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発表会

 わたしがヴァイオリンを始めたのは、30歳の誕生日を迎える前の頃だった。それから五年後、教室の発表会で独奏した。ずいぶん時が経ってしまったけれど、当時のことを、眠る前の静かなひとときにふと、思い出してくすりと笑ってしまうことがある。もうずっと昔のこと。先生も亡くなった。けれど私は今でも独りその路を辿々しくも歩き続けている。


 四月六日、日曜日。この日はわたしが通っているヴァイオリン教室の発表会だった。 入学式と重なって、大変に忙しい一日。濃密な一日。そして、わたしがヴァイオリンを続けて行く上で、一つの区切りになった日でもあった。 四十五回を迎える今年の発表会は奮発してキタラ小ホールで行う。そして、レベルごとの合奏やオケ演奏の他、中級の部でわたしは独奏を行う事になっていた。曲はモーツアルト作メヌエット。先生曰く「食事の音楽」。 この曲は一月にもらって自分ではさほど難しくない、と思っていたのだが、きちんと弾いてみると、音程の甘さだとか、トリル、ビブラートのタイミングの難しさといった問題が出てきて、そんなに簡単にはあがらなかった。楽器の演奏だけではないのだろうけれど、表現するためには、表現の手段—つまり技術—が必要だ。いくら楽しい曲だから楽しい気分でといっても、それが音になって表れなければ何も伝わらない。左手の指の正しい押さえと弓のスピードと圧力、そこから立ち表れる音を耳で聴き分け、コントロールすることができなければ、思ったように表現することなどできない。そしてそうした技術を身につけることは一朝一夕にはいかないのだった。 独奏の伴奏合わせの時から、自分の弾けなさ加減に愕然とし、発表会前数日は苦しい毎日だった。仕事の都合で合わせの時期が遅れたことに加え、いざ合わせてみると、ピアノの伴奏が驚きの速いテンポ。そんなテンポで弾けない、指が器用に動かない。「ビブラートをかけろ!」と怒鳴られても、指が全然動かない。他の独奏者は、上手に仕上げているのに、私だけできなくて情けなく、恥ずかしい気持ちで一杯だった。正直、泣きたい程みじめな気持ちだった。
 ヴァイオリンを始めてから五年。はじめの二年くらいは上達が早く、「才能がある」とか「音大に入れるくらいを目指してがんばってください」と言われ、はりきっていた。しかし、今考えると、「きらきら星」程度の演奏でそう言い切る教師も教師である。そういえば、小学四年生のころ、はじめてソフトボールチームに入り、監督のノックを受けた時もその監督は「この子はすごいものをもっていると思った」と言っていたが、大いなる期待はその後もろくも崩れることになる。失望されるのには慣れているにしても、だんだんと自分が弾けなくなっていくのが悲しく、くやしかった。それでも独奏に選ばれたことでちょっとした希望—まだまだがんばれる、上達できるのではないかというーを得られので何とかサマになるように仕上げたかったのに。

 発表会の準備期間は春休みと重なった。昼間は学校と引っ越しの手伝い、夕方は札幌で独奏と合奏の練習。千歳と札幌を高速道路で往復する。自分の個人的な練習の時間がなかった。たまに隙間の時間があったときはきっと楽器を持って必死に弾くのだけれど、やっぱり全然上達しなくて、ほんとうに落ち込んだ。こんなに努力しているのに、弾けないなんてひどいと思った。なんで自分はこうなんだろう、発表会なんて出たくない、というなげやりな気持ちにも時々なった。
 しかし、である。あきらめるのは性に合わない。本番目がけてとにかくできるだけのことはやった。それはどんなことかというと、例えば、非常にゆっくり、一音一音を区切って正しく音程をとる練習だとか、鏡を見て指の形や構えが不自然でないかどうかを確かめながら弾くことだとか、曲以前の音階練習をゆっくりからかなりの速さで滑らかに弾けるまで繰り返すこと。
 一番熱心にやったのは、車を運転しながらビブラートの練習。赤信号で停止中の時に、左手首を揺らしてみたり、手首を固定させて、指を前後に寝かせたり起こしたりすること。弦を押さえた時の手首や指の角度を目で確認しながら、どうしたら無理な力を抜いて、楽に大きな動きがつくれるかを研究し、家に帰ったらいち早く楽器を持って実際に試してみる。でもずいぶん練習したつもりなのに、十六分音符が全く震えない。今ひとつ要領を得ないのだ。
 ビブラートは、速いフレーズを弦の上から指で押さえる運動をしながら、指や手首を前後に振るわせてかけるものなのだが、無理にやろうとすると筋肉がこわばって手の動きが全く止まってしまう。だからできるだけゆっくり練習する。ゆっくりやっていても気がはやって、いつのまにかテンポがあがり雑になるのを「ゆっくり、ゆっくり、あせらんでもええよ」と自分をなだめながら根気づよくやり続けることが大切だった。

