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連続パンク小説『ババアイズノットデッド』 第三話





この世の全てのおばあちゃんと全てのおばあちゃん子に、そして最愛の祖母・笑子に心からの心を込めて本作を捧げる。
 



第三話  ライト・マイ・ファイア

 二重の防音扉を開け、広さ10畳ほどの貸しスタジオの一室に入ると、ヒナタはギターケースを下ろして馴れた手つきで空調を調節した。初めてスタジオに入ったウメは物珍しそうにあたりをキョロキョロ見回すと、感嘆したように声を漏らした。

「すげい。壁が一面まるごと、鏡になっとる……」

 そうしてミキサー卓のツマミを眺めながら興味深げにツマミをいじくるウメに、ヒナタは壁に立てかけられていたパイプ椅子を持ってくるとそれをすすめた。

「座って」
「あ、あい。すまなんだ」

 頭を下げてちょこんと椅子に座るウメの真向かいにヒナタは腰を下ろし、床にあぐらをかくと頭を掻きながらいった。


「……えっと、それじゃまず、おばあちゃんが何のパートやるかだけど」
「ドラム」
 食い気味にウメが放ったその言葉にヒナタは思わず耳を疑った。
「は?」
 しかしウメは腕組みしながら力強い口調で続けた。
絶対にドラムがええ。もうそれだけは最初っから決めとった」


 ヒナタは困惑した。確かにバンドをやるとはいったが、バリバリ楽器をやってもらうつもりはなく、まぁコーラスとか、装飾音ていどのパーカッションあたりだろうと思っていたからだ。


「……死ぬよ?」
「死なない!」
 ウメは胸を張って自信満々に言い放った。ヒナタは頭を掻きながら首をひねった。
「えっ、ていうか、何で? なんでドラム? まさかやったことあるとか?」
「ねえ!」
「ないんだ。まあ、ないか、見たことないし……」
「ああ、滅茶苦茶ねえ!
「滅茶苦茶ないのに何でそんな自信満々なのか全然わかんないけど……とりあえず、ドラムが……やりたいんだ?」
「おうよ。亡くなったじーさんもドラマーだったからなア」
「あ、そうか。おじいちゃん、ジャズバンドやってたんだっけ」


 得心がいったヒナタは頷いた。祖父・キイチロウはヒナタが生まれるまえにこの世を去ったが、ジャズバンドでドラムを叩いており、亡くなる直前までステージに立っていたという話は聞いたことがあった。


「じーさんはそりゃあうまかったよ。それに格好良かった」
「そうなんだ……」


 子供のころは、祖父がバンドをやっていたと聞かされても何とも思わなかったが、音楽に興味を持ち、ついに自らやるまでになったいまとなっては、それはとても興味深くてちょっぴり嬉しいエピソードだった。ヒナタはくすぐったいような気持ちでぽつりとつぶやいた。

「……おじいちゃんか。いっぺん、会ってみたかったな」
「ありゃすごかった。もうその手さばきの速さときたら、残像で腕が8本に見えたもの」
「いやそれはウソでしょ」
「ホントほんと。孫にウソつくほど落ちぶれとらんて。調子いいときは15本に見えたわ」
奇数なんだ。どっちかちょっと遅いんだ。ていうかウソでしょ」
「ホントよ。“千手観音”ってあだ名がついてて、ドラムソロが始まるやいなや、客が全員拝んどった
「絶対ウソ」
「ホントよ。お賽銭もいっぱい飛んでたな。それでカローラ買ったんだもの」
絶対、ぜったい嘘。なにその逸話?」
「ホントなんだけどもなあ」


 もっともらしく首をひねるウメに対し、ヒナタは溜息をつくと気を取り直していった。


「……まあ、おじいちゃんのことはいいよ。じゃあ、アタシがギターで、おばあちゃんがドラム。とりあえずそれでやってみっか」
「よし来た」
「確認するけどホントにぜんぜん叩いたことない? おじいちゃんから遊びで何となく教わったとかそういうのもない?」
「ねえ。いま思うと、そういうことしときゃあ良かったなあ」
「……オッケー。じゃ、とりあえず、ドラムのまえ座って」


