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偶然の家族

父と二人で行きつけの料理屋さんで乾杯した。
こうして二人で外食する日は、父にわたしの知らないこれまでの話を聴くようにしている。

今日は、母との馴れ初めの話を聴かせてもらった。
わたしの父と母は高校生の頃に出逢い、24歳で結婚した。二人の学生時代の話や、結婚するまでの話を聴いて、病気とは無縁の頃の元気で天真爛漫な母の様子を思い浮かべ、途中から涙を堪えるのに必死だった。

わたしたちは家族のことを知っているようで知らない。
一人ひとりに家族も知らない生活があり、人生があり、物語がある。

わたしは母を失った後、あれほど長く濃密な時間を一緒に過ごしたにもかかわらず、お互いの関係性以外の話を聴くことはあまりなかったので「もっといろんなことを聴いておけばよかった」と後悔した。

その教訓もあり、父には母のことも含めていろいろ思い出話を聴かせてもらっている。もちろんそんな種明かしはしないけど。

帰り道、父は決まって「しょうもない話を聴かせてしまって…」と娘に詫びを入れる。
しょうもなくなんてないし、わたしはこれまでの父の軌跡に毎回ただただ感動しているのだが、そんなふうに律儀な父の態度をみるといつも「この人の娘で幸せだなぁ」と思う。

人生は巡る。
父には父の、母には母の、兄には兄の、わたしにはわたしの人生がある。
バラバラの4人が交わって、家族として生活をしていた。それは奇跡のようなことで、時の流れとともにその形は変わっていく。

父と交差点で別れ、小さくなっていく背中を見ながら気づいた。
わたしはきっと、大切な人を大切にしたかったんだ。

わたしにとって母はずっと一番大切な人だった。
ケアの重責に苦しみながら、若い自分の自己実現とケアとの両立に悩みながら、それでもわたしの一番の願いは「大切な人を大切にする」ということだった。
それが結果、客観的に見たら自己犠牲的であったとしても。

大切な人を大切にすることと、自分を大切にすること。時によって、両方叶えることはとてつもなく難しい。
それでもこれはわたしに与えられた人生の課題なのだろうと思う。

お父さん、お母さん、家族になってくれてありがとう💐💐

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