見出し画像

連続パンク小説『ババアイズノットデッド』 第二話




この世の全てのおばあちゃんと全てのおばあちゃん子に、そして最愛の祖母・笑子に心からの心を込めて本作を捧げる。
 




第二話 バンドやろうぜ


 春野ヒナタが中学校に行かなくなったのは、一年生の終わり頃からだった。
 それまでは、まあまあうまくそれなりに中学生活をエンジョイしていた。友達も何人かいたし、授業もきちんと受けていた。部活は陸上部に所属し、回転数の早い健脚を生かして好成績をおさめてもいた。

 きっかけは秋ごろである。とつぜん、陸上部の男子に告白されたのだ。
 ヒナタはその男子のことをよく知らなかったし、ほとんど話したこともなかったので断ろうと思ったのだが、友人グループのひとりがそれにいちゃもんをつけてきた。『わたしのほうがずっと好きだったのに抜け駆けされた』といってヒナタを糾弾しはじめたのだ。そして『本当はそれを知っていたくせに事あるごとに思わせぶりな態度を取って男子をその気にさせた』とまで周囲に吹聴した。ヒナタは誤解を解こうと思い、『そんなつもりはなかったし付き合う気もない』と友人に告げ、告白も断った。

 話はそれで収まるものかと思いきや、その後、友人は男子に告白をしてフラれたそうで、しかもその文句が『春野さんのことがまだあきらめられないから』というものだったらしい。ショックを受けた友人は学校へ来なくなり、友人グループはほかのグループも巻き込んでヒナタを批難しはじめた。根も葉もない噂が次から次へとあふれ、弁解しようにも誰も耳を貸すものはなかった。たちまちヒナタはひとりぼっちになり、休み時間のたび、聞こえるような声で悪口をいわれた。上履きのヒモが切られたり、机の中にゴミが入れられたりするようにもなった。

 ヒナタは担任にも相談してみたが、事なかれ主義の担任は『大人が介入したらもっとこじれることになる』といって取り合わなかった。それでも走ることは好きだったので、部活のためにも学校には通いつづけていたが、かつて告白を断った男子は、ヒナタが弱っているのを好機と考えたのか、これまで以上につきまとうようになってきた。いちど告白を断った手前、無下にもできず、やんわりと距離を置くようにしているうち、男子もまた徒党を組み、同級生も先輩も巻き込んで、ほとんど部活ぐるみでヒナタと男子をくっつけようと画策するようになった。

 極度のストレスによってヒナタは体調を崩し、学校を休みがちになった。部活もまったく足を運ばなくなった。家族に相談してみようと思ったこともあったが、父親はじぶんに全く無関心だったし、ヒステリックな母親は『学校に行け』の一点張りでラチがあかなかった。同居する祖母は優しかったが気が弱く、父や母に対して何か言い返すということがまるでできないひとだった。

 それでも、二学期末のテストだけは受けようと思い、無理を押して登校したところ、じぶんの机に『死ね』と彫られていた。愕然としながらそれを見下ろしていると、教室の隅からクスクス笑いが飛んできた。

 ——それは、かつての友人たちだった。
 かつての友人たちはみな愉快そうに目を細め、ヒナタの様子をうかがっていた。
 その瞬間、全身の血液が一気に冷えた。
 すべてが、どうでもよくなった。
 ヒナタは無言で椅子を持ち上げると、教室の窓ガラスにそれを叩きつけた。
 けたたましい音とともに窓は粉々に砕け、教室はたちまち静まり返った。


 そしてヒナタは学校を飛び出した。かつて『才能がある』といわれた健脚で駆けながら、ヒナタはずっと、涙がとまらなかった。



 ……それからヒナタはまったく学校に行かなくなり、一日のほとんどを部屋にこもって過ごすようになった。母親は口うるさく色々言ってきたが、頑なに無視を続けた。ヒナタはやがて夜型になり、ネットの動画配信サービスで映画を観たり、深夜ラジオを聴いたり、こっそり家を抜け出して散歩するようになった。これまで触れたことのない数々に胸をときめかせながらも、内心、不安で不安でたまらなかった。

