時間がまた動き始めたようだ。 夕食の準備を前に同僚にメールを打っていた時のことだった。ノートPCのかたわらに置いた2つのスマホのうちのひとつが光った。通常仕事用のiPhoneは音が鳴るようにしているので、無音のそれはプライベートの方だった。 こんな時間に、と思うほど遅い時分ではなかったが、しかし奥さんは既に帰宅して台所にいる。急ぎで届きそうな荷物もない。何だろうと思って自分のiPhoneを取り上げると、画面には父の名前が表示されていた。 夜に突然肉親から電話があるという
久しぶりに盲点という言葉が頭に浮かんだ。 まったく余裕のない毎日を送っている。仕事をするか引越の準備をするか、もしくはネコを触っているか。在宅で引越なんてラッキーだと最初は思っていたが、ただでさえ仕切りのないがらんとした部屋で夫婦2人で仕事をしているところ、段ボールやら何やらがあちこちに積み上がって落ち着かないことこの上ない。まあでも引越なんてそんなものだとは思う。 とはいえ引越まであと1週間、そろそろ引越先のご近所様に挨拶に行かなければならない。改装工事に入る
人生是養生。 noteが下書きを残すと「続きが楽しみ!」とか言うようになった。心憎い限りだが途中で書きあぐねたりすると途端にプレッシャーになる。まあでも日記みたいなもんだしいいかとやっと思い直して、今こうして再び打ち始めている。 少し間が空いたが家のリノベの話だ。壁だったところを抜いてもらったり、逆に入り口だったところを塞いでもらったりしたおかげで、1階のあちこちで薄緑色の石膏ボードが剥き出しの状態になっている。これを当初からある土壁と合わせて白色に塗ることにし
いつまでこんな食生活を送れるというのだろうか。 思い返せばこの2ヶ月間、日々何を食べてきたかを記録として残しておけば、それだけでひとつのコンテンツとして成立したかもしれない。いやコンテンツなんて実利な言い方をする必要はない。単純に自分で読み返して面白かったはずだ。 そんなことを思っていたら同じ部署で働く後輩のナマちゃんが毎日食べたものをインスタにアップしていた。人間毎日こんなに食べてるのかと案の定とても面白い。くそ、やるなと思いながら機械的に集められた全裸写真のよう
貴重な記録になるのかもしれない。 今勤めている会社の、確か二次面接の時だったと思う。当時は最初に筆記があり、次いで支社で一次面接、それに通ると本社で二次面接という流れだった。 二次は2人の社員の方が面接官だった。「●●さんに面接された」などと話す同僚がたまにいるが、私は誰に面接されたのかまったく覚えていない。ただ左のスーツ姿は宇野宗佑みたいだな、右の方は記者っぽい人だなとは思っていた。 面接の後半、その記者っぽい方に柔らかい調子でこう聞かれた。 「人間、
毎日家にいます。 次の家のリフォームを進めている。基本的には工務店さん任せで、週に1回差し入れを持って様子を見に行くだけだが、今回はコストを抑えることと、自分たちの興味もあって、一部の作業をDIYにしている。 おかげでこの休みはパテとシーラーとペンキにまみれることになった。早朝にクルマで出掛けて新居にこもり夜帰ってくる、もうひとつのstay homeだ。 元々この家は全ての居室が和室という今どき珍しい家だった。お年寄りのご夫婦がお住まいだったのでそれもわかる
朝起きたら、起き上がれなかった。 大学生の頃よく金縛りに遭っていた。霊感ゼロの私が悪霊に憑かれる訳もなく、単なる睡眠麻痺というやつだ。何故起きるかといえば大体ストレスとか時差ぼけとか言われるが、Wikipediaにはなんと「思春期に起こりやすく」と書いてあった。私は二十歳過ぎまで延々思春期が続いていたのか。 しかし今回は違った。体は動くには動くが、まったく何もする気がない。頭のなかが空っぽだ。元来ペシミスト故にむしろうつとは無縁と思っていたが、ついにその時が来た
執念と言えば執念なのかもしれない。 もともと少し前から引っ越しを画策していた。今住んでいる家というか部屋は、100平米超の居住スペースに70平米のルーフバルコニーが付いた稀有なマンションだ。それでいて家賃が安めなのは事故物件だからではなく、オーナーさんが余裕のある人で儲けるつもりがないのと、何より古いからだ。 特にリビングの片隅に設置された電気温水器が年代物で、水道屋さん曰くいつ壊れてもおかしくないという。もはやスペアパーツもないうえ、前の持ち主が辛うじて点検が
