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自律なき個 自律なき社会

最近、同じような相談を
受けていることに気づいた。

ある中学校の先生は
生徒の親からの理不尽な
クレーム対応が悩ましい、という内容

サービス業の経営者さんは
お客さんからの理不尽なクレームの
対応に悩ましいという内容

ある会社の役員は
社員達が束になって理不尽な要求を
してくる、という内容

これらは、この3日間で
聞いた話である。

それぞれの人にとっては
悩ましい「問題」なわけだけど

全てに、共通した社会課題があり
同時に、これからのわたしたちの
生き方に対し投げかけられいる
「前兆」であると感じている。

それが、タイトルにもなっている

自律なき個
自律なき社会

である。



「自律」とは?

ここで言う「自律」は
わたしが採用している自分なりの
解釈である。
 
「自律」とは
自由意志による選択と
それに伴う結果を引き受ける
責任があることと

自己とのパートナーシップによる
自己信頼度と、人生の手綱を
自らハンドリングしていることと
 
社会課題に対して
当事者意識があること。


現在、この自律を欠いた個
社会が、集合無意識的に
冒頭に挙げた問題を顕在化させて
いるように感じている。
 
「支配」や「依存」は
本来なら、個人の取るべき結果への
責任まで「搾取」してしまい
 
結果的に「自責」ではなく
「他責」に生きる人を量産して

「自分の人生を生きる」という事を別の意味で "明け渡して" しまっている。


って言うと、イメージしにくいかも
しれないけど、自分が育った家庭環境や
現在の家庭環境をイメージすると良い。
 
親から、支配的に育った人は
それがデフォルトだから

自分が親になると
子どもやパートナーの選択や行動に
ズカズカと土足で踏み込み

「あなたのためを思って」

と言う謎の言葉を盾に
自分にとって都合の良い選択と
行動をするようにコントロールしようとする。

これで、子どもやパートナーが
反発してくれたら万々歳だ。

なぜなら、至極真っ当に
彼らは、自分の人生を生きること
自由意志による選択と行動を
守ろうとしているから。

こんなふうに、至るところで
自律を阻む背景がある。

わたしたちは、自分の人生の責任しか取れない


ここに書いていることは
まだまだマイノリティだけど
 
この記事に辿り着いてくれた方の
自律が目醒める「自問」の場に
なれば幸いだし
 
すでに自律的に生きている人たちが
さらに、自己拡大していく為の
ターニングポイントになれば
幸いである。

自分以外の誰かの選択や行動に
ズカズカと土足で踏み込む人は

間違いなく、自分の人生の手綱を
どこかに置き忘れ、その代わりに
誰かの人生の手綱を握ろうとしている
ことに気づいた方が良い。
 
自分の選択や行動の結果を
自分にとって都合の悪いことは
他責にする人も然りだ。

他責の人に聞いてみたいけれど
あなたは他者の人生の責任を
取るつもりなのか?と。
 
もちろん、取れるわけが
無いので、愚問にしかならないけど。
 
人生の手綱を明け渡し
誰かの人生の手綱を握ろうとし
自分の都合の悪いことは他者のせいに
しようとする、という在り方は
わたし的には

マジでダサい。
ダサすぎる。


そういう人を責めるつもりも
ジャッジするつもりも無い。
 
それは、自分への問いである、と
思っている。

「自分はどう在りたいか?」


それ即ち「当事者意識」だ。

最終的には「自分がどう在るか」しか
無いと思っている。

そういう在り方が
醗酵のように、大切な人や
仲間たち、縁ある方々に伝播して
共鳴・尊重し合えれば幸いだ。

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