 居場所もなく、将来の夢や目標さえもない。
 
 ヒナタの胸の中はいつも、焦燥感でいっぱいだった。

 しかしほどなく、人生の転機が訪れることとなる。

 それは、AMの深夜ラジオだった。本業は作家だというDJが軽快なフリートークを交えつつ、古今東西の音楽を雑多にかけるという類の音楽番組だった。別段ファンというわけでもなかったが、ヒナタは土曜の深夜零時から始まるその番組を部屋のラジカセでよく流していた。人生を大きく変える運命のその日も、ヒナタはベッドに寝転びながらだらだらとスマホを眺めつつ、番組を流し聴きしていた。そして、時たま耳に飛び込んでくる他愛もないギャグに少し笑ったり、いま南アフリカで流行っているというクラブ・ミュージックを聴きながら『ふーん』と思ったりしていると、ふいに“それ”はやってきたのだった。

『え〜っとね、それじゃ次に紹介する曲が、本日最後の曲であります。カリフォルニアのインディー・バンドの一曲です。リリースがね、1999年。世紀末ですよ。お前を蝋人形にしてやろうかですよ。そっちの聖飢魔IIなんだって感じですけども(笑)。デーモン閣下、初めてMステ出たとき光GENJIと一緒にスタジオ破壊したんですよね(笑)。

 ていうか皆さん1999年何してたか覚えてますか? っていうか生まれてましたか?(笑) 

 アレですよ、広末涼子さんがワセダに入学した年ですよ。ちなみにデーモン閣下もワセダ卒ですけどね。広末さん、入学式に来なくって、夏になってようやく初めて登校したんだから(笑)。もう何千人っていう野次馬とマスコミが集まってね、すっげえニュースになってたの覚えてますよ。まあまあ、たいへん牧歌的な時代だったなと思うんですけれども。
 
 あとノストラダムスの大預言っていうのもあったよね。1999年7の月に世界が滅びるとかいってさあ、マジで毎日毎日TVでやってたんですよ。真に受けちゃってさ、どうせ世界が滅亡するならそれまで遊んでやるとかいって、消費者金融でカネ借りまくって毎日豪遊してた知人がいましたけどね、彼はいまどこで何をしてるのやら。まぁ元気だったらいいですけどね。
 
 はい、話が盛大にスリップしましたけれど、まぁ世紀末っつーのはそういう時代で、そんな最中にリリースされた楽曲です(笑)。当時この曲、ムチャクチャ流行ったんですよ。どこのレコ屋行っても激プッシュされてたし、クラブでもよくかかってました。これね、ジャケが面白いんですよね。なんか庭みたいなとこでおばさんが卓球してる写真なんだけどさ、このおばさんがすっげーつまんなそうなの。そこまでつまんなそうに卓球やることある? ってぐらい、もう暴力的なまでにつまんなそうなの(笑)。日本盤も出てたんだけど帯もすごくてさ、“来いよ! ヘナチョコ野郎!”とか書いてあんの(笑)。でもこれ、大変な名盤です。レコ屋が“全曲捨て曲無し!”とかいうときはさ、もう9割9分ウソなんだけどさ、これは本当に全曲いいですよ。

 このバンドが下敷きにしてるのはバート・バカラックとかスタイル・カウンシルとかアントニオ・カルロス・ジョビンとか、まあ当時のギターポップ・バンドはあんま参照しなかったオトナの音楽でさ、言っちゃあヤング・ソウルですよ。曲作ってるギターボーカルの人はね、トニー・カーボーンさんっていうんですけど、この人は小学校の先生やりながらこのバンドやってたんですよ。34歳で亡くなっちゃったんですけどね。でも、トニーさんが作った数々の名曲は残り続けます。百年後も、いやさ千年後もこの曲は聞きつがれていくでしょう。最高にフレッシュな楽曲です。フレッシュでいる限り、人間は絶対に自滅しません。このまばゆいばかりのフレッシュを全身で受け止めてください。できたら家庭環境が許す限りの最大音量にしていただいてね、いい調子で、踊りながら聴いてください。で、番組が終わったらそのままチャリに乗って海に向かってください(笑)。


