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発達障害(ASD)である変わり者の私が、理想の「普通」を追い求めた話

(※こちらは2019年2月20日に書いた記事です)


私が発達障害と診断されてかれこれ10年以上経った。

その当時の自分が「普通」を追い求めた記事なので、今とは環境が違うと思う。昔はTwitterなんてやっている人は今と比べたら、少なかったし。当時はまだブログのが人口的に多かった時代。スマホもそんなに普及していなかった時。

そんな時代の人の「普通」を追い求めた人の記事だ。


私は普通になりたいと何度も何度も思って、なろうとしていた。
それは願ってはいけないものなのかとさえ思ったくらい、普通に憧れていた。

だが何度もやっても普通になれない。

私は幼い頃から周りの人達に「変わり者」扱いされていた。
小学生の頃も中高一貫校にいた頃も、誰かに直接的にこのような言葉を言われるのだ。

「のしりこちゃんって変わっているね。」と。

最初は褒め言葉かと思っていたが、次第にそれが悪い意味で言っていることに後々気付く。

人にいくら言われても、どこが変わっているのか自分にはわからない。
なぜなら、人にとっては変わっていると言われる部分がが私にとっては普通だからだ。何も意識してない。変わり者になりたくて変わっている行動・言動をしている訳ではない。だが、いつの間にか、その変わり者な部分で意味もわからず怒られ、嫌われての日々だった。

同い年の子達にも変わり者だからと嫌がられていた。けれども、その事に関して何も思わなかった。そう、それ以上に周りの大人たちが私を変わり者だからと、向こうの価値観を一方的に押し付けられて、怒られる日々だった。だから、同い年の子に変わり者な部分が原因で嫌われていても、それ以上のことはあまりなかったため、「私のことが苦手なだけかー。」としか思わなかった。

それを何度も何度も繰り返してはこう思った。

「私がどこか悪いからきっと怒るんだ。どこが悪いのか反省しなくては。」

変わり者扱いをされては悩み、さらにまたされては悩み、また怒られて反省して自分がどうしたらいいのか悩む日々。

そんなことが日常的にあったため、自分に自信が全くなかった。自分が嫌いだった。母と妹は私を理由もなく否定せず、味方になってくれてはいたが、それでもどうしていいかわからなかった。

だがら、その悩む日々で思いついたのが「普通の人間」になることだった。
そうすれば、目立つこともなく、怒られることもなく、普通に穏やかな日々を過ごせると。

しかし、それは果てしなく無謀で無理な夢だった。

18歳で発達障害(私の場合は、自閉症スペクトラム障害/アスペルガー症候群)と診断されてから、「空気が読めない=KY」という言葉が世間で流行りだす。そうなると、私はただでさえ変わり者で目立つのに空気が読めないという言葉も追加されてしまう。
今まで自分では変わり者な部分としか思っていなかったものを発達障害として現実を受け入れるために時間がかかる。なのにそこへ空気が読めない人間という世の中の意見も飲み込まなくてはいけない。それが辛かった。

私は人とは何かが違う。人より劣っている。人より出来ない。人より空気が読めない。人より何かがズレている…それが嫌で嫌で堪らなかった。普通のことができないどうしようもない自分が嫌いで仕方がなかった。

だから、普通の人間と同じ感覚になりたいからと、せめて近くにいられるように私なりの求める普通になるため、変わり者である部分の異物排除のために私が思う普通の人間の行動・言動を研究して、普通の人が言うようなことや動くようなこと学び、「私ならそう思わないけど、普通の人ならこう思うはず…!こう動くはず…!」という理想の「普通」になるため、普通フィルターを作って、何事も動くことにした。
変わり者の部分を普通フィルターで異物を排除し、アップデートを繰り返す努力した。5年以上はそのことに人生を費やした。
 

時には仕事をしてみようと、何度も面接受けて受かり、働く初日体力をすべて消耗し、微熱がでて動けなくなりの体調を崩しては辞めての繰り返しだったが、何度も仕事に挑戦してみたり。
時には空気が読めていないところを母に聞いてみては、修正できるところは修正し、空気の読めなさを私なりに改善してみたり。
時には恋愛というのも普通の人間が行うものだと思い込んでいたためか、何度も何度も恋愛に挑戦し、相手の恋愛感情がわからなかったり負担になったり、恋愛がわからなくても恋愛漫画や恋愛記事まとめを読んでみては、恋愛を理解しようと頑張ってみたり。


