見出し画像

四書五経【大学】09 「伝」七章ー十章 〜本文ダイジェスト〜覚書

「伝」七章は八条目の”正心”について、「伝」八章は八条目の”斉家”について解説されています。


■ 身を修むるはその心を正すに在り①(七章)

所謂身を修むるはその心を正すに在りとは、身(こころ)に忿懥(ふんち)する所あれば、則ちその正を得ず。恐懼(きょうく)する所あれば、則ちその正を得ず。好楽する所あれば、則ちその正を得ず。憂患(ゆうかん)する所有れば、則ち其の正を得ず。

<現代語訳・解釈>
「自分自身を精進することは、自分の心を正しくするところにある」とはどういうことか。

▷カッとなると、平常心ではいられない。
▷こわがっていると、平常心でいられない。
▷好みやこだわりがあれば、平常心ではいられない。
▷心配事が絶えなければ、やはり平常心ではいられない。

→ 感情をおさえることが、正しい心を保つために必要

名称未設定のアートワーク 18

■ 身を修むるは、その心を正すに在り②(七章)

心焉(ここ)に在らざれば、視れども、見えず、聴けども、聞こえず、食(くら)えどもその味わいを知らず。これを身を修むるは、その心を正すに在りと謂う。
右伝の七章。心を正しくして身を修むるを釈す。

<現代語訳・解釈>
このように動揺していると、心ここにあらずの状態になる。

▷目はあっても心では見えておらず
▷耳はあっても心では聞こえておらず
▷舌はあっても心では味わっておらず

自分を精進させるには、まず自分の心を正せとは、このことである。

以上は、伝の七章である。自分の心を正しくして、自分自身を精進することを説いている。

■ 家を斉うるは、その身を修むるに在り①(八章)

所謂その家を斉(ととの)うるはその身を修むるに在りとは、人その親愛する所に之(ゆ)いて辟(へき)す。その賤悪(せんお)する所に之いて辟す。その畏敬する所に之いて辟す。その哀矜(あいぎょう)する所に之いて辟す。その敖惰(ごうだ)する所に之いて辟す。
故に好みてその悪を知り、悪(にく)みてその美を知る者は天下に鮮(すく)なし。

<現代語訳・解釈>
「自分の家庭をよくすることは、自分自身を精進するところにある」とはどういうことか。

人というのは...
▷好意をいだく相手に対しては甘い
▷気にくわない相手には冷たい
▷畏敬する相手はやたらと敬う
▷哀れな相手には必要以上に情けをかける
▷見下している相手には傲慢にふるまう

だから好ましい相手でも欠点をおさえ、気にくわない相手でも長所は認められるような人は少ない。

■ 家を斉うるは、その身を修むるに在り②(八章)

故に諺(ことわざ)にこれ有り、曰く、人その子の悪を知るなく、その苗の碩(おお)いなるを知る莫(な)しと。これを身修まらざればもってその家を斉う可からずと謂う。
右伝の八章。身を修めて家を斉うることを釈す。

<現代語訳・解釈>
だからよく言われるが、
▷わが子を愛するあまり、欠点に気付かない
▷他人の苗をうらやんで、わが苗の立派さに気付かない

自分の身を修められない者に、一家をまとめることなど、しょせん無理というものだ。以上は、伝の八章である。自分自身を精進させて、自分の家庭をよくすることを説く。

■ 国を治めるにはまず家を斉えよ ①(九章)

所謂国を治むるには必ず先ずその家を斉うとは、その家教うべからずして、能く人を教うる者はこれ無し。故に君子は家を出でずして、教えを国に成す。孝は君に事(つか)うる所以なり。弟(てい)は長(ちょう)に事うる所以なり。慈は衆を使う所以なり。

<現代語訳・解釈>
「自分の国をよく治めるためには、なによりもまず自分の家庭をよくすることである」ということは、どういうことか。

家族の者さえ教化できずとりしまれない者が、他人を導くことなどできるわけがない。君子ともなると家から一歩も外に出なくても、国中に影響力を及ぼすことができる。

▷家で親を大事にすることがそのまま君主に仕える道につながる
▷兄を敬うことがそのまま年長者に仕える道につながる
▷子を慈しむことがそのまま人民をはたらかせる道につながる

