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わたしたちの中の”北風と太陽”そして”旅人のコート”

イソップ物語の中の
「北風と太陽」という話は
これを読んでいる人も

「あぁ、知ってる」

と言う人が大半じゃないかなと
思います。
 
物語のあらすじは

北風と太陽が
どちらが強いか?を言い争い
 
議論しても決着がつかないので
旅人の着物を脱がせた方が
勝ちと決めよう、ということになり
 
力強く風を吹かしてコートを
脱がせようとした北風よりも
 
ポカポカと温かさを与える
太陽が勝者になった話で

力づくや厳しさよりも
寛容さが重要である、という
教訓として例えられている物語ですね。
 
わたしもこの「北風と太陽」を
例え話によく使うのですが
 
わたしは

北風=自我(エゴ)
太陽=愛

 
という例えで活用しています。


北風=自我(エゴ) 太陽=そのまま認める(愛)

物語の中の北風は
旅人の着ているコートを
強風で「脱がせよう」とし
 
それに対して旅人は
「脱がされまい」としてコートを
しっかりと手で押さえ付ける。

一方、太陽は
ただ燦々と旅人を照らします。

太陽は、旅人のコートを
脱がせようとは全くしないけど
旅人は暑くなって自から脱ぐ。

北風は【自我(エゴ)】で
太陽は【そのままを認める(愛)】を表し

旅人は【わたし(魂)】を

旅人が着ているコートは
【セルフイメージ(自我)】を
表しているかのようです。

旅人=わたし「魂」
コート=セルフイメージ「自我」
北風=セルフイメージと相対・相反
   する自我
太陽=全てを認め抱擁する「愛」

これら全て

「自分」


なのです。

北風は「自我(エゴ)」であり「執着」。
 
なのでセルフイメージを
強化します。
 
太陽は「愛」であり「解放」。

なので、セルフイメージに固執せず
完全に解かれます。



セルフイメージ(自己認識)はだいたい間違っている

行動できない自分
自己開示できない自分
何をするのも遅い自分
 
などなど、セルフイメージには
色々あるけれど
 
これまで、たくさんの人と
関わってきて、大概、その人の
自分に対するセルフイメージが
ほぼ誤認識である、と思うもの
ばかりでしたw
 
例えば
 
「わたし、やりたいことを
行動できないんです!!」

と相談しているその人は
わたしのセッションを受けるために
会社を休んで、東京から京都に来ているし
 
「わたし、自己開示したいけど
自己開示ができないんです!!」

って自己開示する人もいたしw
 
「わたしは何をするのも遅くて
スピーディにできないんです!!」

 
と言ってる人が誰よりも早く
気遣いで動いていたw
 
あぁ、みんな、そう思いたいだけで
言いたいだけなんだな、と思っているw
 
「行動できない自分」だと
思い込んでいる人だって

本当に行きたいところや
会いたい人がいれば
その熱に突き動かされて行動するし
 
「自己開示できない自分」だと
思い込んでいる人だって
 
「自分は、自己開示ができないんです!」
って素直に開示できるような環境や
場で、気づいたらハートは拓く。

太陽が燦々と照っているところで

「わたし、コートが脱ぎたいけど
脱げないんです!!」
 
とはならんやろ??
 
と言いたい。(←例えw w w)
 
暑かったらごく自然に脱ぐでしょ?
 
人間って自然なんです。

だから、自然とそうなるべき時に
なるものなのです。


そのまま「認める」とは

・行動できない自分
・自己開示できない自分
・何をするのも遅い自分
 
それは、真の自分という
わけではなくて
自分は「そうである」と
決めただけなんだ、と気づくこと。

そして、そのセルフイメージには
デメリットだけでなく
必ずメリットもあるから
そこにフォーカスを充ててみましょ。
 
この世界は50:50の世界。
 
だから、デメリットだけ、って
ことは絶対にありません。
 
もしかしたら
行動できない、ではなく
その時は「行動しない」ことを
選んだだけかもしれない。
 
「自己開示できない」ではなく
その時は「自己開示しない」ことを
選んでいただけかもしれません。
 
それによって、自分の心を
守っていた、ということも
あるでしょう。


セルフイメージに囚われることも
あるかもしれませんが

このnoteを読んだ人は
この記事を思い出してください♪


#北風と太陽
#セルフイメージ
#自我
#愛
 


 

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