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『私的気まま子育て帖』Parenting note

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夢中だった日々を ゆるめに振り返りつつ 気ままに綴る 子育てあれこれ
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#ライフスタイル

『Dear Girl』

いつからか 大人びて笑うことを覚えて いつからか 涙を隠すようになっていく 差しのべた手を 嫌がって ひとり遠くを 歩き出す 迷う小さな その背中 心配ばかりが 募る日々 頬を通る 朝の風 大きく広げて 君の羽 今はここで 見守ろう 誰より強い 眼差しで いつの日か 心に芽生えた希望の種 いつの日か 小さな蕾が開いてく すぐに抱っこをせがんでた 幼いままの 無邪気な瞳 いつも優しさ携えて 笑顔で歩いていてほしい 心を潤す 春の雨 優しく包んで 君の夢 今はここで 信

くるとしまでの時間

一年が終わるときに響く除夜の鐘。 幼いころ、元日にニュース映像で流れるその音を、どうしても大晦日の夜に聞きたかった。年を越す瞬間を確かめたかった。年越しイコール除夜の鐘というイメージが植え付けられていて、だから確かめるには除夜の鐘を聞かなければと思っていた。大人たちは大晦日には必ず起きていて、きっと何かが、分からないけれど何か特別なことがあるのだと信じていた。 時代は昭和である。 レコード大賞からの歌合戦、ゆく年くる年という流れのなかで私は育った。そして道産子なのである。そ

長女と吹奏楽のこと

娘の部屋から、トロンボーン四重奏団のCDが流れている。高校生の時に演奏会に行って、その会場で購入したものだ。 自らオタクと称し、ここ数年は推しの音楽ばかりを聴いていたのに珍しいな、そして懐かしいなと耳を澄ませる。 ♪ 小学校に入ってすぐに「アレやりたい!」と言ったもの。それがブラスバンドだった。4月の入学式、生徒が入場行進する傍らで演奏していた姿が強烈に印象に残ったようだ。5月の運動会の入場行進も娘はよそ見をしていて、傍らのブラスバンドの演奏に目が引きつけられているようだ

母記念の日に

朝。7:10。 LINEスタンプを送った。 「HAPPY BIRTHDAY」 私が母になった日だ。 あの日。 いつまで経っても色褪せることのないあの日。 妊娠7か月近くまでフルで働き、恐ろしいほどの残業も夜勤もして、自分の身体を過信し、おろそかにしていた20代女子。 貧血は早期から指摘されていたけれど、薬を飲むと副作用の吐き気がひどく、看護師なのに自己判断で中止し放置していた。 自覚症状が乏しく身体にはかなり負荷がかかっていたのだろう。 NICUで医師と2人で保育器をは

友チョコ作りしてますか

希望してもいないのに、バレンタインデーにお休みです(笑) 私自身、チョコレートを渡して告白した、というような甘い思い出はない。チョコレートを手作りしたこともない。素っ気なく味気ない女子だった。 トップ画のチョコは頂き物。 既に私のお腹の中へ投入されている。 そんな私がバレンタインデーにチョコレート菓子を作らざるを得なくなったのは、娘たちの友チョコのためだった。 娘ふたりが学生の頃、バレンタインデーの前日は、決まっててんやわんやだった。 友チョコという言葉はいつからあるの

放送局員の怪

見つけてしまった。 今日。 ショッピングモールのちょっといい感じのソファっぽいベンチで。 そんなところで?と若干驚きつつも耳ダンボ。 制服を着た女子高生ふたり。聞き取りやすくハリのある大きな声で。 あらいりうるえれおろ…(多分こんな感じ 拙者親方と申すは…(?)なんたらかんたら… あーーはいはい。聞き覚えがあるある。 🎤 娘が女子高生だった頃、お友達が家に遊びに来たときと同じ光景。 部屋からは楽し気に談笑する声。 と、いきなり、大きくはっきりと聞きとれる声が聞こえ

巨大なポスター貼りますか?