慈のつとめを行うことは、民衆を慈愛もって使役することと同じ原理だからである。

⇒ 家庭をよくする道は、国を治める道につながっている

■ 国を治めるにはまず家を斉えよ ②(九章)

康誥に曰く、赤子(せきし)を保つがごとしと。
心誠(まこと)にこれを求むれば、中(あた)らずと雖も遠からず。未だ子を養うことを学びて而して后に嫁する者あらざるなり。
一家仁なれば一国仁に興り、一家讓なれば一国讓に興り、一人貪戻(たんれい)なれば一国乱を作(な)す。その機かくのごとし。
これを一言(いちげん)事を僨(やぶ)り、一人国を定むと謂う。

<現代語訳・解釈>
「書経」ではこう書かれてある。
赤子を安んずるがごとし。(康誥)

赤ん坊を慈しむように人民を思いやるならば、民心からそうかけ離れることはないだろう。ちょうど子供の育て方を学んでから嫁にでていく女性がいない。(=政治もまた、民衆を統治する方法が別にあるわけではない。)
⇒ 「慈しむ」ことにフォーカスすることが一番の解決策

一家に仁の道が実現すれば、一国全体も人間的感情をよびさまされて仁の道が実現する。
同じく一家に謙譲の徳が実現されれば、一国全体に謙譲の徳が行きわたる。
反対にもし一国の君主が欲深で横暴なら、民衆もこれをまねて反乱をおこすようになる。一国の要と言うべき、君主の役割はこのように大きいのだ。

たった一言が物事をだめにし、ただ一人の人物がでることで国は安定する。

■ 国を治めるにはまず家を斉えよ ③(九章)

堯舜は天下を帥いるに仁を以てして、民これに従う。桀(けつ)・紂(ちゅう)は天下を帥いるに暴をもってして民これに従う。その令する所その好む所に反して民従わず。この故に君子諸(これ)を己に有して而(しか)して后(のち)に諸を人に求む。諸を己に無くして而して后に諸を人に非(そし)る。身に蔵する所恕(じょ)ならずして能く諸を人に喩す者は、未だこれ有らざるなり。故に国を治むるはその家を斉うるに在り。

<現代語訳・解釈>
堯・舜は仁愛で天下を導いたので、人民も仁愛をはぐくんだ。
桀・紂は暴虐にふるまったので、人民も暴虐になった。

自分の行いが不仁であるのに、人民に仁愛をはぐくめと説いても、従うはずはない。

だから徳のある君主は率先して善行にはげみ、その上で人民にも善行を説いた。まず自分の欠点をただしてから、他人の言動を批判した。思いやりのない君主が人民に思いやりを持てと諭しても、従うはずがない。

だから国を治めるには、まず家を斉えよというのだ。

■ 国を治めるにはまず家を斉えよ ④(九章)

詩に云く、桃の夭夭(ようよう)たる、その葉蓁蓁(しんしん)たり。この子于(ここ)に帰(とつ)ぐ、その家人に宜しくと。その家人に宜しくして、而して后にもって国人(こくじん)に教うべし。
詩に云う、兄(けい)に宜しく弟(てい)に宜しと。兄に宜しく弟に宜しくして、而して后にもって国人を教うべし。
詩に云く、その儀忒(たが)わず、その四国を正すと。その父子兄弟たる法(のり)とるに足りて、而して后に民これに法とる。
これを国を治むるはその家を斉うるに在りと謂う。
右伝の九章。家を斉え国を治むることを釈す。

<現代語訳・解釈>
詩経(周南・桃夭)はこううたっている。
-- 桃の木は若々しく、その葉はふさふさと茂っている。この娘がお嫁に行ったら、家中の人に喜ばれる妻となるだろう。
このように家中の者を睦まじくさせてこそ、人民を教化することができる。

詩経(小雅・蓼蕭)はこううたっている。
-- 兄は弟と仲良く、弟は兄と仲良く。
このように兄弟仲良くしてこそ、人民を教化することができる。

詩経(曹風、鳲鳩)はこううたっている。
-- 君子の立てる模範にはくるいがなく、四方の国々を正す。
君子は家庭で
▷父は子を愛する慈しむ
▷子は父母を大切にする
▷兄には礼儀正しく敬意を持つ
▷弟には同志の気持ちで互いに助け合う

