてた……母親、失格です」
「失格なワケねえべさ。あんたはよくやってた。ただ、ちょっとだけ、ほんの少しだけ、混乱しちゃっただけだべさ。母親に合格も失格もねえべさ。母親は……母親だべしゃ」
「……はい」
「生きてりゃあ、何べんだってやり直せる。遅すぎることなんてひとつもないんだ。使い古しの言葉だけんど、これはホントだ。ほんとに、ほんとなんだ」
「……ありがとう、ございます」
 
 それからふたりはしばし黙った。だが脳内ではお互い全く同じことを考えており、それをどう切り出そうかタイミングを見計らっていたのだった。口火を切ったのはビワコだった。

「……ヒナタのことなんですけど」
「ああ。最近、元気ねえなあ。なんかあったんかなあ」
「やっぱりお義母さんも心当たり、ないですか」
「うん、なんとかしてやりたいんだけどなぁ。気分転換に植物園に誘っても“虫がいるから嫌だ”っていうし、動物園に誘っても“ゴリラが怖い”っていうし」
「ヒナタはゴリラ恐怖症なんですよ」
ゴリラ恐怖症? そんな奇病がこの世にあるとは」
「あの子、小さい頃に動物園に行ったときにね、ゴリラにウンチ投げられてるんですよ」
ゴリラに、ウンチを? そりゃ初耳だ」
「はい。ゴリラに、ウンチを、顔面に
ゴリラにウンチを顔面に、かァ……そんな悲しい過去を背負っていたとは……そうか……ゴリラのウンチか……」
 
 ウメはそういって物々しい表情で目を伏せた。このままでは永久にゴリラのウンチの話題から抜け出せないような気がしたビワコは短く咳払いすると、強引に話題を引き戻した。
 
「……まぁ、とりあえずゴリラのウンチのことは置いておくとして、私思うんですよ、ひょっとしたらライヴハウスで何かあったんじゃないかって」
「まさか、そんな……いや…………ギグは大成功だったし……」
「何か心当たり、ないですか?」
「……打ち上げのときには心なしか元気なかったかもしらんな」
「そこだ! そこですよ! そこに何か手がかりがあるかもしれない!」
「……もしや!」
「何か思い出しましたか!?」
「ひょっとして、ひょっとしたら、手がかりが掴めるかもしらん! ちょっと、行ってくるわい!」

 言うが早いかウメはやにわに立ち上がると、玄関へ駆け出した。

「アッ、お義母さん!? どこへ!?」

 困惑顔のビワコに、ウメは親指を立てて言った。
「心配ゴム用、陽はまた昇る!」
 そしてウメはスケボーに乗ると、スマホを取り出し、真相を知っているかもしれないその人物に電話をかけたのだった。


         ※     ※     ※


 アンティークのシャンデリアや照明器具が落ち着いた雰囲気を醸し出す、こぢんまりとした喫茶店で、ウメとジローはテーブルをはさんで向かい合っていた。アール・デコ調の模様が施されたエッチング・ガラスの窓から差し込む斜陽が、テーブルの上におかれた真鍮のマグカップをきらきら反射させていた。ジローは人好きのする微笑をにじませながらいった。

「いやあ、まさかウメさんから呼び出し喰らうなんて思わなかったな。何かあったんですか?」
「実はヒイちゃんがギグ以来、ずっと元気なくてなぁ」
「え、ほんと?」
「心当たりがないもんでよ、ひょっとしたらジローさんなら何か知っとるんじゃないかと思っとったんだけども……」
「んー……申し訳ないんですけど、おれも、心当たりはちょっと……」

 ジローはカフェオウレにスティックシュガーを入れると、左手にスプーンを持ってそれをゆっくりかき混ぜた。その左手薬指にキラリと光るものを見つけた瞬間、ウメはすかさず反応した。

「あれ、その指輪は……」
「わ、もう気づかれた。さすがウメさん、観察眼やばいですね」
「もしや、あんた」
「おれ、結婚するんですよ。来月」
「来月!? え、い、今まで指輪なんかしとらんかったろ!」
「やー、式で指輪交換するまで取っとく予定だったんですけど、彼女がもう我慢できないっつって」
「な、なんで今まで隠してたんだい」
「隠してたワケじゃないですけど、なんか、わざわざ言うことじゃないかと思って。こないだもヒナタちゃんにびっくりされました」
「ヒイちゃんに?」
「はい、ライヴ終わりに彼女が一瞬顔出してて。そんときばったり出くわしちゃったんですよ。すんごいびっくりしてたなー」