 ヒナタは立ち上がると、ウメを促してドラムセットの前に座らせた。


「ダメだヒイちゃん。この椅子、高すぎるわ。交換してもらわんきゃ」
「コレはここをこーやって調節するの、ほら」
「お、おお……」
「スネアの位置は……こんなもんでいいか。じゃあアタシ、ちょっとスティック借りてくるから」
「わちゃあ、しまった。スティックかあ。持ってくるんだったなあ」
「え、持ってたの?」
「いや、じーさんが最後のステージで使ってた形見が、一組あるんよ」
「……それは、使わないほうがいいと思う。スティックって消耗品だから。折れちゃうから」
「へえ、そういうもんか。そう言われてみれば、そうだったかもしれんなあ」
「はい、じゃあちょっとキック踏んでみて」
「これかい?」
「そう。そのペダル。足を載せて、踏み込む」
「こうか」
 
 ウメはやにわに立ち上がると、まるでプロレスラーのストンピングのごとき勢いで、思い切りキックペダルを踏みつけた。

 ズバッシュ!!!!!!!!!!!! 


 という重たい音が響き渡り、ヒナタは思わず肩をびくんと揺らした。


「ダメ、ちがう、ちがう! そんな全力で踏まなくていいから! 椅子に座ったまま踏むの!」
「あら、そうなんかい」
「おじいちゃんそんな風にキック踏んでなかったでしょ、知らないけど」
「そう言われてみれば、そうだったかもしれんなあ」

 ヒナタはこめかみがズキズキ痛むのを感じた。これは相当ヤバいかもしれないと思ったが、時すでに遅し。後悔あとに立つ。ヒナタは大きく溜息をつくと、呆れながら首を振った。

「……じゃあ、アタシはスティック借りてくるから、そのあいだ、キック踏む練習してて」
「あい、わかった」
「こう、ドン、ドン、ドン、ドン……って感じで、等間隔にね」
「あいあい」

 力強く頷くウメに不安を覚えつつも、ヒナタは部屋を出るとカウンターにスティックを借りに行った。ひとり残されたウメは言いつけ通り、キックペダルを踏み続けた。

「どん、どん、どん、どん……」

 踏み込むたびに、小気味好い音とともに空気がびりびり震えるのをウメは感じた。どん、どん、どん、どん。お腹の底に響くようなそれは、うずうずするような不思議な快感があった。

「どん、どん、どん、どん……」

 スタジオ内で鳴り響くのはバスドラムの音だけだったが、たったそれだけでウメの心はたまらなく高揚していた。高鳴る心臓とシンクロするかのようにウメはキックを踏み続けた。この瞬間、ウメは演奏の悦びを知ったのである。時間概念はクロノス、カイロス、アイオーンの三つに大別される。クロノスとは何年何月何日何時という世界共通に刻まれる時間であり、カイロスとは『あれ? 十分しか経ってないと思ってたらもう一時間経ってたんだ』というような個人的な時間感覚、そしてアイオーンとは何かが発生したときの、すさまじい新鮮さをはらんだ瞬間のことである。演奏行為は、このすべての時間を同時に出現させる。肉体と精神がリズムと一体化し、それは自己沈潜を引き起こし、やがて忘我、“みずから”の無い世界へとみちびいてゆくのである。ウメのからだは、そしてこころは、完全に音と溶け合い、ひとつになっていた。

「……おまたせ、スティック、借りてきたよ」

 そうしてスティックを持って部屋に戻ってきたヒナタが見たのは、キックの四つ打ちだけで完全にトランスしているウメの姿であった。

「どん! どん! どん! どん!!」

 

 ヒナタはちょっとびっくりした。というかシンプルに怯えた。目をかっと開き、両手を腿のうえに置いてキックを踏み続けるその姿は、“キてる”と表現するにやぶさかでない異ノーマル状態であった。

「……ねえ、スティック、持ってきたけど」
「どん! どん! どん! どん!!」
「ちょっと! スティック! 持ってきたって!」
「どん! どん! どん! どん!!」

「ダメだ聞こえてない」

 業を煮やしたヒナタは、MAXトランスなウメのもとへと駆け寄ると耳元で叫んだ。


「スティック!! 持ってきた!!!」


 そこでウメはようやく我に返ったが、キックだけはなおも踏み続けた。


「おお、ヒイちゃん、大変だ! 飛んじゃう、飛んじゃう!(?)