このように父子兄弟がそれぞれ模範的であってこそ、人民も感化されて見習うのである。

だから「国を治めるには、まず家を斉えよ。」というのだ。

■ 天下を平らかにするはその国を治むるに在り(十章)

所謂天下を平らかにするはその国を治むるに在りとは、上老を老として民孝に興り、上長を長として民弟に興り、上孤を恤(あわれ)みて民倍(そむ)かず。ここをもって君子絜矩(けっく)の道有るなり。

<現代語訳・解釈>
天下を平和に治めることは、その国をよく治めることにある。
▷君子が長老を長老として敬えば人民も自然と親に対して孝をつくすようになる。
▷君子が長者を長者として敬えば人民にも自然と年長者を敬うようになる。
▷君主が孤児を憐れんで慈悲を示せば、人民は自然と反乱をせず逆らわなくなる。

これを、君子が人民の心情を推し量って模範を示す『絜矩の道』という。
自分の心を尺度として他人の心を推しはかる尺度を君子は持たなければならない。
⇒ 君子・リーダーはただ模範を示すだけではなく、相手の状況・心情を理解した上で手本を示す

上に悪(にく)む所、もって下を使う毋(なか)れ。下に悪む所、もって上に事(つか)うる毋れ。前に悪む所、もって後ろに先だつ毋れ。後に悪む所、もって前に従う毋かれ。右に悪む所、もって左に交わる毋れ。左に悪む所、もって右に交わる毋れ。これをこれ絜矩の道と謂う。

<現代語訳・解釈>
君主の横柄さにカチンときたら、自分は部下にそんな接し方をしないようにする。部下の反抗的な態度に腹をたてたら、自分は上役にそんな態度をとらぬようにする。
前の人の欠点が目についたら、後ろの人に同じ思いをさせないようにする。
後ろの人に不愉快な目にあわされたら、前の人に同じ思いをさせないようにする。
右の人にいやな目にあわされたなら、左の人に同じことをしないようにする。左の人にいやな目にあわされたなら、右の人に同じことをしないようにする。

自分の心を尺度として他人の心をおしはかるとは、このことである。

詩に云く、楽しき君子は民の父母と。民の好む所はこれを好み、民の悪(にく)む所はこれを悪む。これをこれ民の父母と謂う。
詩に云く、節たる彼の南山、維(こ)れ石巖々(がんがん)たり。赫々(かくかく)たる師尹(しいん)、民具(とも)に爾(なんじ)を瞻(み)ると。国を有(たも)つ者はもって慎まざる可からず。辟すれば則ち天下の僇(りく)と為る。
詩に云く、殷の未だ師を喪わざるとき、克(よ)く上帝に配す。儀(よろ)しく殷に監みるべし、峻命易からずと。衆を得るれば則ち国を得、衆を失えば則ち国を失うを道(い)う。

<現代語訳・解釈>
詩経から3つの引用して「君主の責務」を示している。

▷詩経(小雅・南山有台)には「楽しき君子は民の父母と。」とある。人民の願うところは自分も喜んで実行し、人民のいやがることは、自分もいやがり、これを排斥する。このような君主こそ、万民の父母である。

▷詩経(小雅・節南山)には「節たる彼の南山、維れ石巖々たり。」とある。険しく切り立ったあの南山は岩がごつごつとしている。光りかがやく大師の尹氏よ、民草はあなたを仰ぎ見ている。国政の頂点に立つ者は、よくよく身を慎まなければならない。民心を離れ、自分の好き嫌いで偏った政治を行えば、やがて天下の人からしっぺ返しされよう。

▷詩経(大雅・文王)には「殷の未だ師を喪わざるとき、克(よ)く上帝に配す。儀(よろ)しく殷に監みるべし、峻命易からずと。」とある。殷が民心を失っていなかった時は上帝の心にかなっていた。人民の支持を得れば国を保つことはできるが、民心を失えば国は滅びるのだ。