 一ヶ月前から合奏の練習が始まる。今年のAオケー一番最後にやる、上級の生徒とOBが出演できるオーケストラ—はチャイコフスキーの「弦楽のためのセレナード 第一楽章」。わたしはセカンドのトップを振り当てられた。この先生は、技術の巧拙と同じ程度に練習に真面目に出てくるかどうかを、ポジション決定の基準にしていた。発表会直前の合奏練習には、OB,OGの人たちが参加してくる。みんなこの教室から音大に進み、オケに所属したり教室を持ったりしているプロかセミプロだ。特に今年は四十五周年なので、道外からも助っ人がたくさん来る。この合奏練習では、周りの人の弾き方から学ぶことができた。ビブラートのかけかた。リズムの乗り方。トップのわたしに皆が合わせるべきところを、隣のお姉さんが体で「こう、こう」とリズムを示してくれる。この人はヤマハの先生。最近CD出したそうだ。はじめの練習の時「よろしくね」と言った笑顔に余裕があった。
 上手な人と一緒に演奏すると、自分もちゃんと弾けたりする。かからなかったビブラートがかかっていたりする。はじめは音を確かめるように弾くので各自がバラバラだが、音量、弓づかい、リズム、そして呼吸を合わせていくうちにそこに一種の空気ができてくる。その場だけに存在する空気、最初の和音が感動的に鳴る。いくつもの旋律が重なり、なだれるように音楽が流れる。流れに乗りながら夢中で、弾いた。この爽快感。これがあるから、やめられないのだ。

 発表会、当日。

 ホールに到着すると、もうリハーサルの時間は終わっていて、舞台で自分の音をチェックすることはできなかった。楽屋へ入ると、伴奏をしてくれる女の人が、「ちょっと合わせてみましょうか」と言ってくれた。楽屋のアップライトピアノで一度通してみる。周りに人がたくさんいたけど、そんなことをかまっているひまはない。なんとかつかえずに弾けると、ぱちぱちとちいさく拍手をして励ましてくれた。
 本番までの時間、控え室で例の十六分音符とトリルを人目も気にせずさらった。となりにOGらしい人がいて、わたしの弾いているフレーズを弓なしで指板でたたいているのがわかった。何でこんなところで苦労しているのかと確認している風だった。しかたないじゃん、できないんだから。どうせ下手ですよ。ぎこちない音を人に聴かれるのは恥ずかしかったけれど、もうやるしかない。ベストを尽くせ。  
 長い、待ち時間だった。ステージの袖に呼ばれた時には、まだできてないのに、という不安、どうにでもなれという開き直り。いずれにせよ、本番前はとても集中と思う。
 ステージの上は黄色いライトが燦々と降り注ぎ、文字通り晴れの舞台だった。一段低まった暗い客席に黒い人影が並び、目だけが光っている。そうしてその目がみんなこっちを見ているのをはっきりと認めた。照明と人の入りでかなり暑い。(そんなに珍しそうに見たって、何にも出ないぜ。人の気も知らないで…こんなへたくそでも聴くんなら聴いてみろ。)

 前奏なし。ピアノと呼吸を合わせて、滑り出すようにーレッツ・ゴー。

 