 どうもありがとうございました、お相手はさすらいの吟遊詩人AZITOでした。
 また来週この時間にお会いしましょう。
 ほいじゃお聞きください、BIKERIDEで“ERIK & ANGIE”。


 そして、軽快なギターのカッティングと、チープなシンセが絡むイントロが流れ出した瞬間、ヒナタは十四年間の人生で体験したこともないほどの、すさまじい衝撃を受けた。


 急に、涙が止まらなくなったのだ。


 大粒の涙が次から次へと溢れ出し、鳥肌が脳ミソの裏側まで立ち、全身がぶるぶる震えた。息さえうまくできないほどの激しい嗚咽の中で、ヒナタは『気が狂った』と思った。突然ワケもなく嗚咽号泣し、全身がぶるぶる震えるなんて、そんなのどう考えてもおかしいに決まっている。日々の生活に追い詰められてとうとう自分は発狂してしまったのだと思った。ヒナタはスマホを放り出すと、半狂乱で部屋を見回した。この部屋にある何かが、じぶんをこんな状態にさせてしまっているのかもしれない。何か機械がショートを起こして、有害なガスが充満しているのかもしれない。

 しかしどれだけ部屋を見回してみても、学習机のうえに置いたラジオから音楽が流れている以外には、なにも起きていないようだった。この怪奇きわまる肉体現象の震源地は、おそらくラジオであると思われた。ヒナタは涙を流しながら、おそるおそる、ラジオのヴォリュームをあげた。


 その刹那、ヒナタは自分が宙に浮いたのではないかと思った。


 ずっと身体にまとわりついていた気怠さはたちまちフッ飛び、頭は真っ白になって何も考えられなくなった。フローリングの上で、裸足のまま、ヒナタはステップを踏んだ。ヒトに言われて振り付け通りするおゆうぎ会のダンスとかではなく、このようにして、みずから、自発的に、音楽に合わせて踊るというのは、ヒナタにとって初めての経験だった。そうして泣きながら手足を振り回し、ヒナタはようやく気づいた。


 ——ああ、アタシ、感動してるんだ。


 やがて楽曲が終わると、いても立ってもいられない気持ちになったヒナタは、スウェット姿のまま外へ飛び出した。自転車は持っていなかったから、スニーカーで駆け出した。かつて『才能がある』といわれた健脚で駆けながら、ヒナタはずっと、涙がとまらなかった。しかし、いつか学校を飛び出したときとはちがって、その涙は暖かかったし、ハートは熱く燃えていた。


 
 それからヒナタは音楽に没頭した。少ないお小遣いでCDを買い集め、それらをむさぼるように聴きまくった。頭の中は音楽のことでいっぱいになった。時間はいくらでもあった。そんなふうだから、貯めたお年玉をおろして、ストラップとミニ・アンプがついた初心者用のエレキギターセットを買うまでそれほど時間はかからなかった。日がな一日ヒナタはギターを弾きまくり、部屋の照明からぶら下がるヒモをマイクに見立ててデタラメな歌をうたった。やがて貧弱な音量に我慢ならなくなると、街の貸しスタジオに通うまでになった。もはや音楽はヒナタにとってのすべてだった。だから全力でぶつかっていった。もちろんそのことは、父にも、母にも、祖母にも、だれにも言わなかった。これから何年生きるかしらないけれど、もう、あの夜いじょうの衝撃はないだろうとヒナタは思っていた。

 
 しかし、祖母・ウメのドロップキックには驚いた。それは“ERIK & ANGIE”を初めて聴いたあの夜に比肩しうるほどの、ものすごい衝撃だった。実はといえば、ヒナタはウメのことがそれほど好きではなかった。幼いころはおばあちゃん子で、ウメのあとをついて回っていたものだが、中学校に入るころにはもうすっかり疎遠になっていた。というか、距離をおいていた。事あるごとに母・ビワコにいびられ、どれだけ理不尽な仕打ちをされようが何も言い返さず、ただ怯えたように情けなく笑うだけの祖母が見ていられなかったからだ。その弱々しい姿は無力な自分にどこか似ていて、とてもいたたまれなかったからだ。だから、ウメのドロップキックには驚いた。70過ぎの老婆のドロップキックなんて見たことがなかったし、気絶する人間を見たのもはじめてだった。そしてそれ以上に、祖母は気が狂ったのだと思った。いじめられすぎてついに発狂し、ドロップキックなどというたいそう歌舞いた暴力行為におよんだのだと思った。だけど、そうではなかった。ウメはほどなく目覚めたビワコにぺこりと頭を下げると、冷凍庫からアイスパックを取り出しそれをタオルで包んで差し出すと、こういったのだった。