過去、現在、未来を毎日行ったり来たりしている。 巣ごもり生活で気付いたことが2つある。ひとつは「自己肯定感」について。元々私はこいつを掴むのが苦手だが、それをこの1年ほど強化していたのがnoteに記事を書いていくことだった。ほぼ毎日、短くてもいいから文章を書いて、好きな写真を組み合わせてひとつの形にする。この最後にピリオドを打つのが重要で、まとまったものをひとつ残すと、小さなものだが自分のなかに「今日も書き上げたぞ」という自負心が生まれる。それが生きる気力をチャージ
ずっと家にいるので、ずっと家にいる動物のことを書く。 私が生まれる確か2年前くらいに、堀家最初の犬が来た。ピーターという名のポメラニアンだった。同じマンションの別の階に住む父の友人が、子供が喘息になって飼えなくなったと言ってきて譲り受けたものだった。 そういう出自のせいか知らないが、彼は賢いけれどとても我の強い犬だった。多分自分が「除け者」にされたことがわかっていて、以後自らのポジションを守ることが第一と心に決めたのだと思う。その後生まれた私は彼にとっては新参者
何故か今頃になって、こんな記事がタイムラインに流れてきた。 ただうなずくしかない。この記事が書かれたのは3月5日。私の誕生日の1日前で、世間はそろそろ新型コロナが日常に入り込んできたことを実感し始めた頃だ。既にマスクは街なかでは手に入りづらくなり、トイレットペーパーの買い占め騒動があちこちで起きていた。 だがその緊張感はまだ、今よりはずっと緩かったと思う。緊急事態宣言が発せられた2020年4月7日以降、上に掲げたような記事をアップすることは、尚更勇気のいることに
非常時の日常が続いている。 原稿を書くペースがまったく掴めなくなった。私の場合何かを書くということが多分に身体的なものなのだと思う。今は在宅続きのおかげで体を動かす機会が減っている。すると同時に書くことを考えることや、そのためにキーボードを打つこと自体が体から遠ざかってしまう。これはとてもストレスの溜まる状態だ。 どうすればいいか。日記にしてしまえばいいのだと思う。それに人生においてこんな時間を過ごすことはそう多くはないに違いない。ならば自分にとっても記録として
ある意味、生きるのが必死になってきた。 もはや誰でも感じていることだと思うのでさらっと書くと、家にずっといることがこんなにもストレスだとは思わなかった。 たまの休みには家でネコを膝に乗せて読みたかった本を読んだり、書きたかった原稿を書いたり、バイクに乗ったりするのがとても楽しかった。子供のいないサラリーマンのシンプルで気楽な休日だ。ところが平日も休みもずっと同じ場所にいて、同じ椅子に座りながらある日は仕事をし、ある日は白ワインを飲んだりしていると、そのうち「
2ヶ月ぶりに髪を切る。 もう10年以上ずっと同じ美容師さんのところに通っている。かつて大阪市内に住んでいた頃、たまたま入ったヘアサロンで担当してくださった方で、その後独立して大和川の向こうに一人でお店を構えている。遠いのでいつもは会社帰りに寄るのだが、今日は2週間ぶりに社屋内で打合せがあったのでそのついでだ。 もはやあらゆる業種、あらゆる商売に例のウィルスの影響が出ているが、私の美容師さんはまだそこまで深刻という訳ではないらしい。常連さんが殆どだからですかねとか
彼らはやっぱり袋を持っていると思う。 このところずっと人間が家いるせいか、ネコたちの無遠慮さが目立ってきた。メインクーンの方はまだいい。元々撫でられるのは大好きでも抱っこはイヤ、膝に乗るなんてもってのほかという距離感の持ち主だが、ふと気付くと人間と並んでソファでくつろいでいる。昨夜など奥さんの隣でベッドで丸くなっていた。5月に4歳になるがこんな光景は初めて見た。きっと在宅勤務の2週間を経て人間との距離が自然と縮まったのだろう。これは嬉しい変化だ。 問題はもう一匹
どこに住みたいかということについて、深く考えたことはあまりなかったような気がする。 大学で関西に来たのもそもそも大学がそこにあったからで、その後就職した会社に言われるがままに東京で研修を受け、名古屋に赴任してそこで6年間を過ごした。 それから関西に転勤して最初は大阪市内、当時それなりに盛り上がっていた堀江や新町に近いエリアに、なんか面白そうだしと思って住んだのだった。確かにお店は多いし日頃遊び歩くにも好都合だったのだが、夜遅くに帰るとパトカーが路地裏でひったくり