 この時ほど緊張というものを感じなかったことは未だかつて、ない。中学生のときの校内弁論大会、ピアノ、声楽、数年前のヴァイオリン独奏。緊張して舌や指がもつれたり、ど忘れしたり、足ががくがく、心臓どきどき。出来不出来にかかわらず、こうしたプレッシャーはいつも味わってきたのに、このときの私にはまったくそんな「余裕」がなかった。とにかく弾き通すしかない、という悲壮な意志がわたしをして演奏に全神経を集中させ、プレッシャーを圧倒したのだ。アマチュア演奏会で観客が好意的だ、もしくは甘かったためとも言えるのだろうが、気持ちではわたしが勝っていた。全く自分でも驚きの居直りだった。心臓の音がことりとも聞こえなかった。

 独奏が終わったら、もう気が楽である。あとは教室の中学生や小学生の女の子たちと控え室でずっとおしゃべりをしていた。彼女たちの学校の様子、ヴァイオリンのレッスンのこと。私の勤めている中学校のこと。彼女たちは今ヴァイオリンを習っていることを自分の生活の中でどう位置づけているんだろう。将来演奏家になりたいと思っているのだろうか。物心つかぬうちにはじめて、当然のように楽器を手にして先の事などまだそんなに真剣に考えていないのだろうか。それともわたしのように技術に苦しみながら、ただ好きという気持ちによって繋がっているのだろうか。無邪気に笑う横顔を垣間見ながら、きびしいレッスンに耐える姿をも想像してみる。

 わたしの演奏内容を反省すると、やはりやっただけのことしかできなかった。課題は課題のまま残り、はじめから終わりまで止まらず弾いたという程度のもの。同門の人は「よかったですよ」とか「おつかれさま。もうこれで怖いものはないですね」などと声をかけてくれる。自分の所属しているアマオケに誘ってくれる人もいた。先生だけは、「まあ、終わって良かったんでしょ。よく止まらなかったねえ。崩れかけた橋を渡っているみたいだったけど。あんなのをセカンドのトップにしてると思われたら先生の俺が笑われるんだぞ。」と本当のことを率直に言ってくれる。まあそう聴こえていたのだろうが、独奏に選んだのはあなただよ。わたしだって、自分の演奏を冷静に分析することくらいできる。十分わかっている。トリルは、例えてフィギュアスケートならさしずめトリプルジャンプが一回転に省略されたよう、明らかに音程のずれた音があったし、モーツアルトらしい流麗なフレーズはそれこそがたがたきしんでいて、ビブラートなんて手が固まったように全くかからなかった。無用な力が入っていた。確かに演奏としては、欠陥だらけ…。
 でも満足な演奏ができなかったことに、わたし自身はさほどおちこんでいなかった。今の私にはこれだけしかできないんだとはっきり思い知ったからだ。

 発表会まで、振り返ってみるとたいへんな日々だったが、楽しかった。一所懸命練習すること。ていねいにじっくり曲と向き合うこと。それが楽しかった。追われながらも出来る限りのチャンスを無駄にせず、努力することそれ自体が心地よかった。緊張も、葛藤も何かを真剣に追究する過程が私にとってとてもいい経験だった。先生は失望したかもしれないけど。そして、先生にはいい演奏ができなくて、申し訳なかったけれども、私はヴァイオリンが、音楽が好きでこれからも続けていこうと思った。自分をしっかり見て、見失わずに、地道にこれからも続けていくんだと思った。きっと苦しいし、辛いし、歯がゆい思いをたくさん、たくさんするだろう。だんだんに難しくなっていくこの道。続けることは苛酷ではある。今までは漠然と感じていたが、今年の発表会を通して、改めてはっきりと知った。自分ができないという挫折感に耐えながら、結果を急がず続けなければならないこと。プライドなんて何の役にも立たず、時には妥協しながら進まなければならないこと。そしてゴールはないのだということ。いつまでつづくかわからないけど、今日のことは忘れないでいこうね。この日の演奏が終わって、わたしはそう自分に約束した。

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