「……なるほど、そういうことじゃったか」

 すべて合点がいった。ヒナタが落ち込んでいるそのワケはズバリ、失恋だ。グッバイマイラヴ、カモンブロークンマイハートだ。ひっそりと想いを寄せていた相手にいきなり婚約相手を見せつけられたら、そりゃあ誰だって気落ちするにきまっている。ウメは顎を撫でながら頷いたが、当のジローは目を丸くして首を傾げた。

「え、そういうことってどういうことですか」
「わからんほうがええ。ジローさんはなかなか鈍感なんですなァ」
「はあ……」
 ジローは首をひねっていたが、やがて思い出したように声をあげた。
「そうだ。そういえば、ウメさんに伝えたいニュースがあるんです」
「なんですかい?」
「フェスに出ませんか?」
「ふぇす?」
「はい、毎年九月末に栃木でやってる“SAWAGASHI”ってフェスがあるんですけど」
SAWAGASHI。すごい名前だんね」
「何気におれ毎年行ってるんですよ。来場者数は年々増えてて、去年は八万人来たみたいです」
「八万人。ありゃまたこりゃまた」
「で、あのー、“孫と私”のライヴ映像、めちゃくちゃバズってるじゃないですか。観ました?」
 そう尋ねるジローにウメはこっくり頷いた。
「あのフェスの主催者からけさ連絡が来たんです。“孫と私”をぜひSAWAGASHIに呼びたいって」
「おお、そりゃ……光栄な話ですな」
「すごいですよ。モノホンのREAL ROCKって言ってました」
モノホンのREAL ROCKって言ってたんですかい」
「正直ちょっとくやしいですよ。SAWAGASHIはおれらもかなり出たいですもん」
「そのニュース聞いたら、ヒイちゃんも元気出るかもしれんねえ」
「連絡関係はおれがやるんで、前向きにケントーしてみてください。彼女と観に行きます」

 そういってジローはいつものように人畜無害のふにゃふにゃした笑顔を浮かべた。鈍感好青年の屈託のない顔に、ウメはただ苦笑するばかりであった。


          ※     ※     ※


 陽がいよいよ暮れかかり、街がむらさきの夕闇に染まりだすころ、ウメはスケボーを抱えてとぼとぼ歩いていた。ヒナタが落ち込んでいる原因はわかったものの、果たしてどう励ましてやればいいものやらウメには皆目わからなかった。フェスの話をしたら、元気を取り戻すかもしれない。けれどもそれはそれとして、失恋の痛みというのをウメはちゃんと受け止め、どうにかしてやりたかった。いち祖母として。しかしウメはこれまでの人生で失恋というのを真に経験したことがなかった。初めて初めて恋に落ちた相手と結婚し、そして先立たれたのだから。失恋することと死別は違う。どうしたらいいものだろうかとウメが考えあぐねていると、駄菓子屋のまえのベンチでナツオ・アキ・フユコが談笑している場面に出くわした。ヒナタの同級生で、いつぞやウメが糞便の投擲を示唆することで撃退した三人組であった。千載一遇のチャンスだとウメは思った。ヒナタの同級生ならば、きっと誰より何より身近な視点でアドヴァイスができるはずだと考えたのである。ウメは三人組のところへ駆け寄っていった。


「……でさぁ、そのとき言ってやったワケ、いつか絶対鳥山明とLINE交換してやるって……」
「あらあらあらあら、どうもどうもどうもどうも」

 談笑しているところに突如割って入ってきたウメを、三人組は一斉に注視した。他のふたりが目を丸くする中、フユコがいち早く声をあげた。


「……アッ、あんた、あん時の妖怪うんこばばあじゃん!」
「やべえマジだ! 逃げよ! 今度こそうんこ投げられちゃう!」

 泡を食って立ち上がり逃走を図ろうとする三人組に、ウメは慌てていった。
 
「あっ、少し、話を聞いとくれ!」
「その手に乗るかよ! どーせこっちを油断させてからうんこ投げるつもりだろ!」
うんこは投げない! ノーモアうんこ! 約束する! ちょっとお三方に折り入って相談があるんよ!」
「相談ン!?」
「だからおねがい、話だけでも聞いとくれ! 恋バナじゃ!」
「恋バナ!?」
「ああっ! 失恋したときっ、どうやって立ち直ったらええんだべかっ!?」
「……失恋?」

