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お守り


先日、キネシオロジーの講座に参加してきました。

だんだんと内容も複雑になってきて、この日は表面的な痛みや感覚にアプローチするのではなく、その痛みや感覚を現象化させている根っこの要因に気づいて調整する手法を学びました。

たとえば、肩が凝るとか背中が張った感じがするという場合でも、元は腰の筋肉が弱っていたり、左右の足の負荷が不ぞろいだったりで、それをかばっていると肩や首に痛みとして現れることがあるとか、さらにその大元には幼少期のトラウマや、事故に遭った経験による恐怖や不安、焦りの感情がある場合があり、それによってエネルギーのバランスを乱している、などなど。人それぞれいろんなパターンがあるのですが、その原因や感情を見つけてリリースする手法も学んだりしました。

顕在意識と潜在意識の関係と似ているなぁ、と思いながら受けていました。


「トラウマ的な経験をしたことはある?」

と、インストラクターに問いかけられると、まあ、出るわ出るわ、皆さんいろんな経験をされています。幼少期にいたずらされたり、誘拐されそうになったこと、数年前に夜道でひったくりに遭ったことなど、次から次へと。衝撃の事実オンパレードでした。

ペアになってその時に感じた恐怖や怒り、失望感や無力感などの感情を肉体的な感覚とともにリリースしていきます。


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私も自分のトラウマ的な経験を4つくらい出しました。


・母と車で田舎道を移動中、崖から転落したこと。私は助手席で寝ていた。車はゴロンゴロンと横回転と同時に前後上下が逆になった状態で着地し、気づいたときには足が上、頭が下の状態に。私は軽いむち打ち程度でしたが、一緒に乗っていた母と犬はほぼ無傷。車はボコボコで廃車に。

・中学生の頃、家が火事になったこと。その時も私は寝ていた。部屋が一つ取り壊しになってしまったけど、家じゅう燃えたらどうしようとか、消防車早く来て!という恐怖心があった。集まってきた野次馬の中に同級生の男子がいて、みじめに感じて恥ずかしくもあり。
半年後に近所で放火未遂があり、その時の恐怖心がよみがえる。

・高いところが好きなのに、なぜか飛び降りたくなる(空を飛んでいる夢をよく見る)。 トラウマとはちょっと違うかもしれないけど、気になっているので出してみました。

・大きな音。特に雷。小学校に上がる前、母の職場の人たち10人くらいで白馬山に登ったのですが山頂で急に天候が変わり、分厚い黒い雲とともに雷雨に。目の前に何度も何度も雷が落ち、一瞬のうちにバタバタと何本もの大木が裂かれていくのを目の当たりに。生きた心地がしなかったという初めての記憶かも。

筋反射で見てもらうと「まず、火事だって」と言われ、調整してもらいます。見てもらううちに「寝ている間に大変なことが起こるのでは」という無意識下の不安にもつながっていたようで、それで私は夜更かしが過ぎるのだなぁということも判明(笑)。


「でも、かなり守られてるよね?」

とキネシオロジーとは直接関係ない部分を指摘され、言われてみれば…と思い返して気づいたのは、いつも怖い目に遭っている時に、真っ白い光に包まれていたなぁということでした。

崖から車が転がり落ちていくときも、夢を見ているような感覚ではありましたが、まぶしすぎるほどの真っ白い光が目の前に開けていました。

あまりにまぶしく心地良くて「ああ、死ぬってこんな感じなんだ~」って思ったのですが、「まだだめよ」と言われた気がしたのを覚えています。
気づいたら頭と足が逆さになった状態で、夕暮れの車内で固まっておりました(笑)。

ほとんど車が通らない田舎道だったのに、私たちの乗る車の後ろを走っていたのが道路公団の方たちが乗っている車だったので、即座に助けてもらえたというおまけつきでした。その車に乗っていた男性4人が滑り降りるように崖を下りてきて助けてくれたのですが、口を揃えて「死んだと思った」と青ざめてました(その方たちのトラウマになってないことを祈ります)。

そして、「火事~~!」と姉が叫んだ時も、こたつに入って寝ていた私は、真っ白い光がまぶしくて強烈すぎて目を開けたなぁ、と思い出したのです。

瞑想しているとたまにこの光が現れるのですが、ほんとにまぶしすぎて、目を開けているのか閉じているのかわからなくなるくらい。


いつもこの光に見守られているのだなぁと、そしてそのことをすっかり忘れていたことに気づいて、改めてありがたいなぁと思ったのです。

きっと、誰しもそんな光だったり、形やイメージだったり、それぞれ見守ってくれている存在がいるんだよねぇと。

そういう意味で人生は共同作業だと捉えると、日々が奥行きのあるものに感じられるなぁとしみじみ思ったのです。


なんだかまとまりのない内容になってしまいました。相変わらず。

白い光を思い出したこと、お守りなんだなぁと改めて信じることができた記念として、残しておこうと思いました。



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