この故に君子は先ず徳を慎む。徳あればこれ人あり。人あればこれ土あり。土あればこれ財あり。財あればこれ用あり。徳は本なり。財は末なり。本を外にし末を內にすれば、民を争わせ奪うを施す。
この故に財聚(あつま)れば則ち民散じ、財散ずれば則ち民聚まる。この故に言悖(もと)って出づる者は、亦悖って入る。貨(か)悖って入る者は、亦悖りて出づ。

<現代語訳・解釈>
そこで、君子は何よりもまず徳の充実につとめる。徳が充実していれば、人々が慕いよってくる。人々が慕いよってこそ、国土は保てる。そして国土が保たれてこそ、国庫も豊かになる。国庫が豊かであれば、支出も増やせる。徳が根本であり、財は末節のことなのだ。徳を軽んじ財を重んじれば、人民を利益追求に走らせ、奪い合いを教えることになる。

だから税を取り立てるばかりで、人民の暮らしに配慮しないなら、人々は困窮して離散する。反対に、国家財政を惜しみなく人民のために使うなら、人民はおのずと君主のもとに集まってくる。道にはずれたことを口にすれば相手も道にはずれたことを言うように、道にそむいて手に入れた財は、いずれ他人に奪いかえされる。

康誥に曰く、惟れ命(めい)常に于(おい)てせずと。善なれば則ち之を得、不善なれば則ち之を失うを道(い)う。楚書に曰く、楚国はもって宝と為す無し、惟だ善もって宝と為すと。舅犯(きゅうはん)曰く、亡人もって宝と為す無し。親を仁するもって宝と為すと。

書経(康誥)にこうある。
-- 天命は永続するとは限らない。
君主が善政をすれば天命を保てるが、悪性をすれば天命は失い滅んでしまうのだ。

楚書にこうある。
-- 楚国にはこれといって宝物はない。ただ善人を宝物としている。

名臣舅犯はこう言った。
-- 亡命者にはこれといって宝物はない。人徳をそなえた近親者だけが宝物である。

秦誓に曰く、若し一个(いっか)の臣あり、段々兮(けい)として他技なく、その心 休休焉(きゅうきゅうえん)として、それ容(い)るるあるがごとし。人の技ある、己これあるがごとく、人の彥聖(げんせい)なる、その心これを好(よ)みす。啻(ただ)にその口より出づるがごとくなるのみならず、寔(まこと)に能くこれを容る。もって能く我が子孫黎民を保つ。尚(こいねが)わくは亦利あらんかな。
人の技あるは、媢疾(ぼうしつ)してもってこれを悪(にく)み、人の彦聖なる、これに違いて通ぜざら俾(し)む。寔に容るる能わず。もって我が子孫黎民を保つ能わず。亦曰く殆(あやう)いかな。
唯仁人これを放流し、諸(これ)を四夷(しい)に迸(しりぞ)け、与(とも)に中国を同じくせず。これを唯仁人能く人を愛し能く人を悪むことを為すと謂う。

<現代語訳・解釈>
書経(秦誓)にこうある。
【国家に役立つ者とは ...】
▷まじめ一筋で特別な技能はないが包容力があって善政につとめる
▷才能がある者はよろこんで受け入れ、聡明な人物がいると深く信頼する
▷口先でほめるだけでなく、心から受け入れる
▷子孫の安泰をはかり、民衆を保護する

【国家をあやうくする者とは ...】
▷他人の才能を妬んで、聡明な人物だとみると邪魔して登用させない
▷心が狭くて人を受け入れられない
▷子孫の安泰もはかれず、人民を保護しようともしない

このような腹黒い臣下を追放できるのは仁者以外にはいない。すなわち仁者だけがよく人を愛し、よく人を憎むのである。

賢を見て挙(あ)ぐる能わず、挙げて先んずること能わざるは命(おこた)るなり。不善を見て退くること能わず、退けて遠ざくること能わざるは過ちなり。人の悪む所を好み人の好む所を悪む、これを人の性に払(もと)ると謂う。菑(わざわ)い必ず夫(そ)の身に逮(およ)ぶ。この故に君子大道(たいどう)あり。必ず忠信もってこれを得、驕泰(きょうたい)もってこれを失う。