 食い下がるウメに、三人組は足を止めると目を見合わせた。


 ……五分後。ウメ、ナツオ、アキ、フユコは駄菓子屋の前のベンチに座り、フランスの国民的炭酸飲料オランジーナを飲んでいた。『誰とは言えないが知り合いの娘っ子が最近失恋したようなので、ついてはその娘っ子の失恋の痛手を癒すための、そのぎりぎりの肝要のところを伺いたい』というウメの相談に三人組は神妙な面持ちを浮かべていたが、やがてナツオがぽつりといった。

「……失恋、かぁ」
 フユコが首を振った。「んなこと言われてもあたし振られたことないからわかんないし」
「うちも」
「ていうかうちら全員、まともに恋愛経験とか、ないし。そんなアドヴァイスとかできる立場じゃないから」
「……そげか」
 がっくり肩を落とすウメに、ナツオがスマホを取り出して見せた。
「でもっ、気分転換になるかもしんない場所なら知ってるっ。ここ、連れてってあげなよ」

 それは、I市の住宅街の真ん中に佇む、とあるお店の紹介記事だった。ウメはふんふん頷きながら記事に添付された写真を食い入るように見つめた。

「あやっ、こんなのがあるんかァ。おもしろそうだなァ」
「でしょ。ヒナっち、気にいるかもしんない」

 孫ということは明かさずして相談したはずなのに、まんまと見抜かれたウメは面食らった。

「あえっ? なっ、なんでヒイちゃんのことだってわかった?」
 ナツオは肩をすくめた。「や、別にそんぐらい想像つくって」
「ふむ……やっぱり年頃の女の子っちゅうのはカンがええなぁ」
「てかさ、観たよ。ライヴの動画」
 頰を掻きながらナツオが照れ臭そうに切り出すと、アキとフユコもうんうん頷いた。
「あたしは音楽のこととかよくわかんないけど、それでも……かっこいい、って思ったよ。本当に、ヒナっちは、音楽が好きなんだな、って思った。なんか、一生懸命になれるものを見つけて実際にコードーしてるって……すごいと思った……」
 そしてナツオは言葉を詰まらせながら、ぽつりぽつりと歯切れ悪くいった。
「だから、あのさ……おばあちゃんからさ……その、ヒナっちに、伝えて、欲しいんだ。ごめん、って……」
 申し訳なさそうに目を伏せるナツオに追随するように、アキとフユコも頭を下げた。
「ほんとは直接伝えたいけど、うちら全員、LINEブロックされてっからさ」
「今更、許してもらえないかもしんないけど……でも、マジで、ガチで、反省してる」


 三人組の唐突な謝罪にウメはキョトンとしていたが、やがて顔を綻ばせると、拳をぎゅっと握った。

「……ほうか。ほうかァ。うん。そうか。ちゃんと、伝えておくわ」

 そういって笑いながら、ウメは胸が暖かくなるのを感じていた。


         ※     ※     ※


 次の週末。
 真夏の夜の住宅街をウメとヒナタは連れ立って歩いていた。あわやスキップ、スキップ待ったなしぐらいのテンションのウメとは対照的にヒナタの顔は浮かなかった。ウメの五歩ほど後ろをうつむいたままトボトボ歩きながらヒナタは文句を垂れた。

「……ねえ、どこまで歩くの?」
「もうちょっと。もうちょっとだから」
「ったく……どんなお店か知らないけど、パッと覗いたらすぐ帰るからね」

 ヒナタはふてくされた様子でそういって唇を尖らせた。この日、ウメは頼みに頼み込んでヒナタを外に連れ出すことに成功していた。『どうしても気になっている店があるのだがどうしても一人で行く勇気が出ない。ついてはご同行頂けるとマジで重畳。孫しか勝たん』というような筋書きを語ったところ、ヒナタは不承不承といった感じでそれを受け入れたのだ。

