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"好き"の定義

職場の先輩が同性愛者である。
とても優しくて仕事もできて尊敬できる先輩なのだが、ある時突然「別に隠してるわけじゃないんだけどゲイなんだよね」とサラッとカミングアウトされた。最初は驚いたものの、一緒に仕事をしていく中でもしかしてそうなのかな?と思う点はいくつかあったし直ぐに呑み込むことができた。
私は異性愛者だけれども同性愛について偏見もなければ、寧ろ同性の方が分かり合えることも多いんじゃないだろうかとか思うし、はっきりと同性に恋心を抱いた事はないけれど、どちらかというと男性脳寄りの思考を持ち合わせているせいか過去に2人ほど女の子に夢中になった事もある。いわゆる二次元のBLだとか百合も好きだし、色々な形の愛について理解がある方だと思う。

そんな先輩がよく同性愛モノだとか異性愛の中から初まる同性愛モノのドラマや映画をオススメしてくれる。
最近見たドラマで面白かったのは"30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい"という作品。主人公の男性が30歳の誕生日を迎えた途端に触れた他人の心が読めるようになるところから物語は始まる。見ているこっちまで思わずキュンとしてしまうようなシーンや、主人公がこの力のおかげで僕は相手のことを理解したつもりになっているだけで、もしこの力を失ってしまったら…という不安や悩みの中成長していく姿に、気持ちや想いはちゃんと言葉にして伝えなくては伝わらないと改めて考えるきっかけをもらえる。
それからお気に入りの映画は"窮鼠はチーズの夢を見る"と言う作品で原作は漫画。主人公は異性愛者で既婚者なのだが、あるきっかけで大学時代の後輩と再会する。その後輩が実はずっと主人公のことが好きで…と関係が深まっていくのだが、人を好きになる気持ちに性別なんて関係ないのはもちろんのこと、ただの好きだけじゃ成り立たない関係性。いわゆる大人の恋愛観。元カレ元カノ。未来のこと。所々の台詞に胸がぎゅーっと締めつけられて、見終わった後もしばらく苦しくなってしまうような映画である。
そして新しく読んだ小説が"彼女が好きなのはホモであって僕ではない"。こちらは映画やドラマ化もしているので馴染みやすいかもしれない。同性愛者の男子高校生のリアルな学園生活での悩みだとか生き辛さが描かれているのだが、ただの青春物語ではなく大人になった今でも考えさせられる内容だった。一番印象的なのがどうして僕達のような異性愛者が存在するのか、と嘆くシーン。ただ"普通"に異性を好きになって恋をしていつか家庭を持ちたいという願いさえ手が届かない。異性を好きになることはできる、でも同性のようには愛せない。過去から現代に至るまでに子孫を残すことだけを考えるならば同性愛者の存在はなくてもいい存在なのに現代まで生き残り続けている意味の答えは。神様は何で僕達を作り出したんだ、と苦しむ主人公。物語の最後の方で彼女(腐女子)が神様もきっと腐女子だったんだよと笑って励ますシーンもまた印象的でとても良い。

まだ日本では同性愛が認められていないが、たとえ近い未来に認められることがあったとしても古き考えがなくなるわけじゃない。それはすでに認められている海外でもそうだ。

"普通"じゃない、多数決からハブられた存在。

そもそも普通ってなんだ。


誰かを好きになる気持ちの素晴らしさを否定するような人間こそ普通じゃないと私は思う。

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