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『マッティは今日も憂鬱』から見る、「欧米」の固定概念

マッティは今日も憂鬱(英題:Finnish nightmares )という本をご存知でしょうか。

典型的なフィンランド人、「マッティ(Matti)」にとっての「憂鬱なこと(nightmares)」が描かれた絵本です。

「日本人にそっくり!」と話題で、2017年には日本語訳が出版された本です。私も英語版が大好きだったので、日本語訳が出版されたと聞いた時は驚きつつも嬉しく感じました。

さて、『マッティは今日も憂鬱』の中で何が描かれているのかというと、

バスが”いっぱい”で座れない時

隣に座っていた人が空席に移動して「あれ、私なんか変なことした⁉」と思う時

これらの瞬間に「あ~わかる!」と共感する日本人は多いのではないでしょうか。私もフィンランドに留学中、『Finnish Nightmares』を読みながら「日本人とフィンランド人って似てるんだな~」と思っていました。

シャイでパーソナルスペースが広くて、コーヒーが大好きなフィンランド人。もちろん全員がそうなわけではないとわかっていても、共感してフィンランド人を身近に感じられる1冊です。

さて、この本を読みながらふと思ったことがあります。
それは、

日本人の「欧米」に対するイメージって、主に米国映画・ドラマの影響を受けたもの。

ということです。

『マッティは今日も憂鬱』からもわかるように、フィンランド人にとっては道で知らない人と話したり、挨拶をするのは当たり前のことではありません。

でも、日本にいて「欧米」として思い浮かべるイメージって、きっとフレンドリーで、社交的で、知らない人との世間話も楽しんでいるような様子なんじゃないかな、と思うんです。

ヨーロッパの中の北の小さな国フィンランドで生活していてすごく違和感を感じたのはここです。

欧米の欧は欧州=ヨーロッパ、米=アメリカとして使われますよね。大陸も違って歴史も全く違うのに。ヨーロッパだけでもすごく広くて、多様な文化・国があります。アメリカもすごく広くて、独自の文化があると思います。

その全く別物である二つの地域をひとくくりにして「欧米では~~」と語るのは、あまりにも乱暴すぎるのではないか。

日本人だって、日本を含むアジアの国々、さらにはオセアニア地域までまとめてひとつの地域のように語られてしまったら、

「え?乱暴すぎない?アジアだけでもそれぞれ全く違う国だし、オーストラリアとも全く違うよ!」

と思うのではないでしょうか。

「欧米」を一括りにすることは、これくらい雑なこと。

これは国だけじゃなくて、性別や学歴、性格など全てのことに言えることなのではないでしょうか。

わかっているつもりでも、無意識につい一括りにしてしまっているかもしれません。一括りにすることで、それぞれの個性を見れなくなっているかもしれません。それはすごくもったいないことだし、時には誰かを傷つけることです。

「乱暴なラべリングや偏見、固定観点は使わないように気を付けよう」と今日も思うのでした。

何回見ても可愛くていい本~♡


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