夫が倒れた!献身プレイが始まった

「家族のためのユマニチュード」の後に手に取ったのは「へろへろ」という本で、読み始めた矢先から、これはおもしろそうだと思った本だった。そして、おもしろかった。一気に読んでしまった。それは内容もさることながら、この鹿子裕文という書き手の力もかなりあるように思えた。視点や関わり方、描き方がおもしろかった。

…のだけれど、私が両親の介護を考えた時に一番頼りになったのは、この本だった。この本が自分が動くきっかけをくれたと思う。もともと、ある方の紹介で野田さん(カリーナさん)のブログを読んでいて、そこでこの本が出ることを知り、発売と同時に購入、一気に読んだ。

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一気読みしたのが10月31日。それから地域包括センターに足を運び、ケアワーカーさんの交代をお願いし、実際に新しいケアワーカーさんと会ったのが11月13日。そこから父のデイケアを増やし、訪問看護のお医者さんを紹介してもらい、歩いて5分の所に自分の家族の住まいを移し、今の形ができたのが12月。本当にこの本でいろいろなことが動いたと思う。

この本は、ある日突然野田さんの夫が脳出血で倒れ、そこからいきなり介護の世界に放り込まれるところから始まる。倒れた姿を発見し、119に電話をかけ、救急車を待ち病院へ。救急車を遠巻きで見る野次馬を見ながら、戦闘態勢に入る。その時の状況と自分の気持ちがとても客観的に克明につづってあり、その筆致が本の終わりまで続く。

うちは両親の認知症、依存症で、私はここまで苛酷に介護の世界に放り込まれたわけではない。それでも、とても共感し、いろいろな面で背中を押してもらった感じがしているのは、その心情に重なり合う部分が多いからのような気がする。

たとえば、母が骨折して救急車を呼んだ時、父が道に迷ってパトカーで戻ってきたとき、両親がデイケアに通うことになり、ワゴン車が迎えに来た時。

うちは商店街の中にあり、昔からのご近所さんが多い。なので、すぐに「あら、どうしたの?」ということになる。母が骨折して入院した時はまだよかった。でも、父がパトカーで戻ってきたとき、ワゴン車が両親を迎えに来たときは、説明に疲れた。

ワゴン車を見て「なに?施設に行っちゃうの?」と聞かれる。「いえ、デイケアで毎日帰ってくるんですよ。」と笑顔で答えながら、「あそこんちは同居と言いながら、親を施設行きにするようだ。」とのうわさが立つのか…とゲンナリする。昔から知っているご近所さんだし、その分他の家の言われようも知っているから、なんとなく悪い想像をしてしまう。そういうのが嫌で、就職してからは同じ都内でも家を出て、1人暮らしをしていたのだけれど。

介護でいろいろ決断した自分と、自分に対する周りの目を気にして揺れる自分がいる。その葛藤をこの本にも見る。

でも、「娘ならそうするだろう、妻なら、嫁なら…」待ったのきかない決断の連続の中で、そういう声を聞き、内在させながら、それでも、「いや、違うのではないか。」と思考を止めずに自分の道を作り出していくさまが、読んでいて本当に力になった。

介護は20歳を迎え、独り立ちしていく子育てとは違って、いつ終わるかわからないし、延々坂道を下っていくような毎日に同伴するようなものだ。これは、かなりきびしい。平行して自分の人生の時間も進んでいく。他の家族の時間も進んでいく。お手本はない。だから、自分の中の介護に向かう心構えのようなものが、ひとつの指針となり、支えになる。これを、世間一般の常識や道徳、「そういうもの」というふわっとしたものにしてしまうと、苦しくなる。だから、揺れながら、自分の心構えを作っていくしかない。

たぶん、この本にはそういったことがたくさん詰め込まれている。揺れながら、野田さんがどう介護してきたか。これからどう介護していくか。自分はどう生きていくか。表紙をめくった裏に、「生き抜け、私!」と書いてある。それが、この本を読んでいる私たちへの励ましの言葉のようにも思えて、力が出るのだ。


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