 ウメの両腕は上がり、腰も浮いていて、もはや離陸体制に入りつつあった。このまま行くと祖母は本当にFLY AWAYしてしまうのではないかと、ヒナタの額に冷や汗が滲んだ。


「どうするべ! なんか、止まんねぐなったわ!」
「わかった、いや、何もわかんないけどわかった、そのままキック踏みながら話聞いて!」
「よしきた!」
「はい、スティック持って!」
「持った!」
「そしたらそのまんま、キックに合わせて右手でコレ叩いて!」


 ヒナタがハイハットを指差すと、言われるがままウメはハイハットも一緒に刻み出した。


「こうか!?」
「そう! そしたら次は、イチ・ニ・サン・シの、2と4のとこでコレも叩く!」
「こうけ!?」


 続いてヒナタがスネアを指差すと、ウメは言われた通りにスネアも入れた。ハットとスネアとキック、最もシンプルなビートが完成するとヒナタは大きく何度も頷いた。


「オッケー! そしたらソレそのまま続けて!」

 そしてヒナタは駆け出すと、ギターケースから素早くギターを取り出し、シールドをアンプに繋ぐとチューニングもせずにギターを弾き出した。GmからB♭、そしてC。ふたたびGmからB♭、そしてC♯からCへ。ヒナタはこのコード進行を繰り返した。

 ……勘の良いギター・キッズならもうピンときていることと思うが、ヒナタが弾いているのはなんとディープ・パープル『スモーク・オン・ザ・ウォーター』であった。人類史でもっとも有名なギターリフであり、楽器屋に『スモーク・オン・ザ・ウォーターの試奏禁止』という貼り紙がされていた時代からも幾星霜、もはや人前で演奏するのは羞恥プレイに等しいとすらされるこれを、ヒナタはダウン・ピッキングで弾きまくった。しかもこの後の展開はよく覚えていないうえに歌詞も全くわからなかったので、ヒナタはこのリフだけを永遠に弾いた。ちょけとか抜きでマジマジのマジで弾いた。エレキギターを弾いたことがない人間には解らないだろうが、あまねく人類がエレキギターを入手したとき、いちばん初めに部屋で弾くのがコレなのである。それもわざわざストラップをつけ、鏡の前に立って弾くのである。いまこの瞬間、我こそは世界一カッコいいロックスターであると心の底から思い込んで弾くのである。けっして笑うことなかれ、これが初期衝動なのである。何よりも力強く、まっすぐ、のびのびと、楽しく、イキイキと熱きパトスをぶちまける、これこそが真実真正、永久不滅のROCK AND ROLLなのである!

 ほとばしるヒナタのロックスピリッツに呼応するかのごとく、ウメはビートを刻んだ。それはスカスカでヨレヨレでドシャメシャなリズムだったけれど、真心にみちあふれたビートだった。セッションと呼ぶにはあまりにチープでミニマルな演奏であったが、しかしこの瞬間、ふたりは世界一のロックスターであった。そして驚くべきことに、そのワンリフの演奏は、45分間にわたって続いたのである。

 ジャン! と演奏を止めると、汗だくになったふたりはどちらからともなく目を見合わせ、そして笑った。

「……へへ」
「……ほほ」
「えっへっへっへっへっへ」
「ほほほほほほほほ」
「……やばい。超楽しいんですけど」
「そうだんね。なんつったらいいかわからんけど……」

 そしてふたりは、声を揃えてこういった。

『“ハートが燃える”』


 
 かくして初のバンド練習を終えたふたりは、スタジオのロビーにあるソファに向かい合って座り、自販機で買った飲み物で祝杯をあげていた。炭酸が飲めないヒナタはカルピスウォーターを、同じく炭酸が飲めないウメは大豆そぼろ入り旨辛麻婆スープを啜っていた(なんでだよ)。ウメはソファにもたれると、しみじみとした口調でいった。


