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ケアでしんどい時に思うこと

ヤングケアラー当事者のつどいでは、毎回わたし自身もみなさんのお話を伺ったり、自分の話をしたりしながら、ケア中のいろいろな思いが蘇ってきます。

今回はとある参加者の方からの「ケア中の一番しんどい時ってどんなかんじでしたか?」という質問があり、ひさしぶりに当時の心境を思い返しました。

わたしの場合、一番しんどい時は「何も感じなくなっていた」という表現が近いように思います。
ただ毎日のことを自転車操業でこなしてはいるものの、生きている感覚がないというか。自分は人形みたいだな、と思った記憶があります。

大好きな本や漫画も読む気力もなく、娯楽なども受け付けず、テレビでお笑い番組が流れていても面白いような気はしても声を出して笑うこともなくなっていました。
いつ母の容態が悪化してもおかしくない状況で、食欲もなく、熟睡することもできず、それでも朝は来るし、誰も代わってくれる人もいないからやるしかない、の繰り返し。
人からの声かけも雑音の中に消えてしまうようで、「大変やけどがんばってね」「お母さんのこと頼んだよ」と言って帰って行く人たちの背中を見ながら、「自分はそう言って帰る家があるからいいよな」と唇をかみしめていました。

「みんなには帰る家があって忘れられるけど、わたしの帰る家はここしかない」「大丈夫?って聴いてくれても、誰かが代わってくれるわけじゃない」「だからと言ってわたしの代わりになる人を雇えるお金がもらえるでもない」「結局わたしがやるしかない」
こんな気持ちが渦巻いていました。

なんのために生まれてきたのか。なんのために生きているのか。
そんな散々擦られた疑問を抱くことすら滑稽で、放心していることも多かったです。

今になって思うのは、子どもの頃からたまに「あれ、なんでここにいるんだっけ…?」「わたし、誰だっけ?」みたいな感覚に陥ることがあり、わりとよくあることなので普通のことかと思い込んでいたけれどそうではなかったんですね。。
学生の頃、あるあるかと思って友だちに「たまにこんな時あるよね!」と話しても共感を得られなかった理由を最近になって知りました。笑

ケア経験を語ること、聴くこと、共有すること。
わたしはそれらは諸刃の剣であり、劇薬のようにも感じています。
みんなが安心して、しんどくならない範囲で、話して&聴いて、ここにいてよかったと思えるような時間でありますように。
所属させてもらっている「ふうせんの会」でも、「いろはのなかまたち」でも、一個人としても忘れたくない願いです。

しかしみなさんのお話を伺えば伺うほど、当事者の本音と、支援者の思惑とのギャップを感じます。
メッセンジャーとして、そのギャップを少しでも埋めていけるように言葉でお伝えしていきます。

#ヤングケアラー #若者ケアラー #ヤングケアラーわたしの語り #ヤングケアラー支援

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