生きていくためにー『プリズン・サークル』坂上香監督作品を観た。すごい映画だった。

TC(セラピューティック・コミュニティ)
Therapeutic Communityの略。「治療共同体」と訳されることが多いが、日本語の「治療」は、医療的かつ固定した役割(医者―患者、治療者―被治療者)の印象が強いため、映画では「回復共同体」の訳語を当てたり、そのままTCと呼んだりしている。英国の精神病院で始まり、1960年代以降、米国や欧州各地に広まった。TCでは、依存症などの問題を症状と捉え、問題を抱える当事者を治療の主体とする。コミュニティ(共同体)が相互に影響を与え合い、新たな価値観や生き方を身につけること(ハビリテーション)によって、人間的成長を促す場とアプローチ。

映画の内容や撮影された刑務所の指導方法などについては、上記のリンクー作品公式ホームページ。ネットで見られる仮設の映画館に詳しくありますので、ご覧になってみてください。

罪を犯して刑事罰を受けた若者たちが、集められた刑務所で行われる、刑罰ではなく再犯防止と再生ー人間回復教育を追ったドキュメント。

窃盗、詐欺、強盗、殺傷、人は、なぜ罪を犯してしまうのか。映画は、まずもってその根本に向かおうと、わたしたちを導いていく。

なぜ盗むのか。

「金がないからやろ?」

「金があってもやる」

幼い頃から盗癖のある青年は、そう答える。なぜ盗むのか、自分でもわからない。罪悪感はまったくないという。

そうなのか…そういうもんなのか…見ているわたしは、はっとしたように思う。そんな風に理由なく(欲しい)とすら思わずに盗むなんて想像したこともなかった。

借金に困って叔父の家に進入し包丁で刺してしまった青年。

なぜ、おじさんの家に入ったのか。

「知ってる家の方がいいと思った」

親しくしてたなら、どうしてお金がないと相談しなかったのか。

「恥ずかしいと思ってたからかな」

「他人に相談するという頭は全然なかった」

借金でお金に困ったー相談するという選択はないー金のために強盗に入る。いきなり論理が飛躍しているようで「知っている人の家なら入りやすいと思った」のは。「相談をする」という行動ー人に甘えることー自体が、全く彼の身体に感覚として宿っていなかったのだと推察できる。(でも知っている叔父さんだからいいと思ったー彼は甘えていたのだー)

推察はできるけれど、実感はできない。わたしたちは、いかに「自分の知っていること」を「誰もが知っている」はずだと誤解していることだろうか。

親に殴られて育った子ども。母親に無視されて育った子ども。気がついたら施設に置かれてあった子ども。激しいいじめにあい、激しいいじめをして、生きてきた子ども…。

彼らはたまたま不幸な目にあったけれど、同じ人間なのだから、同じ感情や同じ感覚があるはずだと。なのにどうして盗みは悪いことだと知らないのか。暴力を振るわれた他人の痛みがわからないのだと?

失われた感情や感覚の欠落を、ただ漠然「ある」と思い込んでいるわたしたちは、それが「ない」ことに驚愕し、異常だと決めつける。犯罪者は異常者で「自分たちとは違う人間」だと思い込もうとする。

でも映画は、教えてくれる。人がー普通に生きているー当たり前と思いこまれている感情や感覚は、「育てられて」身に付くものなのだと。

映画の中に登場する、彼らは、その育てられる機会を奪われていた。初めから奪われているのだから、自分の中に何かが「ない」ことすらわからない。

彼らの受けるレッスンー人間回復のための会話のやりとり、罪を直視し現実として受け止め、心の枠組みを変えていく「教育」の経験は、その欠落させられてしまった何かを「ある」と探す旅だった。

「人として尊重されているんだなと思えて嬉しかった」

施設の中で教育を担当する指導員たちは、みな身だしなみを整えられた普通の服で全員きちんとした敬語で話す。生徒たち(と見える)も皆きちんとした敬語で話すし、文字も綺麗に書く。

コミュケーションの基盤は整っている。安心感や信頼感が育てば、だんだんと封じ込められていた記憶や感情を表に出すことができるようになっていく。

人が人でありたいと願うー普遍的な思いは、「人と触れ合いたい」ということなのだとつくづくと思い知らされる。触れ合うためには、信頼関係が、どうしても必要だ。それを原初的に育むのは、幼年期の体験しかない。でもその機会がなかったとしたら。

「自分」と「他人」は「同じ人間」なのだという実感そのものは、どこからくるか。「あなた」は「わたし」と「同じ人間」だ。「わたし」は「あなた」と「同じ人間」だというー共感力ーが人を人たらしめる。(個人として同じという意味ではない)

プリズン・サークルの中でー共感力ーを育もうと必死に自己と他者と向き合おうとする若者たち。そのために使われるのはー言葉ーだった。

信頼関係の中でしか信頼できうる言葉は育まれないー必死に発露されていく言葉ー生まれた言葉は、想像力を産み出す、想像力によってー共感ーが生まれるとき。

言葉は、一人一人の現実に繋がるー無反応だった彼らが涙を流したり、うなづいたり、逆に黙りこくったりするのはーそれそれの中に、想像された共通の何かがあるからだ。

彼らの痛みと、無意識のまま、狂おしく父や母ー抱きしめてくれる腕ーを求める、懊悩に、息もできない。子どもは親を選ぶことはできない。親はどんなひどいことでも子どもにできる。でもどんなひどいことをされても。子どもは親を求めているんだと。生きていくためにー。

初めから「ない」とされていた何かが「ある」と発見された時。初めて罪は、現実となり、彼らの中で自らが他者へ与えた罪への感情と解釈ー反省ーが、生まれていく(ように見えた)。

では、ならば。

このサークルの外側ー正常な世界にいるはずの、わたしたちのいる場所で。ちゃんと人は人たらしめているのか。他者を同じ人間として共感する力はあるのか。

生きていくのが、苦しいー人でいるのが辛い ー猫になりたいー

会話するのは面倒だ 本心は言えない 

ストレスばかり 嘘ばかりついてる…

自分を取り巻いているサークルは、果たしてどんな世界を築いているのだろうか。






















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小野山理絵 元マンガ評論家 1996年「ガロマンガ評論新人賞 佳作」北海道日本ハムファイターズのファン マンガ、映画、本のことなど書きます。今の仕事は宅配弁当ワーカーズコレクティブで調理担当。今年も「2020、歴史に残るファイターズの120試合全部書く!」イベント開催中😀

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