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『オルガの翼』(フランス、ウクライナ、スイス共同制作 エリ・グラッフ監督)ーオルガと、そして全ての自由を求める「わたし」のためにー


子供は、自由でいいな
そう、大人になったら軽々しく口にするものだけれど、
子供は、自由を選べない。

子供は、大人の庇護の元でしか、生きることはできず、どこで誰とどう生きるのかも選ぶことはできない。

子供は、やがて少女になる。
オルガは、15歳。ウクライナの有望な体操選手だ。オリンピック級。
母は、揺れ動くウクライナ社会の中で、反体制のジャーナリストとして、命を狙われている。
父はスイス人で、すでに亡くなっているが、オルガは、体操を続けるために父の国籍ースイスのナショナルチームへ移籍する。

ヨーロッパの歴史やウクライナ、ロシアの国家体制の仕組みは、朧げにしかわからないが、スイスが「永世中立国」なのは、ずいぶん前に教科書で習った。オルガと同じくらいの年齢だったかもしれない。

オルガは、一人ぼっち。
できることは、体操だけ。(勉強も少し)
大人たちは、言う。
君には才能がある。オリンピックを目指そう。

ウクライナでは、革命の炎が上がり、母は再び襲撃され、友達は、広場で戦い、火炎瓶を投げ、殺される恐怖に怯えている。

瀕死の母は、決して戻るなと言い。
友は、安楽な場所にいるオルガを責める。

オルガに出来ることは、体操だけ。
体操だけ、体操だけ?

15歳のオルガ、彼女に選択の余地はない。
ウクライナに帰りたくても、帰れない。
ウクライナのパスポートは、「もう使えません」と入管で言われた。

オルガに出来ることは、体操だけ。
体操だけ?

オルガは、選ぶ、たった一つだけ、自分の自由に出来ることを。

映画を見ていたわたしは、映画館の暗がりの中で、犯してはならないことをした。スクリーンから顔をそむける。目を閉じて。
「見ない」ことを選んでしまった。

以前も同じことがあった。

ベルギーの映画『girl』を見た時。性同一性障害とされる身体的には男性とみなされる、少女ーララ。彼女は、バレリーナになりたくて精一杯努力する。美しさも才能もある。しかし「同性」である少女たちからこそ、ララは阻害される「女にはないものが身体についている」から。

ララも14歳だった。年齢的に手術をする決定を自分では出来ない。
周りの大人は許してくれない。
ララは、選ぶ。たった一つ、自らの自由にできる行動を。

わたしは、その場面でも、目を瞑った。顔を覆って、そのシーンが通り過ぎるのを待った。

オルガと同じー自らの身体を傷つけるーことに寄ってのみ、彼女たちは、自由を得る。

なぜ?
どうして?

と思ったって、それしか本当に道がないのだ。
わたしには「わかる」。
わかるからこそ、目を瞑る。
その痛みが、その恐怖が、そのどうしようもない孤独が。
あまりにも身に迫ってきて。
お願いだからやめて、と思ってしまうから。

ウクライナの少女、ベルギーの女の子になりたい女の子、日本のおばさん。
どこに共通項があるのか。
勝手に「劇映画」に感情移入しているだけではないのか。
そうだろうか。そうとは決して思われない。

摂食障害 自傷、リストカット 性的な自暴行為、最悪は、自殺。

日本の少女たちに多く現れる「思春期の症状」には、共通項がある。
若い男性に傾向がある外的な暴力ー家庭内暴力、最悪は他殺行為等が、ある意味「社会」に向けられるのに対して、徹底的に「自分をいじめる」方へ傾きがちなこと。

どうしてなのか、ずっと長いこと、ぼんやりと考えているのだけれど。
やはり「少女」と「社会」との関係性が、密接に関わっているとしか思えない。(無論「少年」男性でも同じことだが)

現存の社会の仕組みの中で、少女は、少女であるままでは、何も出来ない。
大人に養われ、選択肢は限られている。何かに抵抗する力もない。

実は、自由など何一つない。

そう気が付くのが、「性」と社会が結びつき始める、思春期であり、だからこそ、世界中の「わたし」たちは、「自由でありたい」と強い欲望を持つ。

がんじがらめの不自由の中で、その「不自由」と理不尽に気がついてしまった者が知る、たった一つの「自由になるもの」とは、だから「自分の身体」だけなのだ。

全ての少女たちは、そのことを知っている。
たとえ「幸福な少女」だったとしても。「そんなの信じられない」としても、その無意識さえも。(「普通の女の子」たちが楽しそうに自由にしてる行為を想像すればわかることです。メイク、ファッション、アイドル オタク、コスプレ、恋愛…およそ個人の身体性に関わっている)

自分自身を自分自身でー傷つけるー自由。
四方八方から(あらゆる意味で暴力的に)傷つけられるしかないのなら。
それでもなお、「生きてみよう」とするならば。

オルガとララと、もうすぐ60歳のわたしは、全然違う場所で、全然違う価値観で、全然違う環境で、生きている。

だけど、「同じ世界」を生きてる。
たった今も。

オルガの翼は、折られても、折れない翼。

どんなに痛んでも。

飛びたいー「わたし」の意思。
その自由のために。


遠いウクライナの少女を描いた映画から、受け取ったものは、
ただ、それだけ。


少女たちの生きる道ー

















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