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私の大好きな1冊。

森の匂いがした。秋の、夜に近い時間の森。風が木々を揺らし、ざわざわと葉の鳴る音がする。夜になりかける時間の、森の匂い。

宮下奈都さん『羊と鋼の森』より

こんな冒頭から始まる、1冊の物語。

私の大好きな、人生を変えたと言っても過言ではないくらい、私の中で大切な物語だ。

宮下奈都さんの『羊と鋼の森』。
調律師を目指す1人の青年の成長の物語。
調律師の先輩方との出会い、ピアニストとの出会い、一つ一つの出来事が彼を成長させていく。

世界がひっくり返るような事件が起こるとか、主人公にトラウマになるような過去があるとか、そんな壮大で大きなことは起こらない。
そして、主人公がはじめから調律師になるために生まれてきたような、そんな天才でもない。

ピアノに魅了された青年が、自分の技術に悩み、苦戦しながら、一人前の調律師を目指す。
そんなありふれた、小さな、静かな物語だ。

それでも、私の心を打つ“なにか”がある。
主人公のように、ひとつのことにひたすら真っ直ぐに進む人たちに、前を向く勇気をくれる。
やりたいことがないと悩む人にも、新しいことに挑戦する元気をくれる。

どこに進めばいいか分からない、迷い込んだ森の中でとまどう人たちに、優しく光をあてる木漏れ日のような、そんな温かく、優しい物語。

初めて羊と鋼の森を読んだ時、私はそう思った。

涙が出そうになる度、前を向いて頑張れなくなる度に何度も、何度も読んだ。何度も泣いた。

まず一番に驚くのは、主人公のひたむきさ。
一人前の調律師になるために、店のピアノを毎晩調律し、先輩の話にメモをとり、ピアノでクラシック音楽を聞く。
楽器屋就職して2年が経っても、そんな作業を続けている。
現実世界にいれば皆感動するほどの努力だが、本人が頑張っていると思っていないのがまた凄い。

そしてただ凄いだけじゃなく、私たちと同じだとそう思わせるものを持っている。いい意味で、どこにでもいそうな、そんな平凡な青年。
特に彼が自分の才能に思い悩む描写は、よんでいて心に刺さるものがある。痛々しいほどまっすぐに書かれた表現は、主人公と同じ気持ちを錯覚させる。もはや共感することしかできなくなる。

そんな平凡な、どこにでもいそうな彼だけど、考え方や、成長にはどこか光るものがある。
ラストシーンには本当に感動する。

そして、ただただ言葉が美しい。
『羊と鋼の森』というタイトルからも分かるように、作品中には森の描写がよく登場する。
それが本当に美しい。
想像すれば、木々の間から差す光も、さえずる鳥の声も聞こえてくるかのように、本当に丁寧に、優しく、美しく言葉が紡がれている。
真っ暗な森の恐ろしさも想像できる。

音の比喩もまた美しい。
文字が印刷された紙からは、何も音は出ていないのに、心の中で美しいピアノの音が鳴る。
私が思う1番美しい音が、物語の中で鳴っている。

言葉の美しさが、この作品の素晴らしさのひとつだと思う。丁寧で、ゆったりとしていて、読みやすいのに、どこか洗練された美しさがある。
「静謐」とは、まさにこのことを言うのだと思う。
紡がれる言葉の一つ一つが、景色も、音も、主人公の心も、ありありと伝えている。

誰かに「おすすめの本ある?」と聞かれたら、私が真っ先におすすめするのがこの本だ。
あなたも読めば、きっと明日を生きる背中を押してもらえるだろう。
きっと心があたたかくなる。前を向きたくてたまらなくなる。

まだ読んだことがない人は、ぜひ、読んでみて欲しい。

この本に出会えてよかったと、心の底から思えるほど、私の大好きな1冊です。


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