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痛みは癒しの可能性

新年早々痛ましいニュースが続いている。他でも書いたが、全ての人の心身の痛みが、その痛みの大小に限らず和らいでいきますように。

個人的にも分断や自分自身の誠実さが揺るがされるような出来事がいくつか起きて、癒やしが必要な部分が顕になるようなそんな体験を今している。

痛みを見てみると、癒しが必要な部分、癒やされる可能性を持っている部分を教えてくれていることに気づく。もしかするとすべての痛みは外からやってきたものではなく内在する性質から浮上するものなのなのかもしれない。誰のせいにすることもできない。誰のせいにもしないことは、誰からも傷つけられない自由を選択するということだ。避けるのではなく、招き入れ、味わうことで癒されるかやってみる。

MBSR講師養成の最後のモジュールでやってきたインスピレーションが支えてくれている。それは「人生は体験を味わうテーマパークのようなものかもしれない」という感覚。感情はアトラクション。ストレスコースター、不安ゴーランド、もちろんポジティブな感情も(感情にポジティブもネガティブも無いと思うが便宜上)。マインドフルネスは内観覧車とでも呼んでみようかしら。アトラクションをどう味わうかは自分次第。

もうひとつ、支えてくれているのは、やはりマインドフルネス。特に慈悲の瞑想だ。苦手な人、嫌いな人、受け入れがたい人、を招き入れた時のダイナミックな意識の拡がりはジェットコースターのそれに似ている。

ネガティブと言われがちな感情は、急降下の後にパーク内を駆け抜けるエネルギーになるのかもしれない。そんな仮説のもとに観察しながら、労りと慈しみで満たすことを静かに続けてみよう。


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