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3次元マトリックス、再び

最近、気づいたら3次元マトリックスに
ついて考察して、それに関する
アウトプットをしている気がするw

わたしの記事を初めて読む人も
いると思うので、簡単に説明すると

3次元マトリックスとは
「仮想現実」のこと。

普段、何の疑いもなく
住んでいるこの現実世界が

社会的洗脳や自分の認識(解釈)
によって創られた仮想の世界だよ
ということです。

わたしたちは、生まれたときから
気づかないうちに、そういうゲームに
ログインして育ってきたんですね。

初めからそうだから、ゲームに
ログインしていることに無自覚です。

マトリックスについては
過去記事をご参照ください♪

世界線が違うと、言葉の意味も変わる

3次元マトリックスに
どっぷり浸かってる世界線では

日常(苦痛・退屈)
非日常(エキサイティング・癒し)が
相対的に存在してて

非日常を提供する側と、それを
消費する側の共依存が成立する。

提供する側からすると
消費してくれる人がいないと
困るわけなので、日常を苦痛だったり
退屈だったりで生きている人たちが
いなくなることを望まない。

これは、医療の世界でも
全く同じことが言えますよねw


一方、マトリックスの外の世界線では
「日常=有難い・奇跡」になり、非日常は
色んな意味で「エンタメ」
なんだけど
日常と非日常の明確な境界線はない。

なんというか
日常の中に非日常もあり
非日常の中に日常もある

そんな世界線なのです。

ここまで読んで
気づいた人がいると思うけど

世界線が違うと
言葉の定義、意味が、真逆くらい
違うものになります。

「日常」の意味が変わることで「幸せ」「豊かさ」が本質的になる

3次元マトリックスにログインを
していることに無自覚な人は
その構造の中で

「幸せになりたい」
「豊かになりたい」

と思い、やり方や方法論を
求めます。

だけど、日常が「辛い」「苦しい」
「つまらない」「退屈」なものだと
確定させている人にとって

幸せや豊かさとは
日常の不足や不安、不満を
埋めてくれるものであり、故に
「得よう」とするのですが

得ようとするその前提は
「無い」なので、不足や不安
不満を寄り強めることになり

幸せになりたい
豊かになりたい

と求める現状を続けます。

本質的に幸せで豊かになるには
自分が「無い」の前提で日常を
「辛い」「苦しい」「つまらない」
「退屈」なものだと確定させていた
痛い事実を直視し、認知することです。

構造の中で、日常を直視しないまま
幸せになる方法や豊かになる
やり方を学んでも、それは
本質的ではありません。


日常=潜在意識


日常は、わたしたちの
潜在意識そのもの。

だから、日常をどう過ごすか?で
潜在意識の日常に対する認識=
日常の意味が変わります。

「無い」から「有る」にフォーカスを

「無い」が前提だと
「有る」はず無いわけなので
「既に有る」ことに気づくために

非日常で、いまの日常とは相対的な
体験をさせてあげるのをめちゃくちゃ
おすすめします。

っていうか、今後は、ここに
コストを積極的にかける必要が
あると自分は思っています。

例えば、現代人の日常を構成する
要素の中に「便利」「効率良く」
「時短」「無駄を省く」などが
ありますが、これが手段ではなく
人生の目的にすり変わっている人が
めちゃくちゃ多くて

結果、豊かや幸せになるはずが
疲弊していますw

逆転発想ですが、非日常で
便利→あえて不便を
効率→あえて非効率に
時短→あえて手間暇をかけ
無駄を省く→あえて無駄だと思うことをやる

ことにコスト(時間・お金など)を
かけてみましょ♪

いつもの日常とはかなり
相対的な体験になります。

すると、その、非日常から
日常をメタ認知できます。

文明の利器ってありがたいなぁ

非効率って遊びだなぁ

お金出して欲しいものが手に入るって
なんてありがたいことなんだろう

無駄って人生の余白だなぁ


なんてことを思い
「無い」から「有る」に
気づけばフォーカスしています。

そうして、非日常で
これまでの日常とはあえて
逆転発想的な体験をすることで

日常に「無い」と思ってたものが
「有る」に反転し、潜在意識の
認識が「無い」から「有る」に
描き変わります。

潜在意識の認識が変われば

日常=神


になります。

そのとき、3次元マトリックスから
抜け出ていますよ♪


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