「すまなんだ。つい、やってもうた。もしいまドロップキックせんかったら、一生ドロップキックするチャンスないと思ってなあ

 そんな理由でドロップキックという攻撃方法を選んだのか、と傍でヒナタが絶句していると、ウメはこう続けた。

「けんど、ビワコさん。“産まなきゃよかった”なんて、親が子に面と向かっていっちゃいかんよ。それは、ヒイちゃんのことぜ〜んぶを否定することばだ。それだけじゃない、ヒイちゃんが生まれてから今までのビワコさんの人生も含めて、まるごと否定しちまう。どんなことがあったって、積み上げてきた時間を、否定するようなことは、言ったらいかんっち」

 はたしてその言葉が耳に入っているのかどうか、ビワコは鼻血を垂れ流しながら目を剥き、わなわなと震えていた。ウメは棒立ちのままのヒナタを振り返った。

「……なあ、ヒイちゃん。わたしはよ、ヒイちゃんが生まれてきてよかった〜、って、ほんとに、ほんっっとおおに、思っとるんよ。な、生まれてきてくれて、ありがとうな」

 そしてウメは微笑んだ。その笑いは、いつものような怯えまじりの情けないものではなかった。どこまでも力強く、やさしい、光り輝くような笑顔だった。

「きっとビワコさんも本心はそう思っとる。ただちょっと、いけねえ言葉が口をついて出ちまっただけだ。許してやっちくり」

 ヒナタは何も言えず、ただ黙ってこくんと頷いた。それを見たウメは満足げに顔をほころばせた。


「〜〜〜〜っっ!!!」


 ビワコは声にならない叫びを漏らすと立ち上がり、ウメの手からアイスパックをひったくるとドカドカ足音を立てながら寝室へ向かい、勢いよく扉を閉めた。ウメはポカンとしていたが、『怒らせてもうたかな』とつぶやくと寝室の前へと向かい、扉越しに謝罪の言葉を繰り返した。その様子を眺めながら、これまでずっと黙っていたミチハルがうめくような声でいった。

「……怒らせたとか、そういうレベルじゃないだろ……か、かーさん、頭おかしくなったのか……?」

 ヒナタはミチハルのほうをぱっと向くと、きっぱりとした口調でいった。

「違うよ。おばあちゃんは、おかしくなったんじゃない。たぶん……たぶん、生まれ変わったんだよ」
「生まれ変わった……」

 そうしてヒナタとミチハルは肩を並べて、寝室の扉のまえで正座しながら謝罪を述べるウメの姿を、ただ呆然と眺めたのだった。


 

 ドロップキック事変から二週間、“生まれ変わった”という表現がまったく正しかったことを、春野一家は身をもって知った。ウメはそれからまるで別人のようになった。背筋をぴんと伸ばし、声や表情も生気に満ち溢れ、エネルギッシュ極まりないパワフルウーマンと化した。ご飯もこれまでの倍は食べるようになったし、食べるスピードも倍になった。また柔和な語り口や優しい性格はそのままに、自分の意見を臆せず主張するようになった。無気力にだらけるミチハルに喝を入れたり、ヒナタに対してあれやこれやと話しかけるようになった。もちろんそれはそれでヒナタ的にはウザい節もあったので適当に受け流していたが。


 ルックスも大きく変わった。鳥の巣みたいなもっさりした天然パーマは赤髪のベリーショートになり、擦り切れた古い着物ばかり着ていたのが、革ジャンにジーンズにティアドロップ型のサングラスという、コンテンポラリーなアメリカンバイカースタイルになった。ちなみにサングラスは亡くなった祖父・キイチロウの形見であった。


