高校時代の親友の物語

みずもとりだいー(@Ridai990215)です。


 東海地区でも屈指の旧帝国大学。偏差値はおよそ70程の国公立。ここに入れば将来は大企業に就職できる。将来も安泰。地下鉄の駅名にもなっており、キャンパス内に地下鉄駅がある。何人ものノーベル賞受賞者を輩出し、附属学校には、超有名最年少将棋士までいる。コンビニもスタバもあり、自然まで豊かに満ちあふれてる。そんな超有名で、最強な名古屋大学の教育学部に通っています。(本当はタダのFランです。誇張に誇張を重ね、更に誇張して書いています。)

 三河地区にある、アクセスの最悪な陸の孤島。名古屋市の自宅から片道およそ1時間半もかかるクソど田舎。名鉄とバスを乗り継いで、更に坂道を徒歩で行かなければならない。偏差値は55。超絶怒濤の自称進学校。教科書至上主義。受験は団体戦。テスト勉強をがんばった先輩がなぜが志望校に合格する高校。それが僕の通っていた愛知教育大学附属高校です。(少しだけ誇張してます。女子大生のナチュラルメイクぐらい。SNOWぐらい。)

 そんなFラン高校では、名古屋大学に行きたいって言うと「え!?あの名古屋大学!?神!?」みたいな反応か「ふ~ん、がんばってね(まあ無理だと思うけどww)」みたいな反応をされます。「サッカー選手になりたい!」って言ってる子供をみる大人、って言ったら伝わるかな。とにかく、この高校じゃムリだよっていうメッセージを、言葉以外の態度、教材、授業のレベルなどからありありと伝わってきました。何度も何度も名大なんて諦めて楽になろうと思うことがありました。

 中学生の頃も、全然勉強が得意じゃなかった僕は、名古屋南高校(運がよかったら勝てるけど、85%ムリ!)という普通科に挑戦するか、緑高校(まあよっぽど勝てるけど、入った後はどうなるか分からんよ?)に余裕を持って合格するかのどっちかでした。ちょうど自分のレベルに合った高校がない!そこで、発想の転換。2つとも「尾張地区」の高校。僕も尾張に住んでる。愛知県には、尾張ともう一つ、三河地区がある。刈谷とか岡崎とかの方。あんまよく知らんけど。三河地区で高校を探している僕の前に現れたのは「愛知教育大学附属高校」と書かれたパンフレットでした。

 「学校の先生ってかっこいいな」と思っていた僕。そんな僕は、学校の先生になれる「愛知教育大学」に憧れていました。もちろん当時は、雲の上の存在だったけどね。「愛教大の附属高校に進学すれば、愛教大に近づけるかもしれない」そう考えた僕は、愛知教育大学附属高校の受験を決めました。

 中学では生徒会長を務めていたからか、担任の先生と仲が良かったからか、推薦試験を受けられることになりました。まあ受かったらラッキー程度の気持ちだったけどね。今でもよく覚えています。愛教大附は国立高校だから、試験日が私立よりも先にあります。1月の末とか。だから、急いで願書を提出しなければなりませんでした。だから、学校がある平日に、皆が授業を受けている中、僕は名鉄とバスを乗り継いで、初めて「ど田舎」に足を運ぶことになりました。


 全然場所がわからん。高校どこやねん。着いた僕は、敷地内で迷子になっていました。愛教大附は、愛教大のキャンパス内にあります。だからでかい。そして田舎。そりゃ迷子になるわ。近くにいた大学生に高校の場所を聞いて、クソ寒い中、なんとか高校にたどり着きました。提出時間の結構ギリギリに到着したので、他の中学生はいませんでした。事務室の前で手続きが完了されるのを、ストーブが置かれて暖められた場所で待ってました。

 すると1人、僕以外の願書提出者が来ました。
 「ここで合ってるよね?」
 他に誰もいないので、明らかに僕に掛けられた声だとすぐに分かりました。いかにも真面目そうな奴だなと思ったのを覚えています。
 そうだよって答えると、「隣座っていい?」って言われた。いやだって答える理由もないので、いいよと返事した。僕のが先に手続きは終わったけど、彼の手続きが終わるのも待っていた。彼は碧南から来てるらしい。どこか知らんけど。でも僕と同じく片道1時間半かかるという。知立(ちりゅう)という駅からバスに乗って高校に来るのが同じ。ということは、帰り道も同じ。ということで、知立駅まで一緒に帰る事になりました。コミュ症にはしんどいぜ。

 帰り道に話したことは、今ではほとんど忘れてしまった。覚えているのは、中学の内申点を聞いて驚いたこと。同じく生徒会長を務めていたこと。愛教大に進学できたらいいと思っていること。彼がモンストの無課金ガチ勢であること。そんくらい。喋っていたら、いつの間にか駅に着いていた。僕らのホームは同じで、到着する電車がちょうど反対側だった。たぶん、彼の電車が先に来た。僕は名古屋方面へ、彼は碧南方面へ、それぞれ帰って行った。