「……ていうか、こんな住宅街の真ん中に気になるよーなお店があるワケ?」
「ある。一目見た瞬間、わたしは心を奪われたよ。こんな面白えモンがこの世にあるのかと思った」
「はっ。大げさすぎ」
「大げさかどーか確かめてみましょ。よし着いた着いた、あそこだ」
「あそこ、って……」

 ふたりは一軒のコインランドリーで足を止めた。それは一見どこにでもあるような、ごく普通のコインランドリーにおもえたが、店内はまったく異様だった。狭い店内では人々がDJブースから流れる音楽にあわせて踊り、あまつさえその天井にはミラーボールが鎮座ましましていた。ヒナタはしばし口を半開きにして呆然としていたが、やがてぽつりと呟くようにいった。

「……なにこれ?」
「たぶん、ディスコっちゅうやつじゃないか」
「いや、わかるけど、なんでコインランドリーがディスコになってんの?」
「このコインランドリーじゃ毎週末、店長がDJをやるイヴェントを開催しとるらしい」
「いや、そういうことじゃなくて……え、え、え?」
「とにかく入ってみるべしゃ」

 ウメが扉を開けて中へと入り、ヒナタはその後に続いた。店内はまさに異様な光景が広がっていた。ドラム式洗濯機が立ち並ぶなかにDJブースが設置されており、ひしめき合う人々はみな音楽にあわせて踊っていた。天井でグルグル回るミラーボールを見上げながらウメは大いに感嘆し、ヒナタは大いに困惑した。

「ありゃまたこりゃまた……最高だんね」
「……最高か、これ?」

 やがて曲がブレイクし、四つ打ちのキックだけが鳴り響く中、『ソウル』と書かれたTシャツを着たDJ(店長)は、フロアを埋め尽くすクラウドにむかって語りかけた。

「……はいっ、というワケでございましてですねっ、サタデーナイトは大フィーバー、恋路はいつもリアス式、そこのけそこのけ戦車が通る、馬鹿が戦車(タンク)でやってくる! 今晩もソウル・ミュージックのお時間がやってまいりました! 全国津々浦々コインランドリーは数あれど、洗濯機が回り、ミラーボールが回り、ついでにレコードも回っちゃうのは当店だけ! みなさま、どうか、どうか、二時間ポッキリのアーバン・ナイトをとびきりホットに過ごしてチョーダイ!!!」


 DJ(店長)がそう叫ぶと店内で喝采が巻き起こった。DJ(店長)はわざとらしく咳払いをしてから続けた。

「朝まで踊ろう、朝まで踊ろう、朝まで踊ろう!!
パーティーの決まり文句だが、実際、朝まで踊るというのは決して楽しいばかりではない!
それは険しいイバラの道だ!
それはきわめて過酷な旅だ!
はっきり言おう、パーティーとは真の自由を得るための闘いであると!
パーティーとは楽しく生きる覚悟であると!
踊って踊って踊りはてて、身体がついに限界にきても、けっしてダンスをやめてはいけない!
ふたたび朝陽をむかえるためには踊るしかないのだ!
そうしてっ、そのようにしてっ、すべてのパーティーは最終的にっ、“踊り続けるために踊る”という境地へとたどりつくっ!
そして朝陽がのぼってくるころ、疲れきったアタマはついに自意識を手放しっ、われわれは完全に素直になるっ!
第六感をふくむすべての感覚は聴覚へと接続されっ、
われわれは全細胞で音楽を体感するっ!
そうしてわれわれは繋がりを持つっ!
すなわちワン・ラヴ!
すなわちワン・ネス!!
ある種、宗教体験とでもいうべきその瞬間を待ちわびる迷える子羊たちよ、こいつが答えだ、クラウド・ワンでっ、“ストンプ・ユア・フィート・アンド・ダンス”っ!!!

