見出し画像

はんかち

宮本浩次のカバーアルバムをオットが気に入って聴いている。懐かしい曲ばかり。昭和の歌謡曲の歌詞には時代感があって、その時だったから良かったのかも、と思うものもある。よく、古い映画やドラマのオンエアの時に「作品のオリジナリティを尊重するために当時の表現をそのままで上映します」みたいなことが書いてあるが、あんな感じがする。

木綿のハンカチーフという歌があって、昭和の頃に聴いていたときは、いい歌だと大人が言い、若いお姉さんたちも共感すると喜んでいた。

東京に行くことがそんなに大変なことでもない今、手紙ではなくネットで顔を見ながら話ができる今、田舎と都会のファッションがそこまで違わない今、遠距離恋愛はここまで感傷的でもなく、別れる理由はもっと別にあるのではないかと思う。

それにしても、この男女には歩み寄りがない。なんの理由で彼が東京へ働きに行くのかがわからないのだが、とにかく旅立つのを見送る彼女が「都会の絵の具にそまらないで帰って」と言う。彼女の中では帰ってくるのが前提なのね。自分は行かないんだ。だからまあ、それが時代っていうやつなのか。

東京からプレゼントを送るよと彼が言っているのに、彼女は「いらない」と言う。指輪を送っても、彼女はアクセサリーなんかじゃなくてキスが欲しいと言う。まあ、その辺は「会いたい」の比喩なんだろうけれども。でも「スーツを着たぼくのかっこいいところを見てくれ」と写真を送ったら、「草の上に寝転ぶあなたが好きだった」の返事。まじか。ついに彼は「こっちの生活が楽しすぎて、ぼくは帰れない」と別れを切り出す。帰れないなら「君が来てくれ」じゃなくて「許してくれ」なのだ。彼女も「だったらわたしが行くわ」ではなく「涙を拭く木綿のハンカチーフください」とか言う。そうか、もしかしたら彼女は100年続く造り酒屋の跡取り娘かなんかで、婿養子を取らないといけないような話だったのかもしれないな。

だとしたら、駆け落ちは選べなかったのかもね。最初は、彼女の親に反対されているから彼は東京に出て行ったのかもしれないなあ。一旗あげて帰ってくれば、結婚も許してもらえるかもしれない、という野望があったのかも。あ。「東へ向かう列車」とは言っているが、「東京」とは行ってないことに今気づいた。九州の人から見れば大阪も名古屋も東だ。「大都会といえば東京」という時代だったのだなあ、昭和は。

今だったら、東京に行くのはそう難しくないし(今はコロナで無理だが)、言いたいことがあったらすぐに伝えられるし、リモートでも会える。女性だからって待ってなきゃいけないってことでもない。男性だけが都会に出ていくわけでもない。

それでもまだ、女性の賃金は男性より低く、そもそも就職は女性というだけでハードルが高かったり、要職にはなかなか就くことができなかったり。育休も迷惑と言われたり、結果を残しても女のくせにとか女だてらにとか言われたり。なんだ、結局、変わってないのか、とも思った。

モヤモヤ考えているうちに、もうこんな時間だ。おやすみなさいまし。

サポートいただけたら、次の記事のネタ探しに使わせていただきます。