 そりゃ当然だ。当然なんだけど、気づかないよね。推薦入試の日。
 僕らは前後で願書を提出している。そりゃ受験番号は前後に決まってる。

 僕が前で、彼が後ろ。緊張感漂う受験教室。誰も動かない休憩時間。僕と彼は「トイレ行こうぜ」と2人で余裕に振る舞っていた。

 もう1人、僕の「前」の奴と、「後ろ」の彼と3人で帰った。
 試験どうだった、とか、一般試験がどうとか。試験終わりで疲れていた僕は、何を話したのか、全然覚えていない。

  案の定、僕は推薦は落ちました。まあ宝くじ気分だったから全然気にしてなかったし、一般に向けて勉強してたので、問題なし。本番は一般試験や。
 願書提出の時に出会った彼は、推薦で受かった。さすが。もう一人も落ちてたから、一般の時はそいつと僕とで前後になるのかな?なんて。

 一般試験で、無事に合格しました。おめでたい。わーい。ちなみにもう一人も無事に合格でした!

 ここから3年間、愛教大附に通うことになりました。入学式の日、僕は車でマザーと登校。ど田舎クソ大学(訳:愛知教育大学)の講堂を使っての入学式。そこで、推薦で受かった彼との再会を果たします。クラスは隣のクラスでした。

 彼との3年間の通学生活がはじまりました。

 僕は高校では勉強をがんばろうと思っていました。なぜか最初のテストで、クラス2位を取って調子に乗ったからです。そういう意味で、1-3には感謝しなくちゃいけません。2位取らせてくれたから勉強がんばろうってなって、今の僕がいます。ちなみに1位の石井君はゆるさん。テスト週間はガチ勢です。ひたすら僕は勉強し続けました。

 高校1年の頃です。彼は、テスト週間にカラオケに行ったりしていました。全然勉強しません。なんてこった。最初は愛教大にいけたら良いと言っていた彼はどこにいったのでしょう。僕は、この頃の彼の事をあまり覚えていません。

 彼が変わり始めたのは、2年の始め頃。部活を辞めてからだと思います。

 めちゃくちゃ勉強し始めました。

 日本史で文系クラス1位を取ったり、英単語の知識は僕に負けないレベルになってきました。僕との違いがあるとしたら、僕は国公立志望だから数学も理科も必要だったことで。彼は難関私立志望だから、文系科目だけだったことですね。ずるいなー。

 彼が勉強し始めてから、僕の生活も変わり始めました。彼に負けたくないので、僕も更に勉強にのめり込んできました。行き帰りのバスは、二人でいるのに必ず黙って、互いに勉強していました。一つのイヤホンを半分ずつ耳にしてたのは、マジで端から見たら恋人同士。彼が選ぶ音楽は、だいたい僕も好きな音楽でした。

 彼の日本史の知識はとにかくすごかった。調べるよりも彼に聞いた方が早い。模試の帰りは、彼を使って日本史の自己採点をしてたくらいです。ちなみに僕のが英語はすこしだけ上で、国語は僕のが遙かに上でした。
 模試の成績とか、僕は文系で1番か2番なのですが、彼は100番ぐらいだった気がします。でも、英国社(私立文系使用)だと、1ケタの順位なのです。文系の化け物でした。

 ちなみに1番気持ちよかったのは、英語の記述模試です。
 僕が1位で彼が2位、ワンツーフィニッシュ決めた時は快感でした。

 

 二人とも学校がめっちゃ遠いのに、誰よりも朝早く二人で登校。勝手にクーラー付けて、勉強しまくってました。悪いやつだぜ。今思うと、夢みたいな時間でした。何気ない勉強していた時間が、本当に楽しかった。楽しいと思えていたのは、親友であり、ライバルである彼の存在があっでたからです。

 帰り道に出し合った英単語とか、ゴロ覚えた年号とか、今でも覚えてる。


 二人とも学校サボりがち芸人だったから、けっこうどっちか居ないとき多かった。彼は序盤で欠席を使いすぎて、早めにイエローカードを先生にもらってた。だから僕が休む日も、彼は学校に行かなくてはいけなかった。よく一人ぼっちにしてました。ごめんね。笑

 間違いなく、彼がいなかったら、僕は名大に受かっていなかった。高校生活を楽しいと思ってなかった。うそ、彼がいなくてもたぶん楽しかった。
 でも、彼がいたから、もっと楽しかったのは間違いない。

 

 今僕は、名大にこれて良かったと思う。名大に来れたのは、間違いなく彼のおかげだ。今、僕は名古屋にいる。彼は、青山学院で、法律の勉強をがんばっている。

 場所は違えど、学ぶ内容は違えど、今日もまた、一緒に勉強しているって僕は思っている。バスの中で、二人で勉強していたみたいに。
 ほとんど会えないけど、彼をよく思い出す。彼も同じだといいなと思う。

 いつ会えるのかまだ全然決めてないけど、また会ったときは、会ってなかった時間の分まで、たくさん語ろう。

 それまでお互い、がんばろ~ぜ。


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