上手にサボることは、人生を豊かにする!
もう長い年月が過ぎ去ってしまって久しいのだけれど、私は過去、イタリアに住んでいたことがあります。
行き詰まっていたように思えて希望が見えず、人生のいろいろなことを変えたくて、イタリア留学をしたのがちょうど10年前のこと。
勤めていた会社を退職し、住んでいた賃貸の部屋を引き払って荷物を整理して、「もしかしたら当分戻ってこないかもしれない」なんて思いながら、わずかな私物だけ実家に残して、私はイタリアに旅立ちました。
ちょうどその1年前くらいにヒットした映画「食べて、祈って、恋をして」のストーリーさながら、イタリアでの時間は例えるなら、「人生の寄り道」、それもとっても素敵な景色を堪能したひとときのようでした。
それまでの、「築いた」とも言えないキャリアに終止符を打ち、でも自分に何ができるのかわからず、またそれだけでなく、その後の人生の展望も見えなくなってしまっていた当時の私。
留学というよりも、『遊学』と言うのが当てはまるような、特に目的はないけれど何か新しいことを体験したい。今思うとそんな、突き動かされるものがありました。
42歳でのことでした。
なんでもない日常を味わう日々
最初の3ヶ月を過ごした場所は、ベネチアです。
毎日イタリア語学校に通いながら、車もバスも電車も存在しない中世の街並みを今も彷彿(ほうふつ)とさせる場所で過ごした時間は、まるで『人間の歴史と人生の楽しみ』というテーマの美術館の中に生きるような感覚。
今振り返ると、そんな体感が蘇ってきます。
あれから10年も経ってしまったので、私の体験が今もベネチアで同じように得られるとは思えないのですが、日本では、またイタリアの他の場所ではとうてい体験できない、『美しいけれど不便な暮らし』がそこにはありました。
間借りしていたアパルトメントは、冬なのにシャワーのお湯がちょろちょろとしか出ず、街には大きなスーパーがなく、肉屋、果物屋、小さな食料品店は夕方には閉まってしまう。
夜の道はところどころに設置されている最低限の街灯の灯りが頼りで、「夜ってこんなに真っ暗で静かなんだ」と改めて感じたりもしました。でも不思議と『怖い』という感覚はなくて。
それは、周りに人がいない田舎の怖さではなく、真っ暗なんだけれど人間の温もりがあるような、そんな初めての体験でもありました。
いわゆるもともとのベネチア人たちは当時すでに、物価高や観光地化による住みにくさから別の場所に移住してしまってほとんど残っていない、とは聞いていましたが、私がはじめに住んでいた場所は比較的ローカルの人が多くいる場所で、夜は本当に静かでした。
そして、安全でもありました。
ベネチアにいて、ひったくりとか、スリとか、危険な目に遭ったことはなくて、友人知人でも聞いたことはありませんでした。
ベネチアのあちこちにある古くて小さな教会は、たとえ中に自分1人しかいなくても、怖いと感じたことはなく、心が解放されるような、そして何かに包まれるような感覚を覚えていたのですが、その感覚は、宗教が理由なのか、それとも宗教というよりも『スピリチュアル(精神性)』というものなのかはわかりません。
とにかく、ベネチアで過ごした3ヶ月は、私の心を洗ってくれた。
そんなふうに今も記憶しています。
晴れた日にジェラートを食べながら街を散歩するだけで、「なんだかいいことが起こりそう!」って思える。住んでみるとなんでもない時間なんだけれど、生きるのって悪くないな!って根拠なく感じられるような、そんな時間をイタリアではたくさん過ごしました。
そう、ベネチアに限らず。
観光客のように毎日いろいろなところへ行ったから、ではないし、有名なレストランで食事をしたからではない。
むしろ、ローカル(現地の人)の感覚で過ごす日常の中に、そんな、幸せを感じることは多くありました。
空が青くて、太陽が見守ってくれて。
朝のバールでのコーヒーとブリオッシュ(クロワッサン)が美味しくて。
顔見知りになったお店の店主との挨拶が心を温めてくれて。。。
もちろん、イタリアならではのマイナスなこともたくさんありました。
道はよく見て歩かないと犬かネコのフンだらけだし、飲み屋のお勘定は間違えられることがしょっちゅう(笑)。役所とか郵便局では一つ一つの手続きがいっじょ〜に時間がかかったり。郵便が届かないとか、紛失とかもしょっちゅう。
でも、今もふと考えてしまうのですが、あの時感じた「生きるのって悪くないよね!」という感覚は、イタリアだったから?
それとも・・・???