 そしてこれまでは、一日のほとんどを家にこもって過ごしていたのに、やたら外出するようになった。とにかく新しいものに首を突っ込みたいようで、『マッドマックス 怒りのデスロード』の4DX上映を観に行ったり、ビワコに持たされていたらくらくスマホを解約してiPhoneの最新機種を買ったり、それでインスタツイステに興じたり、挙句の果てにはハードオフでスケボーとマーク・ゴンザレスのビデオを買い、近所のスケーターパークに足を運ぶようになった。このすさまじいド変化ぶりにはもはや『ジーザス』以外の言葉はなかったが、当の本人は人生を謳歌しまくっていた。本当に、本当に楽しそうだった。

 ヒナタはそんなウメの変化に驚き、戸惑い、呆れながらも、どこか羨ましい気持ちでいた。じぶんもあんな風に、自由奔放にムチャクチャに生きられたらいいのに、と思っていた。

 そして、ドロップキック事変から二十日後のことである。

 ヒナタはいつものように家族全員が寝静まると、ギターを持って家をこっそり抜け出し、街の貸しスタジオへと向かった。酔っ払いやキャッチが行き交う繁華街をひとりで歩くとなんだか悪いことをしているような感じで、気分がよかった。そしてスタジオまでの近道として、大きな都立公園を抜けようとしたとき、誰かが後ろから声をかけてきた。


「あれ? ヒナっちじゃーん」


 名前を呼ばれて反射的に振り向いたとき、ヒナタは心臓を冷たい手で掴まれたような気持ちになった。クラスメイトでかつての友人である女子三人組が、そこに立っていた。ひときわ背の高い女子・ナツオがくつくつ笑いながらヒナタをじろりと眺めた。

「あは。やっぱヒナっちだったー。ひさしぶりー」
「……久しぶり」

 こみ上げる吐き気を抑えながらヒナタが返事をすると、今度は色黒の女子・フユコが尋ねた。


「今年入ってからガッコーずっと来てないじゃん。どしたの?」
「……別に。行きたくないから、行ってないだけ」

 首を振りながらヒナタが力なく答えると、ひときわ派手なメイクをした女子・アキが笑いながらいった。

「中二でもうフェイドアウトしてんのとか、ヤバくない? うちらもう連立方程式習ってっからね。連立方程式、知ってる?」
「……知らない。知らないけど、知りたくなったら、自分で勉強する」
「うわヤバ〜。“そんなの社会に出ても何の役にも立たない”とかそういう系?」
「そんなこと言ってない。とにかく……どうしようがアタシの勝手でしょ」
「てかてか、その背中にしょってるやつ、なに? ギター?」
「ギターだけど。それが何?」
「うはヤッバ〜。え、なに、ヒナっち、まさかここの公園で弾き語りとかしちゃってるの?」
「してない。今から、スタジオ入んの」
「え、なに、スタジオって。レコーディングとかするわけ?」
「しない。練習すんの」
「練習う? なに、まさかヒナっち、プロとか目指してるの?」
「……そんなワケないじゃん。こんなの……単なる趣味だし」

 ヒナタがそういうと、それまで口々にしゃべっていた三人組は一斉に顔を見合わせ爆笑した。両手を叩きながらナツオがおかしそうに言った。

「ヤッバ〜! 学校も行かないで趣味にボットーしてんだ〜! 超うらやまし〜!」
「……馬鹿にしてんの?」

 ヒナタは涙が出そうになるのをこらえてナツオを睨みつけたが、ナツオはわざとらしく肩をすくめながら半笑いでいった。

「してないしてない! 将来紅白とか出てさ、そんでウチらのことバックダンサーで雇ってよ!」
「もう、いい。アタシ、行くから」

 踵を返してヒナタが歩き出すと、後ろから声が飛んできた。

「あれっ、もう行っちゃうの? 気をつけてねー」
「ヒナっち可愛いから誘拐とかされないよーにねー」
「や、だいじょぶっしょ。ヒナっち、ああ見えて魔性のオンナだからね」

