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文章を読む力

タイトルからすると、なんとも普通なテーマですが、自己理解を深める中であたらめて気づいたことなのでこのテーマにしました。
本を読むことも少なくなっている。ネットもどちらかというと知りたい情報しか読まないという人が多くなっていく中で、読む力を養うことの大切さを感じています。その解釈があっているとかあっていないかを知りたいならば、自分がアウトプットしない限り判断はできないですから。

最近文章を書くことも多くなり、書いているうちに何の言葉を入れるか入れないかもどんどん出てきて、何度も修正して完了する。(文章を書いている人はそれは当たり前に起きていると思いますが)

それを繰り返していく中で最近改めて気づいたことを書きます!

自分で文章を書く時、その前に主語とかキーワードを入れている理由があります。文章書いている人、そうですよね?以前は入れなくてもいいかな~と思うところは入れず、ここは絶対と思うところにだけ入れていましたが、相手視点で読んでみると、勘違いされるとか、書いている自分はこの内容はこの人(このこと)の説明を書いているけど、相手から読むと背景を全体でとらえられてしまう、ぼやけてしまうと気づくことが多くなりました。

そのキーワードをあえて表記する(入れている)理由は、その人にとってはちゃんと意味があり、その人自身はそこに意味を持たせて書いている、伝えたい部分だったりするのだけど、読む人は読む人の目線で解釈するので、どうしても内容に目がいってしまい、そのキーワードはスルーしてしまうことが多い。
ということを、自分が文章を書いて多く気づくようになったので、自分の文章を読み返すときも人の文章や本を読むときも、より気を付けてキーワードや主語をみるようになりました。
このキーワードを入れてその文章を解釈するかしないかで、相手が(自分が)伝えたいことの意味が変わるし、また勘違いを起こしている可能性もあると気づいたのです。

でもそれを書いている背景や前提を100%合わせることができないので、起きても仕方がないことです。また、著者は伝えたいこともあるから書いていますが、勘違いでとられられてもそのこと(文章)にふれたことで、相手(読者)に何かいい気づき(視点)やヒントをつかんでもらえたならば、それはこのアウトプットのもう一つの役割を果たしたとも言えます。勘違いであっても相手(読者)に違う形で伝わったと考えることもできると思います。

ということでこのテーマはここで終了しますが、最近いいと思っていることは、書くことで自分を俯瞰できる(自分がどう考えているか)を違う視点から認識できます。書くことは大事だと改めて思っています。

このテーマ、あなたはどういう考えをお持ちですか?また、どう考えていますか?


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