「得意と不得意」気付くほどに自分を知る。
生きていくために何をするかよりも、何をして生きていきたいかを考えている。
生きる、人生、運命だとか、なかなか日常で出していると恥ずかしい言葉なのかもしれない。
生き急いでいるとか、気に病んでいるのかなんて思われるかもしれない。
果たして、日々のなかで自分の人生の価値や意味を考えるのは、重苦しいことなのか。
私は、すごく素敵なことだと思っている。
いつまでも放浪したいわけじゃないんだけど、そうやって時の流れに乗って見えるもの・感じるものが変わる人生がおもしろくて。
どうして私がここに来たのか、人と出会ったのかを時々ゆっくり考えてみたくなる。
常に何かを探しているのか、もう見つかっているのに気付いていないのか。
ここ1年ほどは、本当に得意なことは何なのかを見つける旅の途中にいる。
職業と得意なことは必ずしもイコールじゃないって思いがちだけど、イコールにするために自分で切り開いていけばいいんじゃないかって。
私の場合は、得意分野を堂々と前に出すのは時間がかかる。誰かが光を当ててくれて始めて輝くものだから。
昔から何が得意かって全然言えなかった。むしろ今でも得意分野はかなり少なく、狭い。
人と出会い、素の自分を知ってもらっていくなかで得意なものを教えてもらってきたような人生だと思う。
それに、これだけ流れに身を任せていると不得意なことだって見えてくる。
私は言葉を綴るのも好きだし会話も好きだけど、個人的に大事な思いを伝えるのは苦手だ。
その苦手分野は大人になったからではなく、幼い頃からずっと持っているものだと気付かされた。
判断も行動も早いけど失敗はとてつもなく多い。集中しだしたら止まらないけれど、忘れっぽいことも多い。
そんな自分の不得意(短所)は関わった多くの人が感じていると思う。
ただ、こうして自分の得意・不得意を感じながら生きるのも楽しい。
「もっとこうなりたかった」という憧れなんていくらでもあるけれど、肯定してくれる人たちや自分自身の直感を信じて今に至る。
不得意は諦めるってことじゃない。
運動が不得意なのに、運動が好きな現在が全てを物語っている。
得意か不得意かで歩む道を決めるよりも、行きたい方向へ行って得意や不得意を見つけるのでもいいんじゃないか。
不得意でなくなるタイミングだっていつくるかわからない。だから、不得意だからといって人生から省いてはいけない。
もしも身近にある不得意分野がクリアになったら、きっとまるで違う世界で生きていける気がするから。
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