我が家はリビングから各々の部屋へ繋がっている。 玄関から真っすぐ自室へ、というルートを作りたくなくて選んだ住処である。 そして、個室のドアは基本閉めない。 自称・開放型住空間 (笑) 我が家は、娘が小学生低学年の時に引越しをして、それを機に、それぞれに個室を与えてしまったので、その頃まだ子離れできてない私が、個室のドアは閉めない、と取り決めをした。 よく言う「何をしてるか分からない」とか、そういう理由も含まれるけれど、個室を与えてしまったらきっとそこが各々の居場所になるか

遠く離れた博物館にて

娘がまた博物館へ行くために東京へ行った。 そう「また」なのだ。 娘はいわゆる「館もの」が好きだ。 図書館はもちろん(司書も持っている)博物館に至っては、今現在職場として選んでいる。図書館司書が叶わなかったというのもあるけれど。それでも、好きな場所で働けているのは幸せなことなのだろうと思う。 旅先ではその土地の館ものを目指す。 3月に行った九州でも博物館めぐりをしている写真が次々送られてきて、一緒にまわっている現地のお友達は無理して付き合っているのではないだろうかと思

トンボとの遭遇場所って意外と大事

トンボに限らず我が家にとっては、虫全般に言えることかもしれない。 赤トンボの写真を撮りながら 我が家のトンボ事件を思い出していた。 娘が高校生の頃のこと。 以下、当時のブログより抜粋 🍁 静かな秋の夜。 ぎゃ~~~という突然のおたけび(とても悲鳴とは言えぬ声) 長女のこんな声には慣れたもので また飲み物でもこぼしたかな、なんて思いながら立ち上がると 先に部屋から慌てふためき飛び出してきた。 「トンボがいる!!」と。 ええっ~トンボが?何故に? 私、外で飛んで

偉大なるパンダさん

娘がキーホルダーやストラップのついた10センチくらいの小さなぬいぐるみを処分した。 綺麗なものはもらっていただいて、その以外は今までありがとうと感謝してさようなら。 その娘がもういらないかな、と出してきた中にあった少し大きめ、大人の手のひらサイズのパンダさん。 うわーっと思い出がよみがえり、私は捨てられずにコルクボードにかけた。 キミはムリ。しばらく眺めよう。 まだ娘が就学前のこと。 おばあちゃん家までひとりで行かなければならなかったある日、これをお守りがわりにして送り

【夏休みの宿題ギリギリ派】終わらない朝、娘との思い出

夏休みの宿題。ギリギリにならないとやらない、という話をよく聞く。 それって、どのくらいのギリギリ? 前日?終わらないで朝を迎えたことは? 逆に、7月中にもう終わったよ、という話をあまり聞かないのは、終わった人は謙遜しているから言わないのであって、本当はみんなちゃんと終わっているのだろうとずっと思っていた。 私は3人兄弟だが、ぎりぎりまでかかって親に叱られて、という光景を子どもの頃に見た事がない。だから、のびた君みたいな人はマンガの話。大袈裟だと思っていたのだ。 🥀 で

学校祭の一人歩きは

我が家の周辺地域では、今週土日と来週土日と、この4日間くらいが 高校の学校祭のピークだと思われる。 娘たちは違う高校に通っていたけれど、学校祭の日にちが重なることもあり、午前中に学校祭のはしごをしたものだ。 高校の学校祭って自分の時もそうだったのだろうけれど「THE・青春!」という空気がムンムンしている。 車で15分ほどしか離れていない高校だったので、移動は大変ではなかった。でも、おばちゃんひとりで高校生の中をうろついていると、若さが溢れまくっていて圧倒されまくりだった

難しい【思春期に重なる反抗期の対応】我が家の出来事から

昼休み、思春期の子どもを持つ母達が親子喧嘩について話しているのを、我が家もあったな、と微笑ましく聞いていた。 当事者たちは真剣で、まったく微笑ましくなんてないのだろうけれど。 ちょっと真面目な話をすると、思春期とは11歳頃から17歳頃までの心身ともに子どもから大人への移行の時期のことである。 子どもの体から大人の体への成熟を迎え、ホルモンバランスに変化があったり、精神的にも不安定になりやすい時期。同時に第2反抗期の時期と重なる。第2反抗期は自我の確立期で、親から離れ自立をし

中学以後の入学式は動画から写真へめっきりラフへ

前回書いた初めての小学校の入学式のときとは違い、中学校の入学式はそれほど大きな緊張もなく参加した。 気持ちがラフになっているのはあらゆるところに表れる。 服装はパンツスーツになった。(普段ほとんどスカートを着ないのでパンツのほうが断然楽) おしゃれする気合いがすでに入っていない。 もちろん春コートに冬ブーツ。 一方、娘は制服に身を包み、少し大人びて見え、「ああ、成長したな」と感慨深い思いに耽る。 相変わらず、うるっときたりして。気持ちは変わっても涙腺のユルさは変わらない私