人間というのは向上心があればなのかわからないが、何かしらが効いたのか、憧れの「普通」へ近づく道を少しずつ歩んでいた。憧れの普通の人間になるために「私ならこう考えて動いちゃうけど、それは変わり者だと思われてしまう。そうじゃなくて、普通の人ならこう考えてこう動くはずだから、そういうふうに動こう。」という普通フィルターを常に色々な言動・行動で頭を働かせ、修正しなきゃいけないところはちゃんと修正し、新たな分野に挑戦の場合は事前に研究して、普通フィルターをアップデートさせたりが効いたのか、普通のことができるように徐々になってはいた。

「これでちょっと普通に近づけたかな…?」と少し思うくらい、普通への憧れのために自分の中で最大限の努力はした。自分の中で反省会を開いたり、修正できるところはしてきたはずだった。
しかし、どんなに普通になろうと努力しても、目立つことは避けられなかった。変わり者扱いもだ。発達障害にぱっと見の印象で見られなくなっても、何か話せばわかる人にはすぐにわかる。ヲタクがいくら外見をヲタク臭を消して見せなくしても、話せばヲタクだとすぐわかるのと一緒だ。

だから、何度も繰り返し普通フィルターの精度を修正しても修正しても、普通フィルターから漏れてくる変わり者な異物を消すことは不可能だった。「やっぱり、普通になるのは難しいのか。でも、少しずつやっていけば、年月がかかろうがそのうちなれるはず!」と思い込んでいた。

だが、その普通になりたいという行動自身が、身体を駆使し、色々と無理をさせるものだった。そして、今の慢性疲労症候群に似た症状(常に疲労感、頭痛、めまい、全身筋肉痛など)でばたりと倒れるのだった。

症状で倒れてから少し経って自分と向き合う時間ができた。
鏡越しに映る杖をついた or 車椅子に乗った自分を見てこう思った。

「今の自分は何をしようがどこから見ても、もう普通になれない。外では杖をついていて、家ではほぼ横になっているのが普通の人間の生活じゃない。外見も中身も色々なものが、普通から遠くなった。もう、普通は諦めるしかない。抗うのはやめよう。」

と、普通の人間に近づく存在になるという憧れを捨てることにした。

そこから、色々な部分で私は吹っ切れた。

普通の人間に近づく存在に憧れていた頃は、普通を目指すためにSNS上で普通の人が呟く、無難なことしか呟かないと決めていた。
けど、それも変わり者の自分には向いてないことだと気付いた。それに気づいた瞬間、私の中で普通だったらこうやって呟くということをやめた。

このとき、私の普通フィルターが消えはじめていった。

変わっているからと目立ってもいい、変わり者としかされてもいい。だって私は見た目も中身も変わり者だから。それを消すことはできない。それが私生き方なのだから。そんな変わり者で目立つ私が私らしい部分でもあるのだ。

そうやって、色々な場面で普通フィルターが消えていき、今は普通フィルターが埃まみれになっている。ごくたまに公共の場では普通フィルターを使うが、それも少し経ったら放り投げて変わり者の自分に戻る。

普通フィルターはもういらない。普通を追い求めることはいらないのだ。

今、発達障害やアセクシャル関連、その他色々なところで
「自分が変わり者であるがゆえに目立って辛い。」という人に言いたい。

そのままでいい。変わり者だと思われていても、人それぞれだ。様々な価値観があるのと一緒で、様々な変わっている部分が人にはある。それが人によってはその人自身が変わっている部分があっても、上手く隠していて目立たないだけの違いだ。自分の心を削ってまで、無理をして自分を着飾らなくていい。無理をしたところで、私みたいに過度なストレスにより、別の症状が悪化して倒れてしまうこともある。自分を否定するのは身体的にも精神的にもよくない。自分を大切にしてほしい。自分を受け入れるのは大変だが、何かがキッカケで受け入れるときがいつかくる。そのいつかは人によって違うから、無理をしてキッカケをつくらなくていい。

もし心に余裕があったら、自分を好きになってあげるといいかもしれない。それができたとき、あなたは更に強くなるから。

私みたいに「変わり者」扱いされている人に届くことを願って。



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