 ——ぷつん。
 ヒナタの頭の中で、何かが切れる音がした。
 ヒナタは三人組に向き直るやいなや駆け出し、ナツオに頭突きをかました。

「ぎゃ!」

 猛スピードの頭突きを胸元にくらったナツオは、みじかい悲鳴とともに後ろに倒れた。地面に倒れ伏すナツオを見下ろしながら、ヒナタは肩で荒い息を吐いて、涙目で怒鳴り散らした。

「だれがっ……なにが……っ、魔性のオンナだっ! 誰のせいでっ、アタシが、あんな目に遭ったと思ってるんだよっ!!」


 ナツオは勢いよく立ち上がると、ヒナタに摑みかかった。

「ッ、やりやがったな、テメエ!」

 ——そのときである。

『ヒイちゃんを、いじめるなーーーーーーーーーっっっ!!!!!!!!』

 

 ……ソウルフルなシャウトが、満月瞬く夜空にこだました。
 四人はいっせいに動きを止め、そのシャウトの発信場所をキョロキョロと目で追った。

「ここじゃーーーーーーーーいっ!!!!!」

 

 がああああああ、という滑走音とともに現れたのは、そう誰であろう、スケボーにライド・オンしたウメであった。黒のバッド・ブレインズのパーカに黒のジャージパンツ、オールホワイトのエアジョーダン1という、ストリート極まりないいでたちで颯爽と現れたウメは、力強くプッシュしながら大声で叫んだ。

「ヒイちゃんっ、いま助けるかんね〜〜〜〜っ!!!!」

 

 しかし、あと数メートルというところでウメはバランスを崩して思い切り転倒した。乗り手を失ったスケボーはそのままカラカラと虚しく過ぎ去ってゆき、花壇にぶつかって止まった。ウメはいてえ、いってえ、と呻きながら立ち上がり、パーカについた埃を払いながら小走りでスケボーを取りに行ったのち、ふたたび四人のまえに立ちはだかると叫んだ。

「このジャリどもが! うちの孫いじめるなんてタダじゃすまさんからね!」

 

 唐突すぎるババアとのエンカウントに、三人組は大いに困惑した。否、ヒナタでさえ戸惑っていた。フユコは口元に手を当てながら、ヒナタとウメを交互に見つめて言った。

「え、な、なに、ヒナっちの……ばーちゃん?」
「そうだわや! 春野ウメ、七十一歳だぞい!!」
「だぞい!?」
「ちなみに未亡人だぜ!!」
「だぜ!!?」

 アキとフユコは顔を見合わせると、ナツオに進言した。

「ね、ねえ、こいつ、ヤバいよ。逃げたほうが……」

 ナツオは舌打ちするとヒナタの胸倉を突き飛ばし、思いっきりウメにガンを飛ばした。

「はー!? アンタみたいなババア、全っ然怖くねーし! マジよゆーだし! わりいけどウチら普通にワルだから! ババアでもマジ平気でボコれっからね!」

 しかし、そんな脅し文句も何のその、ウメは静かな声でこう答えた。

「うんこ投げるぞ」
「……は?」
「聞こえなかったのか。うんこを、投げると、言いました」
「うんこって……あの、尻から出る、茶色い?」
「左様。尻から出る茶色いもんだ。アンタらがわたしを殴るよりも先に、それをアンタらの顔面にお見舞いしてやるだんね」

 ナツオは一瞬ひるんだが、ウメをキッと睨みつけながら言い返した。

「そ……そんなすぐにうんこ出るワケねえし!」
「出るさあ。高齢者の肛門のユルさを舐めとったらいかんぜよ」

 そしてウメは右手をパンツの中に突っ込むと、さながら西部劇の早打ちガンマンのごとく仁王立ちした。

「さあ、わたしのうんこが早いか、アンタらのパンチが早いか、勝負だんね」

 じりじり近づいて来るウメに、三人組は顔を見合わせて口々に叫んだ。

「い……イカれてる! ナツオちゃん、このババア完全にイカれてるよ!!」
「……っくしょう! やってらんねえわ! 行こ!!」
「あ、あ、待って、待ってよー!」

 三人組がばたばた逃げてゆくと、ウメは額の汗を拭いながら、キョトンとしているヒナタに声をかけた。

「……ふう。あぶねえとこだったな」
「いや、うん、危ないっていうか……おばあちゃんの存在自体、相当危ないけど……と、とりあえず、助けてくれて……その……ぁり、がと……」
「なんもだ。わたしはいつでもヒイちゃんの味方だんね」
「てか……なんでこんなとこにいんの?」
「ああ、この公園な、でっかいスケーターパークがあるんだけども、昼間は人でいっぱいなんよ。夜遅くなら全然人がいないって聞いたから、こうやって夜中に練習しに来とるんだわ」
「そ、そう……」

