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ありがとう

 
 ずっと家にいるので、ずっと家にいる動物のことを書く。

 私が生まれる確か2年前くらいに、堀家最初の犬が来た。ピーターという名のポメラニアンだった。同じマンションの別の階に住む父の友人が、子供が喘息になって飼えなくなったと言ってきて譲り受けたものだった。

 そういう出自のせいか知らないが、彼は賢いけれどとても我の強い犬だった。多分自分が「除け者」にされたことがわかっていて、以後自らのポジションを守ることが第一と心に決めたのだと思う。その後生まれた私は彼にとっては新参者で、私はいつもベビーサークルの隙間から手や足や顔を舐められ泣いていたらしい。その後もずっと私とピーターの序列はそのままで、私が頭を撫でると必ずウウと微かに唸り声を発した。結局私がピーターを抱き上げることができるようになったのは、彼が年老いて人の区別ができなくなってからのことだった。

 小2の時にはヒメというヨークシャーテリアのメス犬が来た。東京の従姉が飼っていたマミの子供だった。本当はきょうだいがもう1匹いたらしいが、気の強いマミが噛み殺してしまったらしい。ヒメは生後間もない頃に既にそんな修羅場を切り抜けてきた女傑だった。

 ヒメは放っておくといたずらばかりするので、母の実家の母屋の廊下でサークルに入れられたまま放置されていた。幼い私はそんな彼女を勝手に「救出」しては、広い座敷に解き放って一緒に走り回って遊んでいた。そのうちヒメはすっかり小学生の私になつき、長野に連れて帰ることになった。

 結局ヒメは最後まで私を慕ったままだった。ピーター以上に気が強く、どこに行ってもキャンキャン吠えるくせに内弁慶で臆病で、家族以外は全て敵みたいに思っている、とても扱いづらい犬だったが、私には一貫して素直で忠実だった。犬は主人がいてこそ安心して暮らす動物だが、そういう性質を身をもって教えてくれたのはこのヒメだと思う。

 その後は父の知り合いでフランス駐在から戻ってきた人から譲り受けた、ミニチュアプードルのバルザックが来た。この犬は流石かの国では警察犬になるだけあって、もの凄く賢くて勘の良い、今にも人間どうしの会話に入ってくるんじゃないかと思うくらい聡明な犬だった。

 その頃は息子はまったく学校に行かなくなり、夫は夫で外に女を作って家に寄り付かないという、母にとっては人生ハードモードな時代だったが(おまえが言うな)、そんな母の心を一貫して支え続けたのがこのバルだった。よく台所のアコーディオンカーテンを開けると、電気を消して真っ暗な中で一人母がタバコを吸っていて、その足下にバルが控えているという構図を目撃した。暗闇に光るタバコの赤い火と犬の2つの目は、あまり心臓によろしいものではなかった。

 更に祖父が入院する折には祖父母が晩年飼っていたシェルティーのラッキーを預かることになり、一時期実家には3匹の犬がいた。嫁いだ頃に散々イビられた義父母の犬だけに、母は一貫して冷たく接し、父はそれに何も言わなかった。当然犬はそういう扱いに敏感なのでやさぐれるが、そんなラッキーが目をつけたのは、同じく家で腐っていた私だった。

 ラッキーは来て間もないうちから私になつき、というか私を頼りにするようになった。私に呼ばれた時だけ返事をし、私にだけひっくり返って腹を見せ、私が椅子に座るとその真下に横たわって辺りをうかがい、毎日私の足下で眠った。これもまたいかにも犬らしい行動で、私はここでも犬とはどんな動物かということを大いに学んだのだが、私が大学に拾われて家を出たら即、ラッキーは父の親戚の家にもらわれていってしまった。母にとってはよほど憎たらしい犬畜生だったのだと思う。

 親元を離れてからは実家の犬との関係は薄まった。しかしそれでもその後やってきたミニチュアシュナウザーのシュナ、そして私が子犬を手に入れて実家に連れて帰ったイングリッシュコッカースパニエルのアビーとは、会う度によく遊び、そして犬たちもまたたまにしか会わないにも関わらず、私のことを家族の一員として認めてくれたのだった。

 以上が私の犬遍歴だが(厳密にはもう1匹いるがややこしいので触れない)、こう思い返してみるとどの犬もそれぞれ個性があって可愛く、そして面白かった。しかし中でも別格なのはヒメで、彼女には何故か今でも感謝のような不思議な気持ちが私にはある。それは多分犬とは、犬と暮らすとはどういうことかということを、私に初めて教えてくれた犬だからだと思う。私が天国だか地獄だかに行った暁にも、よたよたと迎えに来るのはヒメなんじゃないかという気がする。