 そうしてDJ(店長)がピース・サインを掲げると、クラウドもすかさずピース・サインを掲げた。蟹の大群のようなそれを眺めながら店長(DJ)は満足げに頷くと、両手でミキサーを操作しレコードをつないだ。胸をかきむしるような情熱的なピアノが鳴り響き、そこにグルーヴィーなベースラインが、スペーシーなシンセサウンドが絡みつき、夜の賛美歌 a.k.a ディスコ・ミュージックがはじまった。フロアは異様な熱気に包まれ、クラウドは足をふみ鳴らし手を叩き、BEATにしびれて踊りまくった。ボーゼンと立ち尽くすヒナタの横でウメは満面の笑みを浮かべてうずうずしていた。

「よっし、ヒイちゃん、踊るべ」

 そうしてウメはヒナタの手を引いたが、ヒナタはその手を振り払った。

「……バカじゃないの。帰る」

 吐き捨てるようにそういってヒナタは店を出たが、ウメはそのあとを慌てて追いかけた。怒ったような足取りでズンズン歩くヒナタに、ウメはすがるように声をかけた。

「なんで、なして帰るんさ。一緒に踊るべしゃ」
「やだっ、なんでコインランドリーで踊んなきゃなんないワケっ、意味わかんないし!」
「意味わかんないから楽しいんだべさ。あんな場所、人類史上後にも先にもねえぞ
「そんな気分になれない! とにかくっ、アタシはっ、帰るっ!」
「失恋したんだべ!」
「……え?」

 ウメの言葉にヒナタは足を止め、おもわず振り向いた。ウメは拳を握りしめながらなおも続けた。

「ジローさん、結婚すんだってな! それで落ち込んでんだべっ!?」
「……っ、な、なんでっ……」
「ジローさんのことが好きで好きでしょうがなくてっ! でも、その想いがかなわなかったから悲しいんだべっ!?」
「だから、ジローさんは別にっ、そんなじゃない!!」
「ええかげん認めなさいや! 自分の気持ちにウソついていいことなんか何にもないべさ!」
「…………そうだよ、好きだよ、好きっ! アタシは、ジローさんのことがっ、ずっと、ずっと好きだったっ!」

 ヒナタは目にいっぱい涙をためて怒鳴ると、涙を拭いながら力なくいった。

「……でも、ジローさんは、アタシのこと、そういうふうに見てなかったの……あれから、あれから食欲もないし、眠れないし……ほんとに、ほんとに……最悪な気分なのっ……!」

 ウメは泣きじゃくる孫をじっと見つめていたが、やがて優しい声色でこういった。

「……よかったべさ」
「……ぇ?」
「そんだけ好きだったんだべ? ご飯も食べれんくて、夜も眠れなくなるぐらい。そんだけ誰かを好きになれたってのは、いいことだべさ」

 ウメはきびしいような、やさしいような、不思議な表情を浮かべていた。そしてその綺麗な瞳はまっすぐヒナタを見つめていた。ウメは声を張り上げていった。

「人生いろいろっ! 辛いことも悲しいことも、たくさん、たっくさんある! けどもな、ヒトは結構じょうぶに出来てんだ! だいたいのことは乗り越えられるし、乗り越えたことを誇りに思える日が来るっ!」
「……っ……」
「とにかくなっ、ヒイちゃんがいまやるべきことは、ひとつだ。踊るんさ
 
 そしてウメはその場で両手を広げてクルクル回りながら叫んだ。

「踊る気分じゃなくったって踊るんさ! 泣きながら踊るんさ! ブチ上がったから踊るんじゃなくて、踊るからブチ上がるんだって、ヒイちゃんも知ってるはずだべしゃ!!」

 ウメは回転を止めると、両手の人差し指でヒナタの顔をぴっと指した。ヒナタは下唇を噛み締め、顔を真っ赤にしてうつむき黙ったが、やがて、消え入るような声でいった。

「……笑わない……?」
「ん?」
「……アタシが、へたなダンス踊っても……ぜったい、笑わない……?」
「なーに言ってんだいね。そんなもん、笑うに決まってるべさ」
「はっ、な、なにそれっ!?」
「仏頂面で踊ったってしょうがないべさ。わたしは笑う、ヒイちゃんも笑う。ダンスは笑顔でするもんだべさ。お互い笑いあって踊るべよ」

 そしてウメはにっこり笑うとピース・サインをヒナタに向けた。

「なぁ、踊ろうや、ヒイちゃん」

 ヒナタは両手で顔を覆うとしばし黙ったが、やがて両手を振り上げると、渾身の力で、叫んだ。

「……っ……っ、ああああああああああっっっ!!!!」

 そうしてヒナタは駆け出すと、ふたたびコインランドリーへと転がりこんだ。そしてヒナタは、踊った。爆音で鳴り響くディスコ・ミュージックにあわせ、長い手足を振り回して、まったくデタラメに、ドシャメシャに踊った。あとを追ってやってきたウメは両手を叩いて叫んだ。

