バートランド・ラッセル 「バートランド・ラッセル 最後のメッセージ」(1970)

バートランド・ラッセルが亡くなる二日前に書いたもの。
彼が亡くなった翌日、カイロで行われた国際議員会議で朗読された。
原文はhttps://www.connexions.orgより。

本日(2024年7月5日)のフィナンシャル・タイムズ紙の2面には、ヒズボラによるイスラエルへの攻撃の記事がありました。
背景には、イスラエルによるヒズボラの幹部の殺害があります。
(フィナンシャル・タイムズの記事は購読していないと読めないので、APの記事をリンクしました)

https://www.connexions.org/CxLibrary/Docs/CX5576-RussellMidEast.htm


中東における宣戦布告なしの戦争の近況は、まったくの見当違いによるものである。エジプト地域での爆撃によって、市民が降伏することはない。それどころか、抵抗の決意を強くするだろう。同じことが全ての空爆に言える。

数年に渡りアメリカの強烈な空爆攻撃に耐え続けたベトナムの反応は、降伏ではなく、敵機を撃ち落とすことだった。
1940年にイギリスがヒトラーの空襲を受けた時、イギリスはこれまでにない一体感と決意をもって対抗した。
このことから、現在の攻撃で、イスラエルは本来の目的を果たせないばかりか、世界中から強い非難を浴びることになる。

この中東危機の発展は危険と示唆を含んでいる。20年以上に渡り、イスラエルは暴力によって領地を拡大してきた。領地拡大の度に、イスラエルは「理性」に訴え「交渉」を提案してきた。これは帝国主義勢力の歴史的常套手段である。帝国主義勢力はあらかじめ暴力によって獲得した地を、なるべく手間をかけずに統合しようとする。攻略が、交渉の理由づけになる。前段階で行われた暴力行為はなかったことにされる。
イスラエルによる暴力行為は非難されるべきである。どの国にも他の国を統合する権利などないばかりか、(イスラエルによる)各回の領地拡大が、どこまでの暴力行為なら世界が許してくれるのかを確かめる実験になっている。

パレスチナ周辺の数十万人もの難民を、先日、ワシントンのジャーナリストI.F.ストーンは「ユダヤ人集団の首にかけられた道徳的重荷」であると評した。
パレスチナ難民の多くは、仮の住まいでの不安定な生活を30年間に渡り続けている。
パレスチナの人々の悲劇は、新しい国を造るために彼らの国が外国列強の手で「譲渡された」ということだ。
その結果として、罪のない数十万人の人々は永久に住むところがなくなってしまった。紛争の度に、その数は増えていった。
世界はいつまでこの無慈悲な残酷さに耐え忍ぶというのか?
難民には、追われた故郷に戻る権利があることは非常に明白で、その権利を否定していることが、紛争が終わらない根幹の理由である。
自分の国から集団で追い出されることを望む者などどこにもいない。その誰も耐えられぬ仕打ちをパレスチナの人々が受けることを、誰が強いることができるというのか?中東の問題を本質的に解決しようとするならば、難民が正当に彼らの故郷に定住することが必須要件である。

よく言うのが、ユダヤ人はヨーロッパでナチスの手で苦しめられてきたのだから、イスラエルに同情しないといけないということである。
私は、それは苦しみを永続していい理由には一切ならないと考える。
今日イスラエルがしていることは許されてはいけないし、過去の恐怖を掻き立てることで今日の恐怖を正当化することは甚だしい偽善である。
イスラエルは大勢の難民を不幸に追いやり、多くのアラブ人を軍事的に支配しているのに加え、非植民地化されたばかりのアラブ諸国に軍備の優先を強いることで
国の発展を妨げている。

中東の血みどろの戦いを終わらせたいならば、和解案が将来の紛争の種を含まないようにせねばならない。
正当な和解への最初の一歩は、イスラエルが1967年6月に侵攻した全域からの撤退以外にない。
中東の人々の長きにわたる苦しみに正義をもたらすには、世界は立ち上がらねばならない。

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