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今日も私は悲しみの渦に溺れに行く前に、感謝を添えた贈り物をする。

私は祖父母に、感謝を込めた贈り物をするのが好きだ。

高校一年生の時、生まれて初めてアルバイトをして、人生で初めて自分で稼いだお金を気持ち程度だけど祖母へ"いつもありがとう"という想いを込めて、贈ったことがある。
その時、私は祖母が喜んでくれるといいな〜というふんわりとした気持ちだけで行動したが、祖母は涙を流して私に「ありがとう」と言った。
私はそれが本当に衝撃的で、心から祖母を大切にしようと感じたことを今でも強く覚えている。

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先月、祖父が誕生日だった。

もう80歳も越えて、今では穏やかでまあるくなって、いわゆる世間一般的な"おじいちゃん"に変身した祖父だが、昔は本当に厳しくて怖い人だった。

社長だった祖父は仕事熱心で仲間思い、家族のことは二の次で毎日メキメキと働いていた。そんな祖父は箸の持ち方や礼儀作法にとても厳しく、人様に迷惑をかけるもんなら大きな声で怒鳴りつけて叱られた。
"昭和のお父さん"という言葉がぴったりだった。

わたしには従姉妹が6人おり、みな厳しい祖父を苦手に感じていて、叱られたくない一心で祖父から一歩引いて、距離を置いていたように感じる。いつもみんな小さな事で祖父に叱られていた。
もちろんジェネレーションギャップがあり、「今時そんなことで…」「おじいちゃんっていつまでも思考が昔のまま…」とわたし自身感じることは多々あったし、祖父の意見や主張、叱る理由に納得できないこともあった。
ただ私はどれだけ叱られても、どれだけ納得できなくても、祖父のことが大好きだった。(もちろん今でも大好き)

わたしはいつも祖父から"愛情"を感じていたし、子どもながらに祖父が働く姿を見て、尊敬していた。
手を抜かず、誠実に、情熱を持って仕事をしていた祖父は本当にかっこよかったし、家族を二の次にしていたと言っても、いつも不器用ながら私や家族が喜ぶことを考えて、してくれていた。


祖母は体の半分以上が“優しさ”で出来ているような人で、家族みんなから昔も今もすごく愛されている。無茶苦茶だった祖父のことも愛情で包み込み、私や他の従姉妹が泣いているとずっと側にいて慰めてくれた。

いつも笑顔で、家族みんながお腹いっぱいご飯を食べれるようにと一人でせっせと買い出しに行き、台所に立つ。祖母がいたから私たち家族は今まで平和に、幸せに暮らせていると言っても過言ではない。

私は祖母より優しい人間に未だかつて出会ったこともないし、
これからも私にとって祖母は地球上でいちばん優しい人間だ。


私はアルバイトをして自分でお金を稼ぐようになってから、祖父と祖母にお年玉や誕生日プレゼントを贈っている。

もちろん社会人になった今も変わらず贈っている。

話は戻って、先月の祖父の誕生日に何が欲しいか尋ねたら、現金がいいと言ったので、少し悩んだものの“欲しいもの”をあげたほうがいいと判断して手紙を添えて誕生日プレゼントとして現金を渡しに行った。
私は祖父母に、感謝を込めた贈り物をするのが好きだったし、祖父母の喜ぶ顔が見たかったし、贈り物をする行為自体が自分の中では当たり前になり過ぎていて、疑問に感じたことも、周りから変に思われているかなんてことも考えたことがなかった。


その日、従姉妹も一緒に行くことになり、待ち合わせをして一緒に祖父母の家に向かっていたときのことだ。
従姉妹が「祖父に誕生日プレゼントをあげるなんて常識的にはあり得ない」と言った時に、私の中で「そうなのか…」という驚きと、
そしてその後、ふわりと憤りのようなものを感じた。

そのあと、ずっと悶々と心の中で“憤りのようなもの”は漂い続けた。
私は、人はそれぞれ価値観が違っていて、完全に同じ気持ちにはなれないと頭ではわかっているのになぜそんなものを感じているのか分からなかった。


そして、もやもやと考えていた末、
祖母に初めて自分で稼いだお給料を贈った日のことを思い出したのだ。

私が贈った大したことない額のお給料を大切そうに握りしめて泣いていた祖母は、そこに込められていた“私の想い”に泣いていたのだ。


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私は人は死んだら終わりだということを知っている。

13年寄り添ったペットが亡くなった時も、
仲良くしていた後輩が亡くなってしまった時も、
亡くなった後には“想い”や”言葉”は伝えることができなかった。

「あの時、こうしていればよかった」
「もっとたくさん感謝を伝えて、大好きだと伝えて、抱き締めればよかった」
「こういう言葉をかければよかったな」
「たくさん写真を撮って、たくさん会って、たくさんの思い出を作ればよかった」
「もっと喜んでくれることをしたらよかった」

どれだけ思っても考えても、死んでしまったらできない。
そういうことを私は知っているし、だからこそ今、なんでもできる今、自分の大切な人には「ありがとう」も「ごめんね」も「大好きだよ」も伝えなければいけない。
喜んでくれることをたくさんして、嬉しそうな顔をたくさん見て、
少しでも悔いが残らないように。
少しでも自分の愛情が伝わるように。

きっと私が事故に遭ったり、病気になったりしない限り、祖父と祖母は私より早くに死んでしまうだろう。
その時、私は絶対に“後悔”もするし「ああしとけば…」「こうしとけば…」とあれこれ考えては、悲しみの渦に自ら溺れに行くだろう。

それでも少しでも、ほんの少しでも良いから「お誕生日をお祝いしてあげれてよかった」「会いに行っていてよかった」「たくさん抱き締めていてよかった」と、そんな風に悲しみの渦の中で思えたら良いなと思う。

そんな思いを胸に私は祖父母がいちばん喜ぶ方法を探しては、
これからも贈り物に“感謝”を添えて、贈り続ける。

だから、私はそんな想いと共にしていた自分の行動を「常識的には〜」なんて言葉で片付けないでくれよ!と、憤りのようなものを感じていたのだろう。
だけど、私はもちろん、私のこの考え方や価値観を従姉妹に押し付ける気もなければ、誰かに理解して欲しいとか、そんなことも全くもって思っていない。



ただ人は、必ず死ぬ。

だからこそ私は自分の大切な人くらいは、自分の大好きな人にくらいは、思いっきり抱き締めて「大好きだ」と「迷惑ばかりかけてごめんね」と「いつも本当に本当にありがとう」と伝え続けたい。

自分の大切な人が亡くなるその日まで。
自分自身が死んでしまうその日まで。



ー  自戒の念を込めて。 ー



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