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雑談のない生活


5月13日


学校に行くにしても、働きに出るにしても、雑談というものはついて回る。



私は雑談が苦手だ。


無駄な上に面白くない内容も、それをしている時のダラっとした空気感も。



慣れない人同士でする雑談は、パターンが決まっていて特につまらない上に、謎のハイテンションで挑まなければいけないような気がして疲れる。


別にテンションが低くてはいけないわけではないのだろうが、多くの場合、相手の方がハイテンションで話しかけてくるので、それに応える形にした方がいいだろうと勝手に思っている。




昔は初対面の人と話す時でも、いつも通りのテンションで話していた。


無愛想にしていたつもりはない。

なのに第一印象は最悪で、今までたくさんの友人や部活のメンバーに「はじめは怖い人かと思っていた」と告白されてきた。


そんな経験が続いたことで、私は初対面の人には少しテンションを上げて話さなければと意識するようになった。


友達が欲しいと思わなくても、怖い人だと思われるというのはなんとなく嫌だったのだ。





そうして第一印象の問題は解決されたのだが、今度は私が人付き合いにひどく疲れてしまうようになった。


人と話したり、一緒に行動したりするのには莫大なエネルギーが必要だ。



体中の全神経を尖らせて、相手の会話に対して適切なタイミングで適切な相槌を打ち、その間にも笑顔を絶やさずにいる必要がある。



相手の話をよく聞くことは大切だが、細かい間違いを指摘してはいけない。

どうしても指摘したくて仕方がない時は、やんわりと相手を傷つけないようにさりげなく伝える。


みんなが笑ったら面白くなくても笑顔を作る。





私には、どうもこれらがうまくできない時がある。


みんなが当たり前にしていること。


私にも頑張ればできるのに、できないというのは甘えているのかもしれない。


でもふとした瞬間に、急に笑顔が保てなくなったり、強めの口調で相手の間違いを指摘したりしてしまう。


自分の意思ではどうにもならない。


気がつく前に事は終わってしまっている。


相手の困った表情。嫌にゆっくり流れる居心地の悪い空気。


逃げ出したい。





私は今、雑談のない生活を送っている。


家族や店の店員さんとくらいしか会話をしない。

他にしたとしても、近所の人との挨拶や、病院での診察くらいだ。



雑談がないとは言っても、家族との雑談は当然ある。


それすらも煩わしく感じる時もあるが、家族は私を理解してくれているので、テンションが低くても、表情がなくてもあまり気にしないでいてくれる。


すごく楽な生活だ。


でもこれでいいのだろうか。


このまま人と話さないまま、一生暮らすことを目指してもいいのだろうか。


今の時代、在宅での仕事や大学がたくさんあるので、不可能なことではないのかもしれない。


だが、私は話せないわけではないのだ。


話したくないだけが理由で避けていては、本来できるはずのこともどんどんできなくなっていく気がする。




困った。



私が人との雑談をうまく、もう少し楽にこなすことができればこんなことで悩まなくてもよかったのに。


雑談はしたい人だけがするような文化だったらよかったのに。



一度覚えてしまった愛想をよくする技は、出さないでおこうと思っても癖になってしまってどうしても出てしまう。


それでまた疲れるのだ。


こんなことなら、はじめから無理に頑張って愛想をよくしようとしなければよかった。


ずっと無愛想で怖い人だと思われていた方がマシだったかもしれない。







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