 ヒナタが曖昧に頷くと、ウメはヒナタのギターケースを指差した。

「それよかヒイちゃん、背中のソレ、ギターか?」
「ああ……うん……ぎたー……」
「ヒイちゃん、よく夜中にギター弾いたり、歌ったりしとったもんなぁ」

 予想外の言葉に、ヒナタは思わず目を丸くした。

「え、し、知ってたの?」
「知っとるさあ。だってヒイちゃんの部屋、わたしの部屋の向かいだべさ。そんなの気づくに決まってるべ」
「あ、そ、そっか……う、うるさかったでしょ……」
「なんもなんも。ヒィちゃん、歌じょうずだもんなぁ。毎回聞き入っとったい。あれか、ヒィちゃんは将来、歌手になりたいんか?」

 まっすぐ目を向けてそう尋ねるウメに、ヒナタは思わず目を伏せ、口ごもった。

「…………んなわけ……」
「ン? ちがうんか?」

 ヒナタはしばらくうつむいていたが、やがてウメの目を見つめると、消え入りそうな声で答えた。

「…………ちがわない……」
「ほうか」
「……歌手に、なりたい。じぶんでつくった歌をうたって、世界中のひとを、感動させてみたい……ば、ばかみたいな夢だけど」

 顔を真っ赤にしながらヒナタがそう語ると、ウメは声を張り上げた。

「夢はバカじゃない! バカな夢なんてひとつだってあるもんか! 人が生きるっちゅうのは、夢を見るってことだべさ!」


「……っ」

 ヒナタは下唇を噛み、拳をぎゅっと握った。そうしなければ、泣き出してしまうと思ったからだ。ウメは腕組みをすると感心したように声を漏らした。

「でも、そうかあ。ヒィちゃんがそういう気持ちなら、話が早いなあ」
「……なにが?」
「ヒイちゃん。バンドやろうぜ
「ばんど?」
「バンド」
「アタシと、おばあちゃんで?」
「あったり前だべさ。もちろん、おいおいメンバー増やしてもええけんども」
「……マジで言ってる?」
「まじで言ってる。わたしな、バンドやりたいんよ」
「……なんで?」
「なんで、って……おもしろそうだから、かねえ。何かを始めるときにわざわざ理由なんて考えないべさ

 真顔で、あっけらかんとそう言い放つウメを、ヒナタは呆然と見つめていたが、やがてだんだんとおかしさが込み上げてきた。

「……っふ、くふふ、あは、あははっ、あはははははは……!」

 ヒナタは笑った。お腹を抱えて、心の底から笑った。とても晴れやかな気持ちだった。こんなふうに笑ったのは本当に久しぶりのことだった。ヒナタは頭を掻きながら笑顔で答えた。

「……ん、わかった。いいよ。やろう、バンド」
「そうこなくっちゃあ」
「今さ、こう思ったんだ。これでバンド組まなかったら、一生バンド組むチャンスないかもって」
「あるさあ。まだ若いんだ、これから十個でも百個でもやれるべしゃ」
「これからスタジオ行くんだけど……来る?」
「よしきた。望むところだんね。ほいじゃ、バンド結成を祝して握手と行こうかね」
「……ソレ、さっきお尻さわった手でしょ」
「だいじょぶだいじょぶ。うんこなんてついとらんから。ほれっ」
「ヤダ! 絶対ヤダ!」

 ヒナタは一目散に逃げ出した。ウメは素早くスケボーに乗るとそのあとを追った。
 深夜の公園で、ふたりは笑い合いながら、追いかけっこをした。

 


 ——これが、のちに伝説として語り継がれるバンドの、記念すべき最初の夜である。




♪Sound Track :Erik and Angie/Bikeride





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?