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「夏らしさ」を楽しむ心

台風が過ぎ去った次の日の昼間。

窓を開けると青い空ともくもくとした入道雲が広がっていた。あだち充作品の一コマのような空だった。

今年の夏は、足早にやってきた。

平成最後の夏を全力で楽しめとでもいうように梅雨は急ぎ足で過ぎ去り、あっというまにうだるような暑さが押し寄せてきた。

7月が来る前には、照りつける太陽と湿度の高さが暑さに拍車をかけ、すっかり夏の空気だった。

私はかき氷も花火も満喫して、夏はもうおなかいっぱいだと思っていたのだけれど、あの入道雲のもくもくとした形と、いつもより広く感じる雲、照りつける太陽が夏本番を物語っていた気がした。

そんなことを考えていたら、ふと疑問に思ったことがあった。

「夏らしさ」ってなんだろう。なんで「夏らしさ」を求めるんだろう。

私は入道雲を見て「夏だ」と感じたけど、かき氷だって線香花火だって夏の風物詩。夏になると毎年毎年、飽きずに「かき氷食べたい」「花火したい」と言うようになるのだ。

私は今年たくさんのかき氷を食べて、テンションが上がってインスタのストーリーにあげていたのだけれど、「かき氷ってただの氷なのにね」と言われた。その通りだ。たが氷を削っただけのものだけど、なぜかとても夏を感じるし、「夏だから食べなくては」とまで思うのだ。

夏祭りや花火大会もそうだ。

先日花火大会に行ったのだが、花火があまりよく見えないところでも、みんな楽しそうにしていた。多分みんな、花火を見に来ているにもかかわらず。

私もそんな人々の一部で、かすかに見える花火と屋台、浴衣を着てのお出かけ、夏の夜の空気、お祭りの雰囲気、それら全てをひっくるめた「夏らしさ」を感じることを楽しんでいたような気がする。他にもそんな人は大勢いるのではないだろうか。老若男女問わず多くの人が、それぞれの「夏らしさ」を求めてこの場にいる。そんな感覚になった。

夏の風物詩を楽しむ心って、なんなのだろう。どこから来るのだろう。

夏は長いようで短いからだろうか。

夏が終わっていくときに一抹の儚さを覚えるあの感覚が、私たちを「夏らしさ」を楽しもうと突き動かすのかもしれない。

「今年の夏はもう来ない」ことをわかっているからかもしれない。

そんな、「今」を全力で楽しむような心を、夏からは感じるような気がするのだ。

平成最後の夏、碧空の下でスイカ割りや花火、夏祭りの予定を立てる私もまた、「夏らしさ」を楽しみたい気持ちに突き動かされているのだろう。


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