「いやあ、バンドっちゅうんは、いいなあ。何でも経験するもんだ」

 そして大豆そぼろ入り旨辛麻婆スープを一口飲むと、ウメはにっこり笑った。

「こんどは、ヒイちゃんがつくった曲をやりたいねえ」
「え」

 カルピスの缶を両手で持ったまま目を丸くするヒナタに、ウメは肩をすくめて尋ねた。

「あんだべ? おりじなる曲」
「……まあ、いちおー、あるは、ある、けど……」
「おお。ちゃんと聴いてみたいねえ」
「……でも、何ていうか、まだ、人に聴かせるほどのもんじゃないし……完成度低い、っていうか。歌も、まだまだだし」
「……ヒイちゃん、ラヴレターっちゅうの、書いたことあるか?」
「は? ないけど……」
「ほうか。わたしもねえけどな」
 そういってカッカッと笑うウメに、ヒナタは頭を掻きながら眉を寄せた。
「……それが何」
「ああ、だからよ、ラヴレターっちゅうのは、読んでもらって初めて意味があるべしゃ。ずうっと手元に置いて、何回も何回も書き直したってしゃあないべよ。ヒイちゃんの歌も、それと同じでないかい」
「……っ」
「何だってすぐにやるベシよ。間違うことをこわがっちゃいかん。完ぺきを求めてたら、すぐにヨボヨボのババアになっちまうぞ。たいせつなのは、技術とか、完成度より、ハートだべさ」

 そしてウメは左の手のひらに右の拳でパンチをぶつけながら言った。


「なあ。歌おうや、ヒイちゃん」


 ヒナタは視線を落とし、目を瞬かせていたが、やがてこくんと頷いた。


「……わかった。やる」
「楽しみだわ。ファーストギグは、いつできるかねえ」
「それは、まだまだ。もっと、もっといっぱい練習しなきゃ……」

 そのときスタジオの入り口扉から、楽器ケースを携えたひとりの長身の青年が入ってきた。青年はカウンターで店員と何事かを話したあと、ロビーにやってきてヒナタをみつけるなり声をかけてきた。

「あれ、ヒナタちゃんじゃん」

 色素の薄いふわふわの髪型と、ベージュのコーデュロイ・シャツと糊のきいたジーンズ、人懐っこそうな柔和な笑顔は、まさに“好青年”と呼ぶにふさわしい爽やかさを備えていた。垂れ気味の細い目とのんびりした声がまたよくマッチングしていた。声をかけられたヒナタは急に落ち着きがなくなり、前髪をいじりながら頬を赤らめて答えた。

「わ。じ、じ、ジローさんっ。こ、こ、こんばんは」
「ふふ、こんばんは」

 青年はにっこり笑って小さく頭を下げると、じっとこちらを凝視しているウメにも会釈したのち、しゃがみこんでヒナタに尋ねた。

 「えと、こちらの方は?」
「おっ、おばあちゃ……祖母! 祖母です!」

 満を辞して紹介されたウメは、膝の上に手を置くと深々とお辞儀をした。

「どうも、祖母です」
「どうも、はじめまして」

 青年はウメに手を差し出した。色の白い、ささくれひとつない綺麗な手だった。ウメは恐縮しながら握手を交わした。

「ありゃりゃ、こりゃまた丁寧にどうも」
脇殴(わきなぐり)ジローっていいます」
「ジローさんですか。わたしは春野ウメっちゅいます。あの、ヒイちゃんとはどういうご関係で」

 ウメがそう尋ねると、ヒナタはきっとウメを睨んだ。ジローは首を傾げていった。

ヒイちゃん? ヒナタちゃん、家でヒイちゃんって呼ばれてるの?」

 すかさずヒナタは首と手をぶんぶん振った。

「ちっ、違います! それはあのう、そ、祖母だけです!」
「へー、ヒイちゃんか。響きかわいいね。おれも使おうかな」

 にこにこしながらジローがそういうと、ヒナタはたちまち真っ赤になった。

「えっ!? あっ、いやっ、いやいやいやっ、それはっ、ちょっと、恥ずかしいっていうかっ!」
「ふふ。んで、今日はどーしておばあちゃんとスタジオ来てるの?」
「あの……それは……」