<現代語訳・解釈>
賢人を見ても登用することができず、登用しても速やかに行うことができなければ怠慢である。不善の者を見ても退けることができないのは過失である。
人々が憎む人物を受け入れ、人々が支持する人物を嫌う。これを「人の本姓に逆らう」といい、人の道に大きくはずれているので、必ず災難がふりかかるだろう。
だから君主ともなれば歩べき大道がある。(=修己治人)
誠実な政治をおこなうなら、人民の支持が得られるが、おごりたかぶった政治をおこなえば、必ず失脚する。

財を生ずるに大道(たいどう)あり。これを生ずる者衆(おお)くして、これを食う者寡(すく)なく、これを為す者疾(と)くして、これを用うる者舒(ゆる)やかなれば、則ち財恒(つね)に足る。
仁者は財をもって身を発し、不仁者は身をもって財を発す。未だ上(かみ)仁を好みて下義を好まざる者あらざるなり。未だ義を好みてその事終らざる者あらざるなり。未だ府庫(ふこ)の財その財に非ざる者あらざるなり。

<現代語訳・解釈>
国の財力を豊にするにも、一定の法則がある。生産に従事する人が多く、消費する人が少なく、生産力をあげ、収入を計って支出を決める。こうすれば、国家財政はいつも健全でゆとりがある。

人徳のある君主はみんなへ富を平均的にならそうと自らの徳性を発揮するが、不仁な君主は、貪欲に取り立てをなし自分の財産を増やそうとする。上に立つ者が仁を好んでいるのに、下の者が義を重んじないなどということはない。義を重んじながら、自分の仕事には無責任であるなどという臣下はいない。同様に、義を重んじていたのに、国家の財産がいつのまにか奪われていたなどという試しはない。

孟獻子(もうけんし)曰く、馬乗を畜(か)うものは雞豚(けいとん)を察せず。伐冰(ばつひょう)の家は、牛羊を畜わず。百乗の家は、聚斂(しゅうれん)の臣を畜わず。その聚斂の臣あらんよりは、寧ろ盗臣あれと。これを国、利をもって利と為さずして、義をもって利と為すと謂う。
国家に長として財用を務むる者は、必ず小人自(よ)りす。小人をして国家を為(おさ)めしむれば、菑害(さいがい)並びに至る。善者ありと雖も、またこれを如何ともするなし。これを国、利をもって利と為さずして、義をもって利と為すと謂う。

魯の大夫の孟獻子はこう言っている。馬車を乗りまわす身分ともなれば、鶏や豚を飼って生活している者と小利を争わない。氷室の氷を使える家柄の家は、牛や羊を飼って金儲けをはかるようなことはしない。戦車百台を有する家柄の人ともなれば、厳しく税を取り立てる家臣を置くことはしない。重税をとりたてる家臣を養うくらいなら、主君の財物をくすねる家臣を抱えた方がましだ。だから「国家は財貨を集めるような利益を真の利益とするのではなく、義を守ることこそ真の利益とする」と言わなければならないのだ。

 国政をになう身で、人々から搾り取ることばかり考えるなら、ろくでもない役人を任用することになる。こんな手合いは税を取り立てるだけが能なのだ。こんな手合いが国政をうけもてば、天才人災がいっせいにふりかかるだろう。こうなってから立派な人が登場しても、もう手遅れである。だから「国家は財貨を集めるような利益を真の利益とするのではなく、義を守ることこそ真の利益とする」と言わなければならないのだ。

右伝の十章。国を治め天下を平らかにすることを釈す。
凡そ伝十章。前の四章は綱領の指趣を統論す。後の六章は条目の工夫を細論す。その第五章は乃(すなわ)ち善を明らかにするの要。第六章は、乃ち身を誠にするの本(もと)。初楽(しょがく)に在りてはもっとも当(まさ)に務むべきの急と為す。読者その近きをもってこれを忽(ゆるが)せにす可からざるなり。

経1章:
孔子の語ったことを弟子の曽子が語ったもの
伝1章〜10章:
曽子の注釈を、彼の弟子達が記録したもの。それを程子が編纂し、更に朱熹が四書としてまとめあげたもの

伝1章〜4章:三鋼領の主旨(明徳・新民・止至善)
伝6章〜10章:修養について

参考文献:
・大学/宇野哲人全訳注
・マンガ孟子・大学・中庸の思想/蔡 志忠著


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?