「いいっ、いいよっ、いいよおっ! そのテンションじゃ! そのグルーヴじゃ! そのバイブスじゃあっ! イキイキと、のびのびと、めちゃくちゃに、ぶっ壊れてみるべしゃ!!」

 ヒナタはもうほとんどヤケになって、両手足をめちゃくちゃに動かして踊った。それに呼応するようにウメも激しく踊り狂った。そうしてふたりはいつまでも、ひたすらに、踊って、踊って、踊って、踊って、踊りまくったのであった。



 ああパーティーの夜は更けて、気づけばもう終電まぢか。ウメとヒナタは汗をびっしょりかいたまま、駅までの道のりをホテホテ歩いていた。甘い夜風に火照った肌をさましながら、高揚した精神はそのままにひたすら歩いた。身体はぐったりと疲れ切っていたが、不思議な心地良さがふたりを包んでいた。夜空に輝く満月を見上げながらウメがしみじみいった。

「ああ、楽しかったなぁ。ヒイちゃんはどうじゃい?」
「……ん……まぁ、ちょっと……スッキリ、した……かも……」

 歯切れ悪くもヒナタがそうつぶやくと、ウメは思い出したように声をあげた。

「ああ、そうだ。ヒイちゃんに伝えなきゃいけないビッグ・ニュウスがあったんじゃい。SAWAGASHIって知っとるかえ?」
「知ってるよ。毎年栃木でやってるフェスでしょ」
「そうそう。ソレの主催者から連絡があってよ、“孫と私”にぜひ出てほしいんだと」
「……は?」
「こないだのギグの動画がネットに上がっとるんだけど、それを観て声かけてくれたみたいねえ」
「え、え、えっ? なに、ちょっと待って、え? あのライヴって誰か撮ってたの?」
「お客さんの誰かが撮ってたみたいねえ。ちなみにくっそくそにバズっとってな、今朝観たら80万再生超えてたわ」
「は、えっ!? はちじゅうまん!?」
「やっぱり知らんかったか」
「ぜんぜんっ! ぜんぜん知らなかったっ! ていうかそういう話はもっと早く言ってよ!」
「すまなんだ、ヒイちゃんが元気になってから話した方がええかと思ってなあ。で、どうする?」
「どうする、って……そんな……嬉しいけど……さすがに、ちょっと、ビビる」
「ビビるか」
「当たり前じゃん。だって一番小さいステージでも何千人とか余裕で集まんだよ、まだ一回しかライヴやってないのに、いきなりそんな……」
「だからいいんじゃないの。トントン拍子だべさ。だって世界中を感動させたいんだろ、音楽で」
「そりゃまぁ、そうだけど……」
「じゃあやるべさ。ROCKしようや、ヒイちゃん」

 そういってウメはまっすぐヒナタの顔を見つめた。ヒナタは長いまつ毛を瞬かせながらしばし考え込んでいたが、やがて意を決したように頷いた。

「……わかった。やろう」
「そうこなくっちゃ。ほんじゃ結束のハイタッチ、イエイ!」
「は……なにそれ」
 
 ヒナタは苦笑しながらも、ウメのシワシワの手のひらに、じぶんの手のひらをぶつけようとした。

「……いえい」

 しかし。
 その手のひらが、重なることはなかった。
 突如、ウメの足元がぐらついた。
 そしてゆっくり、ウメは、その場に倒れた。
 何が起きたのかわからなかったヒナタはポカンと立ち尽くしていたが、我にかえると苦笑しながらしゃがみこんだ。

「ちょっと、なに、ふざけてんの? 起きてよ」

 しかし、ウメはうつぶせに倒れたまま動かなかった。ヒナタはウメの肩を揺さぶりながら必死に声をかけた。

「ねえ、ちょっと、やめてってば……起きてよ、起きて、おばあちゃん……」

 それでもやはり、ウメは微動だにしなかった。先ほどまで夜空で光り輝いていた満月は、いつの間にか薄雲にかくれていた。





♪Sound Track :Stomp Your Feet and Dance/ Cloud One



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