 やっとネコの話に辿り着いた。その感謝のような気持ちを、実は最近再び動物に対して感じることがある。今飼っている茶トラのフクスケの話だ。

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 元々私はネコも飼ってみたかったのだが、父が乗り気ではなかったのと、何となく犬とネコは一緒には飼えないんじゃないかという先入観があって叶わなかった。その代わり自分が自由に動物を飼える身分になったら絶対にネコを飼うのだと思っていた。そして晴れて私の人生初ネコとしてやってきたのが、このフクスケだった。

 フクスケは元々は野良猫だ。福岡の路上で母ネコに忘れられていたところをネコおばさん的な人に拾われ、めぐりめぐって我々の元にきた。なので最初は福岡空港から一人飛行機で伊丹空港に飛んでくるところから始まっている。私なんかよりはるかにたくましい経歴の持ち主だ。

 私は最初ネコのことがまったくわからなかった。大体犬とネコとでは触った時の感触からしてまったく違う。初めてフクスケを持ち上げた時には体がぐにゃぐにゃでどこを支えたらいいのかわからず、このまま持ち上げるとちぎれてしまうんじゃないかと思いとても怖かった。

 ネコらしさというのは一緒に生活していると随所に顔を出す。呼んでも来ない。自分が相手にしてほしい時は徹底的にしつこい。行動が突然変わる。夜中に家じゅうを走り回る。あからさまにおべっかを使う。毎日必ず日なたで身づくろいをする。くしゃみをするくらいのカジュアルさで食べたものを吐く、など。そして実はこれらのことを、私は100%フクスケに教わっている。

 ウチにはもう1匹、ダーリンという酔狂な名前のメインクーンがいるが、彼はそれらの性質のせいぜい半分くらいしか感じさせない。むしろ素直で大らかでフレンドリーで、ネコというより犬に近い生き物ではないかとさえ思う。大型の種類ならではの特徴なんじゃないかとよく奥さんと話をするが、真偽のほどはわからない。

 それに比べてフクスケは圧倒的に「ネコ」だ。おい、俺たちネコってのはこういうもんだからさ、覚えとけよ。まるでそんなことでも言いながら、私の前であらゆる行為に及んでいるような気がする。そしてそれを私は毎日学ばせていただいている。私はネコ社会においては完全に新入りだ。

 しかしそのフクスケがなついたのが、何故かネコのことなどまったくわからない私だった。その理由は不明だが、何となく思うのは私がネコに不慣れな分、強引な態度で接することがなかったからじゃないかと思う。とにかく私はネコの様子をひたすら観察し、相手が望んでいそうなことを最初は恐る恐る、今は淡々とし続けてきた。ネコは無理矢理何かをさせられることをとても嫌がる。犬はそれを人間と一緒に行う「ゲーム」のようなものと捉えて楽しむところがあるが、ネコにはそれがない(ダーリンには若干その気がある)。恐らくその常に下手に出る感じがフクスケには好ましく映ったのではないかと思う。

 結局フクスケは私の元に、ダーリンは奥さんの元によく行くようになった。思えば偏屈で気難しい和ネコが私になつき、陽気で誰からも好かれるメインクーンが奥さんを慕うようになったのは、お互いの性格を考えれば至極当然の成り行きだったのかもしれない。

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 そんなフクスケが夜ソファで寝ている時などに、ふと思い立った私が近付いて頭を撫でながら何と話し掛けるか。それは何故か「ありがとう」だ。

 自分でもよくわからないが、やっぱり今こう冷静に考えてみても「ありがとう」が一番しっくりくる。「ありがとね、フク太郎」などと声を掛けても茶トラはせいぜいゴロゴロと喉を鳴らすだけで、こちらのことなどまったく意に介さない。しかしこちらもそもそも相手の反応など求めていないので、それはそれで構わない。ただこちらの気持ちが触覚や聴覚を通じて、目の前で寝息を立てている獣の中にしんしんと降り積もっていく、そういう感覚があれば十分だ。

 それでも何故「ありがとう」なのかと考えれば、ヒメと同じくネコというものの全てを教えてくれたのがフクスケだからだろう。最初は面食らうこともたくさんあったが、今はその行動のひとつひとつがとてもネコらしく見える。私のネコ偏差値も上がったものだ。

 最近は人間が妙に家から出なくなり、一体何ごとかと思っているかもしれない。いや、それもひと月もたてばもう慣れたか。フクスケは相変らず夕方になると私の膝に乗ってひと眠りして、こういう毎日が当り前だという顔をしている。当り前って一体何だったっけ。明日は、来週は、来月は、来年はどうなっていることかと気を揉んでいる側からすれば、動物の方がよほどこの異常な環境に順応しているのかもしれない。そんな気付きを与えてくれることを考えても、私はやっぱり今日もちょっと埃くさい茶トラの体を撫でて、ありがとうという言葉を発している。

 よくネコを飼っている人が自身のことを「ネコの奴隷」だと自嘲気味に言う。それはつまり今書いてきたようなことによる。

 

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