見出し画像

「風のように」。ー合わない場所からの離れ方、手離し方。ー

こんにちは。  こんばんは。

人生の目的を思い出す研究室」Reaching Out♡の理詠と申します。



今日は、自分を軽くする為にできる事、
「合わない場所からの離れ方」についてです。

私自身の体験を元に得たものをシェアしたいと思います。


***

長く務めたボーカル講師という仕事を一年前に手離しました。

活動のファンでも居てくれた生徒さん達の中には、
裏切られた様な思いを抱いた方もきっと多かっただろうと思います。



「先生のおかげで人生変わりました」

「先生だったからこんなに長く続けてこれました」

勿体無いほどの言葉を沢山もらったし
生徒さんの中には作家さんも居て、
私のことを本に書いてくれたりもしました。


冥利に尽きるとはこう言うことを言うんじゃないだろうか、と思っています。






2020年。
約7年間務めた講師の仕事を辞めたくてもずっと辞めることが出来なかった私にとって、
”救世主”となったのは、

皮肉にも世の中に大きな混乱をもたらした感染症でした。



”三密”(密閉、密集、密接)が騒がれる中、

その3つが見事に重なったボーカルスクールの講師(狭いスタジオで歌のグループレッスンを行う等)を辞めると言う選択に、

誰もが納得せざるを得ない状況となり、

見事なまでの完璧な「口実」となってくれたのでした。


そうでなければ、
なんだかんだと自分に言い訳をしながら、

「大手音楽スクールの講師」と言う、
体裁が大好きな親の顔もチラつきつつ、
それに甘んじている自分もいて、


そのままずっと偽りの仮面で
東京の暮らしと素晴らしい講師の”役”にしがみついていたと思います。


その仮面を失くしたら、空っぽの私が露呈してしまいそうで怖かった、

そんなところじゃないかと思います。

その2年ほど前、
私に大きな「人生の転機」とも言える出来事が襲い掛かり!
いや、訪れ、

やっと心底自覚できたコンプレックスと向き合う為、

一年ほど前から講師業や仕事をセーブしながら
週5で音楽学校に通い始めていました。



時に10代〜20代の若者に混じり、
そこで得た事、かいた恥、
新たに学ぶ事からの刺激も全て、

まるで「本当の自分へと電流が流れる様に」
吸収していきました。


そして同時に、そんな自分から見たついこの間までの自分が、


「他人から見た自分」を最も大切にしていた事、

「他人の人生(夢)を生きて来た」と言う事に

気付いてしまったのです。



こうして振り返ると、全てはまるで何かに向かっていく”シナリオ”の様だったと思えて来ます。

「生まれて来た理由」を知る?!

そんな充実した学生生活を経て2021年に学校は卒業はしたものの、
講師の仕事はおろかライブやイベントの仕事も全てキャンセル。

実に5ヶ月間、一本も仕事がありませんでした。

私は焦り、これからの生活の不安に狼狽したか....
と言うと全然そんな事もなく、

(確定申告してたので、持続化給付金がすぐに貰えました)

