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自分の思い遣りに素直になれた話し


「理帆ちゃんは人に寄り添える素質はないよ」

と言われた事があって

それを聞いた当時の私は、
人に寄り添うことを一生懸命に
やって来た、やってたと思ってたから
なんだかちょっとショックだったんだ。

その時は、その言葉の意味だったり
私という人間を、私自身が
きちんと理解できてなかったから
戸惑った。


一生懸命にやって来た…というのは、

多分「人にはそう接しないといけない」と
それが正しいことだと思っていたから

例えば嫌なことがあったり、
「私のせいじゃない」としても
目の前の人が荒ぶってたりすると
なんだか、ワナワナして

その人を、私がわかってあげなきゃ
なんて焦っていたこともあった。


「私は人に寄り添えない」人間?

と感じたときは、
なんだか薄情で、優しくなくて
それって人としてどうなんだ?
と感じて

それまで人に寄り添うことを
頑張ってた私にとっては
「じゃあ今まではなんなんだ」
「じゃあ私はどうしたらいいの?」

って、むかついたし(笑)
落ち込んだし、戸惑った。


そんな話しを、
親しく・良くしてくれる方に話したら

「え〜!私もそうだよ!そのタイプ!」
って軽く話してくれて✨

私はその方のことを、薄情だとか
優しくないなんて感じたことは
全然なかったから

例え寄り添えなかったとしても
相手は(私は)そう感じないんだなぁ
と、思ったんだ。


「寄り添えはしないけど、思い遣りはあるよ」

「私達みたいなタイプはある意味、時と場合に
寄って泳がせて貰う方が楽な時もあるから
全員が全員、寄り添ってもらうことを
求めてるわけじゃないと思うんだ〜😊」

と、フラットに軽く話して貰えたことで

「私は確かに、泳がせてもらって
一人にさせてもらいたいタイプかも🤔🤔✨」
って。


その時はまだ腑に落ちてなかったんだけど

最近とあることを通して

やっと私は「人に寄り添えない」自分を
よし👍とすることができた🌸


でもその分、私自身がここ最近特に
ネガティブな自分や、触れたくなかった自分に
たくさん触れて、感じて見て

同じように他者にも
「思い遣り」が持てると感じた。


私もたくさん自分を責めて来て
他者のことも責めて来て
弱い自分がいて、逃げたくなるような
自分もたくさんいて。

悲しみや苦しさ、寂しさや
闇を見る怖さをたくさん体験して見て


同じように目の前で悲しむ人がいたら
思い遣りの気持ちを持って
自分に接するように

接することができるだろう、と想う😊


相手を変えようとしない、というか
目の前の人が感じていることに、
置かれている状況に、よし👍として

でも私はそこであえて一緒に落ち込むとか
ヨシヨシするのではなくて、

私は私でフラットに、自分のすることを
ただするだけ。


なんだかそういう、思い遣りを持ちながらも
相手は相手のものとして、そっとして置く事が
1番相手にとっての優しさなのかな?と

私自身が変化しても感じるし

私が同じように接してもらって
さらに、そうだなって確信した✨

「え〜!私もそうだよ!そのタイプ!」

って心を軽くするきっかけをくれた方と
最近ピクニックへ行って♩↑
(すごくいい天気だったなぁ♡)

ポツポツとそんな話しをしつつも
私の感情や気持ちに対しては
ただ「そっかそっか〜」とフラットに
扱ってもらいながらも

ご本人は好きなようにしてた✌️🌟笑


そこで改めて、私は本当にフラットに
扱ってもらっているように感じて

さらにそれがきっかけで
自分を深め、理解することができた。
(ありがとうございます♡♡)


自分のことを知れば知るほど
感じれば感じるほど、

思い遣りの気持ちを持ち
相手を信頼してまま
「相手に委ねる」ことができるんだ。



私には、寄り添う素質は
ないのかもしれないけど

自分への思い遣りを
相手にも向けられるようでいよう。


あ〜ずっとモヤモヤしてたことが
腑に落ちて、すっきりーーー♡♡


今年の冬は温かいみたいで
ピクニックが思いのほか楽しかったから
今度はラッコさん(彼氏・夫(仮))と
行こうかな〜☺️❤️

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