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折り重なる記憶

 
 久しぶりに盲点という言葉が頭に浮かんだ。

 まったく余裕のない毎日を送っている。仕事をするか引越の準備をするか、もしくはネコを触っているか。在宅で引越なんてラッキーだと最初は思っていたが、ただでさえ仕切りのないがらんとした部屋で夫婦2人で仕事をしているところ、段ボールやら何やらがあちこちに積み上がって落ち着かないことこの上ない。まあでも引越なんてそんなものだとは思う。

 とはいえ引越まであと1週間、そろそろ引越先のご近所様に挨拶に行かなければならない。改装工事に入る前にひと通り顔合わせは済ませたのだが、当日は住居に至るまでの細い道をトラックが行き交うことになるので、改めて会いに行っておいた方がいいに違いない。それに次に住む家の周りは平坦な道などないというくらい坂道が多く、どの道を通るにしても譲り合いが基本だ。尚更話はつけておいた方がいい。

 と思って週末に新居に向かったところ、家のすぐ近くを3軒隣りのコイケさんがポメラニアンを抱いて散歩していた。確かあの方はコイケさん……?と思っていたら、向こうから話し掛けてきた。

「今日はクルマやないんやね!」

 おお、養生だ塗装だと行き来していたのをやっぱり見られていたか。

 「ええ、この後工事の搬出がありまして」
 「そうそう、あそこの家の●●さんが一度家の中を見てみたいって」
 「そうなんですか」
 「なんかガラッと中変えはったやろ?見てみたいらしいわ」
 「(よく見てるなあ)いいですよー、でもまだ色々作業中で散らかってるんです」
 「ええよええよ、こっちに来はってからで。私も見たいし」
 「(おばちゃんが見たいだけちゃうん?)」

 こういうご近所さんとの会話は久しぶりだ。以前古い一戸建てに住んでいた頃はそんなご近所付き合いがあった。当時私は仕事と家人の世話でまったく休みがなかったので、当番で回ってくるゴミ捨て場の管理をお隣さんにお願いしたりしていた。北側の家の人はさばさばした親切な人で、まかせとき!みたいな感じでいつも快く引き受けてくれた。私も長野から取り寄せた桃やリンゴなどのつけ届けを欠かさず、良好な関係を維持していた。

 しかしその代わりと言っては何だが、南側の家は厄介だった。ある日我が家の前で南側に住むおじさんがタバコを吸い、そのまま吸殻を地面に捨てていた。以前から門柱の前に時折落ちている吸殻が気になっていた私は、外に出て行ってそこにタバコを捨てるのはやめていただけませんかと声を掛けた。

 「タバコなんて吸っていない!失礼な!」

 おじさんはそう怒鳴って家に引っ込んだ挙句、私が数年後に引っ越すまで二度と口を利くことはなかった。

 どちらも同じ人間という生き物がすること。とにかくご近所付き合いは慎重に。マナーを守って常識的に暮らしていれば、いつか困った時には誰かが助けてくれるはず。そう思いつつ、遅れて到着した奥さんに事情を話すと、

 「なら今日見てもらえばいいのに。今ならモノもないし」

 仰る通りであります。ひょっとしたら「今なら上がっていただかなくて済むし」という計算も働いていたのかもしれない。それはわからない。でもとにかく今のうちにお見せしてしまった方がこちらも気が楽だ。それにその日は前日から床にオイルを塗っていたので、実際誰も部屋の中には足を踏み入れられない状態なのだった。

 その日の作業を終え工務店さんが工事の荷物を搬出し終えた夕方、改めてコイケさんの家に出向き、ひと通り片付いたのでご覧になりますか?と聞いてみる。コイケさんはあらー、まあー、いいのーなどと言いながら一本北側のお宅の方をいそいそと呼びに行った。どうやらその方が中を見たいと仰っているのは本当だったらしい。しかしそのお知り合いは残念ながら留守で、やむなくコイケさん一人を家にお連れすることになった。

 その後に聞いた話はまさに「収穫」だった。「広いねー」「風が通っていいね」「古民家風やね」という感想はまあ、予想通り。屋根裏部屋を作った天井については「こうなるの知っててこの家買ったん?」と核心を突かれた。すみません、偶然です。

 だが「この辺りは私(コイケさん)の家を含めて昔はひとつの敷地」「今建物が建っている辺りは昔は庭と畑だった」「庭には露天風呂があった」「大学の先生が住んでいた」「最後に住んでいたおばあちゃんは百歳を超えて大往生」「おばあちゃんは小柄だったので台所が低いはず(確かに……!)」なんて話を聞くと、この家や土地の出自がだんだんわかってくる。コイケさん宅はこの辺りの土地が分割された後に義理のお父さんが建てた家だそうだ。嫁いできた頃にはまだその露天風呂やら何やらが残っていたらしく、この辺り一帯が大豪邸の跡地であることは確からしかった。なるほど、どうりでウチの庭にも様子のいい大きな石(岩)があったり、隣りの空き地に石垣みたいなものが残っている訳だ。

 そして極め付けはこんな話だった。

 「あんたんとこ、防空壕あるやろ?」
 「は?」
 「庭から、ほら、階段で降りてく」
 「ああ、あれ昔の倉庫か何かだと思ってました」
 「あれ防空壕やで」
 「そうなんですかー」

 玄関横の階段を降りて庭に降りた先の壁際に、石造りの細い階段があることは知っていた。そしてそれを降りると年季の入った木戸があり、開けると石舞台古墳さながらの狭い空間が広がっている。勿論購入時にもその存在は不動産屋さんから知らされており、昔の倉庫か貯蔵庫か?と話していた。なるほど、防空壕でしたか。

 別に不穏な空気もなかったのだが、何となく防犯上不安なので清祓をしてかんぬきを掛けるつもりでいた。塩屋の辺りは大正時代から西洋人が多く住みついていたせいか、第二次大戦時も例外的に空襲を免れたと聞いている。なのでこの防空壕もどれだけその本来の使われ方をしたのかわからないとも思う。しかしこれはいよいよお清めは必要かもしれない。

 本当は埋め戻すのが一番いいのだろうが、幸い家の基礎からは外れたところにあるのと、何より巨大な岩でできているので問題ないだろうと判断していた。これは住所を移しに区役所に行ったついでに早速相談だな。

 「でも、この家を買ったことはええと思う!」

 地元愛あふれるコイケさんは、さんざんこの辺の土地の話や周りに住んでいる人の噂話をした後に、笑顔でこう言ってくれた。よし、取り敢えずこれで重要人物の一人への義理は果たした。円滑な居住地移転への第一歩だ。

 それでもやはり、我々にとって最もインパクトがあったのは「ボウクウゴウ」だった。そこで何が起きたとかそういうこと以前に、75年前の記憶が当時の姿のままぬっと目の前に現れた時の衝撃はなかなかのものだ。

 まあでも、これも古い家を買う時のひとつの楽しみ、と言っては語弊があるが、人の歴史を引き受けることの一部なのだと思う。そして私はそういうことが面白いと思って次の家に住もうとしている。きっと住んだら住んだで色々なことが起きるんだろう。でも楽しみか不安かといえば、やっぱり今は楽しみだ。

 いやそれにしても、防空壕だったか。

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