逆に不謹慎を承知で言うならば、

「神様が休日をくれた!」と思いました。



その仕事がない間、
昼も夜もピアノに齧り付いて初めてオリジナル曲を書き上げ、
パソコンで一人で録音、編集して動画を作り、

「アートにエールを!」というアーティスト支援の企画に応募しました。

それまではプロとは言え、
ジャズや洋楽がメインでいわゆるカバーを歌ったり教える事しかやってこなかったので、


学校で習った音楽理論やソングライティング、DAWと言うコンピュータミュージックを初めて実践で試す良い機会となったのです。


何もかもを1人でこなし、
それはそれは作品としては拙かったとは思うけれど、

それでも晴れて審査が通り、

初めてオリジナル曲で「収入」を得たのでした。


その達成感は、
それまで生きてきた全ての時間と引き換えにしてもいいくらい、何物にも変え難いものでした。

心が震えて、全身から何かがほとばしってしまう様な、
そんな感覚。

生まれて初めて、
「この感情を得る為に私は生まれて来た」

そんな風に思いました。

変化


それがきっかけとなったのか、

本当の自分が求める事以外はやりたくない、という思いが強くなって行きました。

その後、講師の仕事は緩やかに再開したものの、自粛ムードは消えず生徒数は激減したままなかなか戻りませんでした。



幾ら給付金を貰ったとはいえ、
いつまで続くかわからないこの状況に東京での生活を維持する事は暫くは厳しいと判断し、

早々に一旦田舎に引っ越す決意を固め、

数少ない残ってくれた数人の生徒さんのレッスンの為だけに月2回上京する、という生活が始まりました。


ところがその頃から、
持病の偏頭痛が頻発するようになり、

一カ月の半分は頭痛と吐き気で寝込んで、
回復の兆しと思いきや、
出張から戻るとまた寝込む…の繰り返し。


そしてある日、東京出張から戻った翌日、
朝起きたら天井がグルグル回っていました。

初めて、
「1人では立てない」という状況に戸惑いました。

1人では歩けず車の運転もできないので、母に付き添われ、車椅子で病院へ。

私の中で何かが呟いたようでした。
「もう、無理だよ。終わりにしよう」。

強制終了。

身体を壊した事で、
「いつ復帰できるかわからないので退職したい」とスクールに告げると、

「いつまでも復帰を待っています」と言うメールや、
心ばかりと生活の足しにとお金を包んでくれた方もいて、

生徒さんの笑顔や心配顔が頭をかすめ、
胸を締め付けられました。

スクールからも、
いつでも復帰して欲しい、退職は考え直して欲しい、と引き止められました。



でも、もう終わりにしたかった。


満ち足りてもいないグラスから、
なけなしの自分を他へ注ぐ事はもう限界だと、

身体も心も、もうとっくに分かっていたのです。

物理的にも距離を置いたのにも関わらず、
まだ東京の暮らしや大手スクール、先生と言う肩書きを手放せない自分に強制終了がかかった、

そんな感じだったのだと思います。


「いい人」である必要。



誰でも、自分の人生を生きていい。

他人の欲求に振り回されて、
他人の満足を満たす為だけに時間を費やすほど人生の時間は長くない。


「人の為に」奉仕する事は美徳とされますが、

その大前提として
「自分が心からしたい事で」というのがあると思います。



まず大切なのは「自分が満たされている事」。

そして分け与えられるだけ「溢れている事」。 



勘違いしがちですが、


与える事、奉仕する事は結果であると言う事。

つまり奉仕とは何らかの行為の結果であり、
「動機にはなりにくい」と言うことです。

歴史的に、奉仕の精神が美徳とされて来た背景がある事から、

なんとか「いい人」でいようとして、

無理をして自分を犠牲にし、
大人であり続けようとして、

実は本来の自分とのギャップに溺れそうになっている人が結構多いのではないかと推測しています。

なかなか”奉仕”(世の為、人の為?)が出来ない自分を、どうか責めないであげて欲しいです。





とは言え、
誰かと喜びを共有する事は、何にも変え難いものがあり、
1人だけでは決して得られない喜びがある事も事実です。


それは特別な場所にしか咲かない花の香りを嗅ぐような、
密やかで特別な幸福感です。

でもだからこそ、
いつかその場所に辿り着けるよう、

誰もが
「本当の自分が感じる喜び」に立ち返る事、



個々の喜びから生まれる深い愛
(情熱、探究心や、「好き」と言う気持ち)に従って生きる事が求められている、

と感じています。


それが元となって生まれる優しいテクノロジーやシステムが広まっていく事で、
純粋に人類が高みへと向かっていく...


これが奉仕の行き着く先であり、

自分が個として、

そんな奉仕の「種」になっていく。





もがきながらも不恰好でも、

「奉仕出来る自分」へと成長していくことが、


“人生という修行” “人生の目的”という事になるのではないでしょうか?



修行とは、

自分を貫く事。
自分の心に従う事。


自分を貫く事は、勇気が要ります。

恥をかいたり転んだり、
“ドドメ色”の痣作ったりしながら、
それでもなお、

情熱に身を焦がして「心に従って」その道を歩いていくこと。

その結果として、
「自分という一本の木」の種が芽吹き、根を張り、
枝葉を茂らせ花を咲かせ、果実を実らせる。



その果実を分け与える事、
それが”奉仕する”ということなのではないでしょうか。

木として未熟なのに、なってもいない実を差し出そうと頑張りすぎたらどうなるか…


きっと木も眩暈を覚えるに違いありません。

「先ず、自分」は自分勝手?


すがりつくものを手離してでも自分の心に従って、
自分という一本の自立した木になる努力をする。


一見それは

今までの価値観からの「理想的な人物像」とは真逆なのかも知れません。

でも「先ず、自分」

は、

広く高い視点から見ると決して「自分勝手」ではなく、
それこそ

世の為、他人(ヒト)の為、なのだと言う事が、
ここまで読んでくださったなら

ご理解頂けるのではないかと思っています。


軽々と、変化を恐れずに。

なかなか今の自分の環境を変えられなくても、

自分に対してもっと敏感になるだけで、
自ずと目に見えるもの聞こえるものが変わって来ます。

何かが囁いたら、

「今は手離したとしても、
本当に私の人生において大切な人や場所なら、
本当の私できっとまた巡り会える。」


そんな風に、
祈る様に、
手を離すのです。



「私は行きます。
私の道を選びます。
行った先でお会いできたならまたご一緒しましょう!

ここでサヨナラですか?
今までありがとう!」



屈託なく、
自由にどこまでもゆく”風の様に”軽々とそう言えたなら、

新しい時代を、
風に乗り軽やかに生きていける羽根を得られる。


届くべきところへ、届きます様に!

Reaching Out♡理詠でした☺︎

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?