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りょうて

今日の荷物は重かった。調理実習でピザを作ることになっていた。しかし、それなりの調理器具が教室にはない。自宅から金属製のボウル3個、麺棒、26cmの鉄製フライパン1つ、そのフタ1つ、オリーブオイルの入ったガラス瓶、鉄製のフォーク2本、ナイフ2本、ピザカッター1本をIKEAのエコバッグに詰め込み、えっちらおっちら出勤した。

左肩にはいつもの荷物とお弁当が入ったトートバッグを、右腕には調理器具がぎっしり入った大きなエコバッグをぶら下げて、一体どんな仕事にいくのさ、という格好であった。とてつもなく重い。いつものようには歩けない。

二十歳くらいの時、わたしは毎日大荷物を持って片道90分の通学をしていた。ワトソン紙やケント紙を何枚も挟んだダブルカルトン、水張り用の木製パネルを入れた袋を肩にかけ、別のカバンには「ドラえもん」とあだ名されるほど、画材がぎゅうぎゅうに入っていた。雑記帳がわりのクロッキー帳、セロハンテープ、両面テープ、ホチキス、水張り用の紙テープ、デッサン用の鉛筆、アクリル絵の具セット、筆各種、製図道具、タオル…なぜなら、忘れ物をしても取りに帰れる距離ではないからだ。

そんな大荷物を持って出かけるところ見ていた父が言った。「もっと荷物を厳選してまとめなさい。歩けんやろ」
わたしは「全部要るから」と言って行商のおばさんのようにバッグを担ぐように両手で抱えた。

父は「常に両手を空けておきなさい」としつこく言うので、うるさいな、という顔をしたら、なぜだか真顔で「両手を開けておかないと、誰かに助けを求められてもすぐに対応できんぞ」と言った。

自分のためだけに両手を塞いでいると、自分のことで精一杯で、心の余裕が生まれない。誰かが困っていたり、助けを求めてきても、すぐに手を差し伸べることができない。それはきっと、父が大切にしているボーイスカウト精神に反することなのだろう。父はいつもボーイスカウトのスローガン、「そなえよつねに」を口にしていた。

しかし、わたしも「そなえよつねに」のつもりで、大きなバッグにあれこれ荷物を詰め込んでいたのだ。そういう意味じゃなかったのか。

父は「機動力という点では、モノを最小限にしておくことこそ、そなえよつねに、だ」と言った。「そもそも、両手が塞がっていたら、転んだ時にどうやって体を支える?」

なるほど、とわたしは納得して荷物を全部チェックしたのだが、どれもやっぱり要りそうなモノだった。そしてまた荷物を詰め込み、よっこらしょと立ち上がったら、「せめてリュックにしたらどうね?」と父の声が追いかけてきた。「はいはい」といい加減な返事をしたら、「いざという時、逃げられんぞ」とさらに声を投げてきた。え?逃げる?

太平洋戦争が終わっても父は旧満州から帰ることができなかった。1年待って、ようやく帰ることになったが、とにかく逃げ帰るわけだから、危険だらけだったそうだ。まだ未就学の妹が、小さな体で重いリュックを背負ってヨロヨロと歩く姿はかわいそうだった、と言っていた。父の言う「いざという時」は、まさに命に危険が迫っている時、という意味だろう。そんなこと起こるわけないじゃん。平和ボケのわたしは「行ってくる」と言って、荷物を担いだ。父の言葉の意味をこの歳までよくわかっていなかった。

今日、せっかく持って行った荷物は使われることはなかった。わたしはただ、重い荷物を持って行って持って帰っただけに終わった。しかし今、父が生きていたなら言うだろう。「無駄になったとしても、誰かのために準備したことは尊いぞ」

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