何もしない時間がもたらすもの
イタリア人には、『何も予定なく過ごす時間こそが最高の贅沢』という価値観があり、夏休みなどの休暇も、家族で海辺に滞在するなどの計画はあっても、必ずしもあちこち観光して動き回る、みたいに過ごさないことも多いよう。
私も何度かイタリア人のお宅でのガーデンパーティに招かれて時間を過ごしたことがありますが、もうとにかく、食べて、飲んで、太陽の下で遊んで、木陰でまどろんで。
そんな、日本語で言うなら『ダラダラ』過ごす時間こそが、楽しくて心地よくて、最高のヴァカンツァ!そんな彼らの最高の休日の過ごし方は、休みとなればつい、あれこれ計画を立ててしまう私たちとは違うんだな〜!って思ったりもしました。
私はよく、このイタリア時代の過去を振り返り、「イタリアで過ごした時間は、マインドフルな時間だった」とマインドフルネスの講義で言うことがあります。その理由は、日本に帰ってきてから学んだマインドフルネスを体感で理解しようとするときに、思い浮かぶ光景がたくさんあるから。
何をしているわけでもなく、ただまどろんでいる時間。部屋の窓の外を眺めながら、あるいはヴァポレット(ベネツィアの水上ボート)に乗りながら。バールでスピリッツを飲みながら。
あるいは、教会の中でひんやりとした空気に包まれて、あの独特の古い建物が漂わせる臭いを嗅ぎながら。
そんな瞬間は、もちろん、今日本にいるこの時ももとうと思えばもてるのですが、結構難しくさせるのが『時間を無駄にしてしまったのでは?』と思わせる今のライフスタイルと勤勉な国民性がつくる空気感!
これはマインドフルネスの講義でお伝えすることですが、私たちの脳は何もせずにいる時間を必要としています。つまり、何もせず、ぼ〜っとしている時間のことで、この時の脳の状態をDMN(デフォルトモードネットワーク)と言います。
実は、このDMNの状態には、私たちの心と体にとりGoodなものとBadなものの2つのパターンがあるのです。
Goodなのは、ただぼ〜っとしていて、その時に湧いてくる思考や感情が通り過ぎるのを見つめながらも『反応しないでいる』状態。この状態を作れると、脳は何かに取り組んでいる時のなんと20倍もの活発さで記憶の断片をつなげたり、整理整頓したりするような働きをしているのだそう。
つまり、このぼ〜っとする時間、別名脳を休ませている時間が、それ以外の何かに取り組む時間の効率や精度を上げて、脳の働きを良くするということ。
そう、アタマが良くなってしまうのです!
これに対して、このDMNの状態の時に、過去の嫌な出来事を何度も思い出して反芻(はんすう)したり、考えても仕方ないことをぐるぐる考えてネガティブな思考と感情を強化させたりしまうと、脳にとっても体にとっても良くないストレスをみずから生み出している状態をつくることになります。
もしかしたらイタリア人は、ここでいうプラスのDMN状態を結構しょっちゅうつくっていて、そしてそのことが彼らの『ポジティブで楽観的な生き方やあり方』に繋がっているのかもしれない、と私は最近よく思ったりします。
その逆に、勤勉で真面目なのにも関わらず、ストレスに弱くて生産性もいまひとつ、と言われてしまう日本人の多くは、イタリア人のような一見サボってるように見える時間(何もしないでぼ〜っとする時間)をもつことが下手で、何もしていなくても頭の中はつねに忙しい、そんな状態が多いのかもしれない、と思います。
『最後はなぜかうまくいくイタリア人』(宮嶋 勲著 日本経済新聞出版社)でも書かれていますが、マルチタスクが苦手でいわゆる無駄な努力はあまりせず、日本人からしたら「のんびりしすぎだろ!」とツッコミたくなるような典型的なイタリア人的なあり方は、意外に最終的にはものごとを上手く行かせることが多いです。
また、デザインや芸術などクリエイティブな分野では、圧巻の素晴らしい才能を発揮することもあります。
これはどうも、彼らの脳の休め方と無関係ではなさそう・・・・!!!と私は最近よく、思い出すのです。
脳を休める習慣、という意味では達人レベルかもしれない。今日はそんなイタリア人の時間の過ごし方とマインドフルネスについて、イタリアの思い出とともに書いてみました。
ちなみに私は今でも、イタリア人が得意だと思われる脳をサボらせる習慣=DMN(何もせずぼ〜っとする)を意図的に生活の中に取り入れることで、本当に必要な時に脳ができるだけベストなパフォーマンスを出してくれるよう、調整して時間を過ごすようにしています。
これはイタリアで学んだいちばんの恩恵だと実感しています♡
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