 視線を落とし口ごもるヒナタに対し、ウメは腕組みをすると声高らかにこういった。

「よくぞ聞いてくれました。じつは我々、バンドをやっておるんです」
「え? ふたりでバンドやってるの? 知らなかった、いつから?」
 ヒナタは観念したように声を絞り出して答えた。
「……きょ、今日から……です」
「うん、だいたい二時間ぐらい前じゃないかねえ」
「うはっ」ジローは嬉しそうに両手を叩いて笑った。「やばー! やばいなそれー! すごい! すごくいい!」
「すごくいいでしょう」
「え、おばあちゃんは何のパートなんですか?」
ドラムであります」
「ドラム! ドラムですか! すっげえ! 超やばい!」
「超やばいでしょう」

 鼻息も荒くウメは言った。無限調子こきモードに突入したウメを制するべく、ヒナタが慌てて声をあげた。

「あー、じ、ジローさんは、今日はバンド練習ですか?」
「ううん、個人練。ライヴ近いからさ、がっつり練習しなきゃって思って」
「え、ライヴ、あるんですか」
「うん、そう。よかったら観に来てよ」
「い、行きます! ぜったい、行きます!」
「やった〜。うれし〜。ヒナタちゃんに観てもらえる〜」

 ジローが嬉しそうに小躍りしていると、スタジオの店員がカウンターから声を張り上げた。

「脇殴さん、Gスタ空いたんでどーぞー」

「あ、はーい。じゃ、おれ行くね」

 ジローは楽器ケースを背負い直すと立ち上がった。

「は、はいっ! が、がんばってくださいっ!」
「うん、がんばる。ありがとうね」

 ジローは笑顔で手を振りながらスタジオへと向かった。ヒナタも大きな瞳をきらきらさせて手を振り返した。やがてジローの姿が見えなくなると、ウメはふむ。と息を吐き、テーブルの上に両肘をついて指を組んだ。

「……さて。あの青年とはどういう関係だいね?」
「……や、べつに、関係とかないし。あのひとはナイスガイズってバンドでベース弾いてるひとで、スタジオでたまに会ったら挨拶するってだけの、ただの……知り合い」
「ほうかあ。ヒイちゃんはああいう感じがタイプかね」
「はあ!? なに言ってんの!?」
「あの青年にホの字なんだべ?」
「なにホの字って!? なんかきもい! そんなワケないじゃん! なに言ってんの!?」
困ってしまってニャニャニャンニャンなんだべ?」
困ってしまってニャニャニャンニャンってなに!? めっちゃきもい! なに言ってんの!? そんなワケないじゃん! そんなワケないじゃん! なに言ってんの!? なに言ってんの!? そんなワケないじゃん!」
「ちがうのか」
「ちがう! 本当に、ジローさんはそんなじゃなくて! すごい優しくていいひとだと思うけどっ、でも、ほんとにそれだけだから!」
「ほうか。たしかに何とも気持ちのいい青年だったわ。いやあ、そうかそうかァ。ヒイちゃんは恋、しとるんかぁ」
「〜〜〜ッ! だからっ、恋とか、そういうんじゃないから!」
「恋はええもんよ。この世で一番か二番目ぐらいにええわ」
「だからっ、ち、違うって……もう、いいっ! 知らないっ!」
 ヒナタは顔を真っ赤にしながら、解りやすくムクれた。



 その帰り道。ふたりは真夜中の路地をホテホテと歩いていた。ヒナタはさっきのことで腹を立てたのか、唇を尖らせたままほとんど口を利かなかった。ふたりは言葉少なだったが、やがてウメが思い出したようにぽつりと言った。

「しかし、どうするかね」
「……何が?」
「バンド名。名前がなくっちゃ話になんないべしゃ」
「……ああ。まあ、そうだけど」
「どんなのがいいかねえ」
「なんでもいいよ」
「なんでもいいこたないべさ。かっこよくなきゃ」
「……別に、かっこよくなくていいし。ていうか、かっこつけたくないし」
かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう、だんね」
「は? 何それ」
「そういう題名のレコードがな、昔あったんよ」
「ふーん……」
「でもな、そのレコードを出した歌手が最近TVに出てんのを観たんだけんど、その歌手はこういっとった。“昔は、かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろうと思ってたけど、今はかっこいいことはなんてかっこいいんだろうって思ってる”って」
「……ふーん」


 曖昧に頷くヒナタに、ウメはファイティングポーズを取って大見得を切った。


「思いっきり、かっこつけようや。かっこよくなきゃ……ロックじゃないべさ」





♪Sound Track :Melody #1 /Velvet Crush




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