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生き延びること

 
 何故か今頃になって、こんな記事がタイムラインに流れてきた。

 ただうなずくしかない。この記事が書かれたのは3月5日。私の誕生日の1日前で、世間はそろそろ新型コロナが日常に入り込んできたことを実感し始めた頃だ。既にマスクは街なかでは手に入りづらくなり、トイレットペーパーの買い占め騒動があちこちで起きていた。

 だがその緊張感はまだ、今よりはずっと緩かったと思う。緊急事態宣言が発せられた2020年4月7日以降、上に掲げたような記事をアップすることは、尚更勇気のいることになってしまった。

 でも、お店を取り巻く環境は変わっていない。むしろますます厳しくなっているはずだ。

 私の働いている業界も大きな影響を受けるだろう。一体どんな業績、どんな決算になるのか最早想像もつかない。しかし私としてはそれ以上に、荒波をもろにかぶったあの店、この店の行く末が気になっている。

 店を失うという経験を初めてしたのは、社会人の駆け出しの頃のことだ。

 とある私鉄の駅を出たところに、マルコポーロというお店があった。トラットリアというほどイタリアンでもなく、ワインバーというには料理が豊富で、しかしビストロと呼ぶほどディープではない。今でもたまに「●●ダイニング」と銘打ったお店があるがそれを骨太にしたような、食事もできてお酒も飲めるお店だった。

 私はちょうど取引先で知り合った人の影響で、ワインに興味を持ち始めた頃だった。家でパスタやら何やらを作り始めるのはそのずっと後のことだが、今思えばイタリアワインとはその頃から縁があったのかもしれない。そしてちょうどそんな時期にふと入って気に入ったのが、マルコポーロだった。

 マルコポーロには女性のソムリエさんがいた。有り体に言えば美人さんの、いつも忙しそうに動き回っていて、でもどんな時でも愛想よく対応してくれるとても気持ちのいい人だった。

 そこでは色々な食べ物やお酒を教えてもらった。パスタや肉、魚も勿論美味しかったのだが、今でもよく覚えているのはドライいちじくだ。20代の私はこの店で初めて丸のままのドライいちじくを食べ、なんて美味しいおつまみなんだろうと思った。そして行く度に例外なく注文し、ぷつぷつとした中身を噛みながらワインを飲んだ。他に枝付きのレーズンなども好んで食べていたので、あそこはやっぱりワインバーだったのかもしれない。

 決して安くはなかったので足繁くというほどは通えなかったが、それでも例のソムリエールさんに顔と名前を覚えてもらうくらいにはなった。そして冬のある日、仕事が立て込んでなかなか好きなようには飲みに行けない日々が続いた後のことだった。今週末は久し振りに行けるかなと電話してみると。

 「今度の土曜日の予約をお願いしたいんですが」
 「すみません、その日は満席なんです。あと今月いっぱいで閉めることになりまして」

 一瞬何を言われているのかわからなかった。そのようなことを何度も経験した今となっては、そこまでの衝撃は受けないかもしれない。だがその時の私には大変なショックだった。

 電話に出たのは別の男性の店員さんだった。最後にあの女性のソムリエさんに代わってくださいとは、当時の私は何故か言えなかった。これまでお世話になりましたと、呆然としたまま形通りの挨拶をして電話を切った。あれだけ好きだったマルコポーロとの縁もまたそこで唐突に切れた。

 ああ、お店は生き物なんだと、その時に初めて思った。水や空気や食べ物が尽きて死ぬこともあれば、突然息絶えることもある。時には自殺することだってあるかもしれない。何だか物騒な例えだが、つまりお店とはそういうものだと今でも思っている。だから好きなお店には精一杯愛情を注がなければならない。じゃないとふいに取り返しのつかないことが起きる。マルコポーロを失った時のように。

 いよいよ梅田に出る機会が無くなってしまった。仕事はもちろん、生活必需品を買いに大阪駅にまで出掛けるということは、普通は考えられない。必然、今までに何度も行ったバーに立ち寄ることもない。

 「ウチなんて3密じゃないんですけどねえ。昨日なんてお客さん4人だけですよ」

 マスターは軽口を叩くようにそう言っていたけれど、少し離れてカウンターに座っていた私は笑う気になれなかった。水をやらなければ植物は枯れてしまう。所詮私の落とす金なんて大したことはないので、宣言明けにはまた元気に営業しているのだと思う。思うのだが。

 お前はこの店を見殺しにするつもりか。

 一瞬でも人にこんな思いをさせるところが、新コロの野郎の憎たらしいところだと、つくづく思う。

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